ひきこもり
相当の陽キャだった高校の後輩が、とあるストーリーをあげていた。
「今日はこもります!」
背景にはピクニックの画像。こもりますと言いながらアウトドアな雰囲気をかもし出している。
ムカついたという話ではない。ゴシップにも及ばないほどくだらないのがストーリーというものの常だ。それがストーリーというものの真髄であり趣でもある。皮肉っているのではない。心底そう思うし、僕にも心あたりがあるのだ。
引きこもり状態=マイナスであるという前提が僕を憂鬱にしたのである。そんなに人間にとって引きこもるということが不自然なのだろうか。
多くは僕の後輩と同じような認識でいるだろう。そして僕が引きこもりであるがゆえ(もう察しているとは思うが今僕はほとんど引きこもり状態である)この子のあたりまえの意見の揚げ足を取っているんだ、と僕をこき下ろしているに違いない。それを責めるつもりは毛頭ない。至極普通の反応である。社会に関わっているということは一種の人権だから。
でもその「人権」を得た状態というのは本当に自然な状態なんだろうか?
僕には到底そうは思えない。
なぜ人は自殺するのか?なぜ人は辛くになるのか?またなぜ人は、引きこもるのか?この答えは結局人間関係にほとんどいつでも帰着する。しいてもう一つあげるならカネだろうか。金銭そのものも人間関係に含まれるかもしれないが。
面白くない状態にあるということは、その対象や置かれた場を体が拒否しているということに他ならない。そしてなぜ幸せを追求するのが人間の本然なのに、その幸せにとって非常に剣呑な場に、ほとんど命がけで飛び込んでいかなければならないのか。
孤独は人間関係の渦中にあってこそ生じる感情であると三木清かだれかが言っていたのを読んだことがある。全く同意である。その意味で、人間関係の構築に安心感や連帯感を求めるというのはバカもいいところであると思う。
……
これ、読み返しても読み返しても論理というものが破綻している。だからこれは、ただのボヤキと取ってもらうのが一番である。読者との間には人間関係が既にできてしまっているわけだし、文章を書いているということは、、、
そういうことである。
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