【断髪小説】失恋
「あ、お久しぶりです。
しばらく来られていなかったですが、髪の毛、伸ばされていたのですか?」
と、女性に話しかけているのは、美容師の田村 悟(たむら さとる)
「そうです。
彼がロングヘアーが好きだったので、ずっと伸ばしてたんです」
彼女は都内に住む田中 美久(たなか みく)24歳。
黒髪ロングヘアー、前髪は横に流す感じのスタイル。
毛先はあちこちに向いていて、整っておらず、伸ばしているのが伺える。
「そうだったんですね。
じゃー、今日はどのような髪型にされますか?」
「バッサリ切りたいんです。
髪型は決めてないんですけど、とりあえず・・・バッサリ」
僕は、彼女に何かあったのかと思い、すごく気になっている。
と、いうのも、ミクさんは、美容師とお客さんの間柄ではあるのだが、密かに思いをよせているからだ。
彼女との初めての出会いは、2年前。
その日もそうだ。
突然やってきて、「バッサリ切ってください」の一言。
その時は、どうやら彼氏に振られたらしい。
失恋で髪を切る。
どこにでもある、よく聞くような話だ。
その時は、ロングヘアーを肩にぎりぎりかからないくらいのボブヘアにイメチェンした。
そして今日も「バッサリ切ってください」の一言。
気になる。彼女が失恋したのか?それともただバッサリイメチェンをしたいだけなのか?
「バッサリ。
春だし、イメチェンですか?」
「いえ、失恋です」
「あぁ・・・そうだったんですね。
気分を変えたくてイメチェンしたい感じですか?」
「えぇ。気分転換もあるんですけど・・・。
彼が、私のロングヘアーが好きだったんです。
それで、この髪型を見ると、彼を思い出してしまうので・・・それで・・・」
「ミクさん、髪の毛綺麗ですもんね」
「え!?」
「あぁ・・・その・・・男性なら誰もが憧れる黒髪サラサラストレートロングヘアー。
それだけにバッサリと切るのはもったいないなぁ〜と、思いまして・・・」
少し照れくさそうに彼女は言う。
「・・・はい。
よく言われます。
彼も・・・・その前の彼も・・・私のロングヘアーが好きで・・・。
だから、逆に失恋するとバッサリと切りたくなるんです」
わかる。わかるんです。
僕もミクさんのロングヘアーがすごく好きで、このロングヘアーに恋い焦がれている・・・。
そして、彼女にはロングヘアーを維持してほしいから、彼女の髪の毛を切りたくない!とさえ思っている。
なんてことは、口が裂けても言えない。
「そうなんですね・・・。
でも・・・素敵なロングヘアーなので、色を変えてみるとか?
茶髪。金髪。ピンク色にイメチェンする人も増えてますよ。
そういうイメチェンの仕方もありますけど・・・」
「私・・・髪の毛を染めたことが無いんです。
だから、ちょっと憧れはあるんですけど、でも、黒髪も気に入っていて。
なので・・・バッサリお願いします」
どうしてもバッサリの方向に行ってしまう。
こうなったら、どうにか彼女のバッサリをやめるように促してみよう。
髪色がダメなら・・・。
「カラーは抵抗あるお客さんもやっぱり多いですしね。
それに黒髪とてもお似合いです。
では・・・パーマをかけるというのはどうでしょうか?」
「パーマ?・・・ですか。
考えた事もなかったです。
コテで巻いたりもしたことないです。
憧れはあるんですよね。お姫様ヘア?っていうんですか、
だったり、巻き髪でエレガントな感じにしてみたいって。
でも・・・バッサリお願いします」
「パーマはパーマでも、縮毛矯正とかも人気ですよ!
今でもかなり綺麗なストレートヘアですが、
更に綺麗になります!
・・・いかがですか?」
「インスタとかで見たことあります!
する〜って椅子から立ち上がるときに髪の毛が流れる動画とか・・・。
すごく憧れます!
でも・・・やっぱりバッサリお願いします」
うーん。ダメだ。何を言ってもバッサリ切るという話に戻ってきてしまう。
カラー。パーマ。縮毛矯正。それ以外に変化をつけるとすると〜・・・
バッサリ・・・だよな。
でも・・・切りたくない!美容師なのに髪の毛を切りたくない!
けど・・・
「後ろ髪を揃えたり、前髪を作るだけでも、だいぶイメチェンになったりするんですよね〜」
「・・・そうなんですね〜」
「・・・やっぱり・・・!?」
「はい。バッサリお願いします」
「ですよね〜。
・・・かしこまりました。
ちなみにどんな髪型にしたいとかってありますか?」
「うーん。バッサリしか考えてなかったんですけど・・・
ショートとか?チャレンジしてみたいな〜って思ってます」
ショート!?ショートって言ったよね?今。
嘘でしょ!?こんなに綺麗な髪の毛の持ち主なのに、それを生かさずにショートヘアにしてしまうなんて・・・
「もったいない・・・」
「え!?」
「え!?
