闇を抱える自分が「ほんとうの自分」ではない
こぽこぽと、紫色のヘドロの底から、こちらを見ている自分がいる。真っ暗闇のさらに奥深くから、にじみ出るように、そこにいる。
これは、認めたくない自分だ。
ずるくて、卑怯で、臆病で、泣き虫で、残忍で、暴力的で、支配的で、暗い。
でも、そこからやってくるものが、表現欲求でもあり、探求欲求でもある。
ぼくは
いつも
どこかで
ふたをしている
闇を認められなかった。ほんとうの自分がこんなにも醜いのかと。
隠しているからこそ、表に出せないからこそ、それこそがほんとうの、だと思っていた。
しかし、それは違った。
勘違いだった。
世界は層構造なのである。自分が、層構造なのだから。なぜなら。
層構造に「ほんとうの」などない。
すべてまとめたものが「ほんとうの」だ。
僕は「表現」が怖い。自らの「ほんとうの」醜い自分が出てくるようで。いつも取り繕ったものを、どこか覆いかぶせたものを「表現」とニコニコしながら出している。
そうじゃない。
そう、それは層じゃない。
・・・。
ほんとうの、ではなくて「ひとつの」自分である。隠しているものが「ほんとうの」というのは、トリックに引っかかりすぎている。
いかに多層的であるか。
いかに、同時的に多層的であるか。
目に見えないから、よく見えるのだ。
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