ことばの先にあるもの
・いぬがあるく
・ぼうがある
さて?
もしかしたら、お読みの方は「あたったのかな?」と考えたのではないだろうか?
人は、なにか「文脈」を読み取ることができる。今回の場合は「犬も歩けば棒に当たる」ということわざを補助線にして、「いぬがあるく」と「ぼうがある」をつなげたことになる。
人の考えにも、「文脈」は存在する。そして、その「文脈」をうまくほかの人に伝えることができたとき、話し手の「伝えたいこと」がうまく伝わることになる。
ことばをうまく操るとは、この文脈を相手が流せるようにすることなのかもしれない。
◇文脈の共有
コミュニティづくりの肝は「ルールの共有よりも文脈の共有」が大事だとある方から教わったことがある。
では、文脈の共有とはどうやったらうまくできるのだろうか?
最近、またビジネスでも言われてきた「ナラティブ」のお話も関係はするだろう。個人の物語という形をとることで、文脈をそろえていく。「犬も歩けば棒に当たる」という共通のキーコードを入れておけば、「いぬがあるく」と「ぼうがある」というときに、多くの人が「当たるかもしれない」という予測を導けるように。
サル、と、バナナ、があったときに「食べるだろうな」という想像は「サルはバナナが好き」とか「サルとバナナがよく関連付けられる」からであり、例えば、サル、と、お味噌、だったら「ちょっとどうなるかわからない」。
文脈の共有とは、すなわち「ある事象とある事象があったときに予測する点」をそろえることに強い意味がある。予測できるということは、思考のセットに組み込まれているということであり、思考のセットに組み込まれているのなら「自然に」「納得」することができるだろう。
◇人を動かすキーコード
この、共通のキーコードを持っているものを「コミュニティ」というのかもしれない。そして、それは「文化」とも。
我々が心動かされるものはなにか。
我々が心動いてしまう、キーキーコードはなんだろうか。
「犬も歩けば棒に当たる」という小さな例ではなく(だれも犬に棒に当たってほしいとは思わないはず)、人が自然に動いてしまうもの。
宗教ならば「神は言った」なのかもしれない。資本主義社会ならば「お金があれば何でもできる」なのかもしれない。
◇AI時代の裏側
なるほど。ここまで書いてきてAIに対する潜在的な恐怖の一端がわかった気がする。
AIは「文脈の共有」ができないと思っているのだ。
例えば「人命が大事」である、というキーコードを、共有しない可能性を考えてしまう。だからこそロボット3原則は「リアル感」を持つのだ。
Aさんの仕事がBさんに奪われたとしよう。
Aさんは「Bさんのほうが能力があったのだ」「うまいこと取引先にとりいったのだ」「今回は運がなかった」など、属人的でもなんでも「理由」を作り、なんならBさんともその「理由」を共有することができる。これも一つの情報を解釈(つなげる)ための「キーコード」であろう。
対して、AIに仕事が奪われた場合、Aさんは同じ土俵でそのことを受け止められる「理由」を見つけることができるだろうか?なぜなら、AIは所詮「誰かが作ったもの」だからだ。
◇ことばの先に
今日は大学生たちと「ことば」について突き詰める会だった。そこで掘り下げていくと、どうも「ことば」のその先があるような気がしてきた。そして、その先にあるもの(もしくは元にあるもの)の共有がいかにできるか、その同じ視点を持てるかどうか、がこれから生きてくるのだと感じている。
なにを、その先にみるのか。
事象と事象を、どんな「キーコード」でつないでいけるか。
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