あ、すみません。なんでも無いです。
では、ショートですと〜、こんな感じになりますかね」
ミクの髪の毛を持ち上げて、ショートに見えるように形をつくり、鏡で彼女に自身のイメチェン後の髪型を想像させる。
「わぁ、すごい。いい感じになりそうですね!」
「えぇ、とても似合うと思いますよ」
否定したい!否定したいけど・・・けどショートも可愛かった!だから否定できない!
「では、ショートでお願いします。
あ、あと・・・刈り上げ?っていうんですか?
そういうスタイルにも憧れてて・・・
これとか、インスタの写真なんですけど・・・」
ミクはインスタの写真を美容師に見せた。
そこには、黒髪でハンサムショート、サイドはツーブロック。
後ろ髪は綺麗な段差がある。いわゆる刈り上げハンサムショートヘアの写真があった。
「え!?こ・・・ここまで短くするんですか?」
「はい。短くするんです。・・・バッサリお願いします」
「か・・・かしこまりました。
刈り上げ部分・・・バリカン使っても大丈夫ですか?」
「はい。バリカンで刈り上げちゃってください!」
うーん。複雑な気持ち。
ロングヘアーでいてほしいけど、職業的に彼女の髪の毛を切りざるを得ない。
しかも刈り上げスタイル。
俺の好きな髪型とは正反対のスタイル。
だけど・・・
「それでは、切りますね」
と、ミクへ言い、彼女の切る前の最後の長いロングヘアーを手ぐしで上から下へゆっくりとさわり、更にクシを通した。
ケープとクシが擦れるような音がなり、いよいよ彼女の髪の毛を切らなければならないと現実味をおびた。
そして、ハサミを肩のラインで横に向けて、一気にカットしていく。
ジョキッ!
ジョキッ!
ジョキッ!
ジョキッ!
長い髪の毛がスルリと地面に落ちていく。
切られた髪の断片はまっすぐに整えられている。
髪の毛をブロッキングして、サイドの髪の毛に対してバリカンを入れていく。
カチッ。
ヴイィィィィィーーーーーン!!!
バリカンの振動音が美容室中に響き渡る。
静かな美容室でバリカンの音はとても目立つ。
ただでさえ美容室でバリカンを使うことは少ないのに、そのバリカンが長くて綺麗なロングヘアーに向かっているのは、更に珍しい光景だ。
他のお客さんも横目で彼女の髪の毛をチラチラと見ているのが伺える。
何が悲しくて好きな人の好きなロングヘアーに対して、重い鉄の塊をぶつけなければいけないのだ。
だが、それでも俺は美容師だ。
だから、お客様が刈り上げてほしいというのであれば、いくらそれが自分の意思に反しているとはいえ、刈り上げなくてはならない。
そんなこんなを頭の中で自分自身と会話しながら、あっという間にサイドがツーブロックスタイルに刈り上げ終わっていた。
そして、後ろ髪はハサミとクシで丁寧に滑らかな段差をつけながら刈り上げていく。
あんなに黒くて綺麗なロングヘアーが、もう今となっては刈り上がってしまっている。
長さを確認する意味で軽く下から刈り上げを触ると、ジョリジョリという男性とはまた別な柔らかくて、かつ短い髪の毛の感触がした。
これはこれでちょっと気持ちいいなぁ〜なんて思いながら丁寧に刈り上げていく。
「後ろはこんな感じになりました」
と言いながら、彼女に手鏡ごしに自分の後ろの刈り上げヘアを見せる。
そして、サイドのツーブロックも被せてある髪の毛を耳にかけて、刈り上げ部分を見せる。
「あぁ!すごい!これこれ!この髪型にしたかったんです!」
刈り上げハンサムショートスタイルに彼女は満足しているようだ。
彼女のロングヘアーが好きだし、今でも彼女にはロングヘアーでいてほしい。
だけど、美容師としては、彼女が喜ぶ顔が見えるのが一番のご褒美だ。
だから俺は彼女の今の髪型にも満足だ。
何気ない雑談をしながら、彼女を見送った。
それから数ヶ月が経ち、彼女は刈り上げヘアにしたことによって、通うペースが月1になり、彼女とも話す機会が増えて、今では俺の彼女になっている。
そして彼女にはロングヘアーが好きであることを伝えているので、今は刈り上げヘアを伸ばす事も考えてくれている。
彼女をずっとロングヘアーでいさせるために日々、俺は努力を重ねている。
あとがき
久しぶりに異能物以外を書いてみました。
軽い短編小説と、いつも金曜日に書いている長編の2本を毎週書けたらいいなと思って書いてみました。
この短編に関してはプロットも設定も何もなく、設定だけ決めて書いてます。
書いてほしいイメチェン小説の設定などありましたら、下記からお願いします。