20年間無敗。そしてプロ雀士へ(ただし無勝)
46歳でプロテストを受けたと以前書きましたが、プロテスト受験を決めた時点で、私はほぼ20年間無敗でした。
正確に何年か思い出してみようと思いましたが、記憶が定かではありません。最後にフリーに行ったのは横浜駅から歩いて行ったところだったので、引っ越してからなのは間違いないのですが、正確には覚えていません。どこの雀荘だったか、今もあるのかも定かではないですが、負けたことは覚えています。
そう。20年間麻雀してません。無敗です。無勝です。
「その頃って手積みですか?」
真顔でそう聞かれることもありますが、
そんなわけない!
さすがに自動卓はありました。
手積みでフリーとか、怖すぎです。
ただ私がフリーに通い出した頃は、テンリーダーはありませんでした。
当時私は府中に住んでいて、京王線仙川駅にあったオレンジハウスに通っていました。井出洋介さんがやられていたお店で、何度かお見かけしました。RMUの武則輝海さんが店長でした。
12時開店で、よく開店と同時に行っていましたが、日替わりランチが100円で食べられたので、毎回注文してました。
当時チンジャオロースのことを知らなくて、ピーマン嫌いなのにチンジャオロース丼を頼んでしまったことは忘れられません。
「〇卓オーラスです。点数申告をお願いいたします」
オーラスになるとメンバーさんがそう声をかけ、それぞれ申告してからオーラスに入ります。
強くなりたいと思ってましたので、実力はさることながら点数も暗記しなければと思って、がんばっていました。でも私は文系雀士で数字低スペックで、どうにも覚えられませんでした。持ち点数の丸暗記ではなく自分との点差で覚えるのがコツと聞きましたが、きっちり覚えるのは早々に諦め、1000点単位で大雑把に把握しようとしましたが、それも大抵あやふやになってしまいました。
そんな時に導入されたテンリーダー卓。
横のボタンを押すと他家の点数が正確にわかる!
感動でした。
テンリーダー卓は最初は1卓だけだったので、これまで以上に開店と同時に入店するようになりました。テンリーダー卓が埋まっていると、それはそれは残念だったものです。
ちなみに当時のテンリーダーは、点箱を閉めないと反映しませんでした。
今回プロテストを受けるに当たって、競技規定を読み込みましたが、その中に点箱は開けておく、との決まりがありました。
この1文を見て、
「え?!」
と思ったのは、20年間無敗の私くらいだったでしょう。
①点箱を開けておく。
②テンリーダーは使えない。
③点数は暗記しないといけない。
④点数の暗記も雀力のうち。
⑤厳しいなぁ。
即座にこう思いました。
②の時点で間違ってました。
テンリーダーについては20年前から存在は知っていたわけですが、もっとわからなかったのが自動配牌です。
自動配牌という存在に初めて触れたのは、漫画「凍牌」でした。
そう、あの嶺上牌の・・・(以下、自粛)。
あの場面、はじめ読んでいて全然意味がわかりませんでした。ずっと首を傾げながら、
「なんでずっと親の山から開門?」
「サイコロは?」
「??」
頭の中「??」だらけで読んでいたのですが、ある瞬間に気づきました。
もしや今の自動卓は配牌されている?
無敗の間にそのようなことが!
にわかには信じられないことですが、そう仮定すると様々なことにつじつまが合うのでした。
プロテスト受験を決め、20年の沈黙を破りフリーに行き、おずおずと尋ねました。
「あの、フリーは20年振りで、自動配牌はやったことがなくて・・・」
なんと嶺上牌も初めから降りている(凍牌と違う!)
親の第一ツモは持ってくるのか!(もしやそうではないかと思っていた)
そしてこの時、
点箱開けたままでも使える!
ということも知ったのです。
技術の進歩著しい。
無敗期間中にここまで変わっていたとは!
世の中の進歩を目の当たりにし、止まっていた時が再び動き出したこの日は、同時に無敗の20年に終止符を打った日でもあったのでした。
(負けました)