山本和範(近)vs工藤公康(ダ)

左対左の対決。
初球、打ち気を逸らすような緩いカーブが真ん中に決まってストライク。
それ自体はどうということもないのだが、問題は打者が身体を丸めて逃げてしまったことだ。
デッドボールになると思って慌てて逃げた。
左腕から投じられた球は、左打者の身体側からやってくる。
カーブであれば身体側から遠ざかる方向へ動く。

稀にプロ入り間もない新人が、プロの一流のカーブを初めて打席で見て、身体に当たると思って跳ねるように逃げたらど真ん中だった、ということが起きる。

「見えてないね」
と投手も捕手も、守備側を応援するファンも思うところで、あとはカーブを投げておけば絶対に打たれない。見えていないわけだから。

だがこの時の出来事はそう単純ではない。
ど真ん中のカーブを無様に逃げたのはプロ入り間もない新人ではない。
近鉄-南海-ダイエー-近鉄と渡り歩いて勝負強い打撃で中軸を任されてきたベテラン山本和範だった。打撃職人ともいうべき好打者である。
そして投手は数々のタイトルを獲得して優勝請負人とも呼ばれるベテラン工藤公康だった。


これは私が近鉄バファローズの試合を全試合観ていた頃の出来事で、今に至るまで非常に強い印象を残している。
その頃のことはここに書いた。

強烈な印象を残す出来事ではあるのだが、あまりにマニアックなので、誰にも話したことがない。こんなことを話せる相手はいなかった。
思い立ってnoteに書いてみることにした。

「そんなわけない」
冒頭の場面を観ていた私は、テレビに向かって声を出していた。

あの山本和範が、工藤のカーブが見えなくて逃げた?
初見ならいざ知らず、両者は長く同一リーグにいて、何度も対戦してきている。
山本和ほどの打者が、真ん中のカーブを身を捩って逃げるなんてことがあるだろうか。

とはいえそれは現実に起きた。

「逃げちゃいましたね」
と実況が言っている。

「・・・わざとか」
私はまた呟いた。

カーブが見えていない風を装って、次に来たカーブを狙い打ち。
球速のないカーブは、来るとわかっていれば打ちやすい球だ。

100歩譲って、思わず逃げたのがわざとではないとしても「カーブが見えてない風」の振る舞いをしたことを、逆手に取ってくるのではないか。山本和は次のカーブを狙い打ちするつもりではないか。

でも投手はあの工藤だ。
その手に嵌るか。

実況も解説も初球のカーブを逃げたことに何も触れない。
ケーブルテレビの近鉄対ダイエー戦をいったい何人くらいが観ているだろう?
そして山本和の狙いを見抜いて観戦している人は何人いるだろう?
もしかして私一人じゃないのか。

さあ、工藤は2球目に何を投げる?
カーブか? それなら山本和は打つ。確実に打つだろう。

2球目はストレートだった。
そしてそこから工藤は、何球も何球もストレートを投げ続けた。
フルカウントになり、山本和がファールで粘る。それでも工藤はストレートを投げ続けた。

「ストレートで押しますね」
実況が言っている。

工藤は見抜いたのだ。山本和の狙いを正確に見抜き、見えていない様子のカーブを使わずストレートを続けている。
山本和はそれをファールにして粘っている。

いったい何球ストレートを続けただろう。
裏の裏を掻いて、ついに工藤がカーブを投げた。

山本和のバットがそれを捉え、工藤の足下を抜くセンター前ヒット。
初球の無様な見逃しとはまったく違う、身体の開きを抑えた綺麗なバッティングだった。
さすがにあれだけストレートを続けられたあとだから、カーブ1本には絞れなかったのだろう。長打にはならなかったが、クリーンヒットだ。

打ちも打ったり、投げも投げたり。
「誰が引っかかるかよ」
「早くカーブ投げろや」

ベテラン2人のそんな無言のやり取りが聞こえるようだった。


強烈に印象に残っているシーンだが、いつのことかは覚えていない。
そこで過去のデータを追ってこの日を特定してみようと思い立った。
山本和が近鉄に所属して活躍していたのは1996年~1998年の3年間(1999年は1試合しか出場していないので除外)。
この3年間に工藤が近鉄戦に登板した試合を洗ってみたところ、意外なほど対戦が少ない。山本和は指名打者または代打として起用されていたが、フル出場していたわけではなく、右打者との併用だった。左の工藤が登板する時はスタメンを外れることが多かったのだ。

工藤と山本和の対戦があり、山本和がヒットを打っている試合。
探した限り、条件に合致する試合は1試合のみ。
1997年5月15日。ナゴヤドームで行われた近鉄-ダイエー9回戦。
ダイエーの先発は工藤、近鉄の先発は石毛。
山本和は6番指名打者でスタメン出場し、3打数1安打。
工藤は6回途中自責点4で降板。
試合は9回裏に大石がホセからサヨナラ2ランを打って近鉄の勝利。
勝利投手は赤堀。

多分、この日だ。


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