8月9月。大学生がプロジェクトにジョイン。そして思うこと。仲間との関わりが生み出してくれる豊かさ。
こんにちは。今津新之助です。
ここ最近、シビれる感覚を味わっている。今日はここに至るまでのプロセスも含めて書き残しておきたいと思う。
最近は、社会福祉に関わるお仕事をずいぶん幅広にやらせてもらっているが、その起点は、2014年から理事を務めるFACE to FUKUSHI(通称 F2F)。
F2Fでは、いわゆる福祉業界と大学生とを結びつける就職フェアやインターンシップを企画している。河内崇典と大原裕介の共同代表がビジョナリーで、ぼくはそれを畳む役割をやってきたと言えるかもしれない。河内はNPO法人み・らいず、大原は社会福祉法人ゆうゆう、ぼくは株式会社ルーツの創業経営者。それぞれが、それぞれの個性・持ち味を生かせる「第三の場」としてF2Fを展開してきた。
お客さんにもスタッフにも恵まれ、時代の後押しもあり、事業は広がってきていて、来年4月からは初の新卒生も入社。初めてお会いしたけれども、大手広告代理店の内定をキックして福祉業界に来たとのこと。軸をもっていて、とても素敵な雰囲気をまとっている。ここでもいつか紹介する機会があるかもしれない。
今、ぼくたちF2Fは、次のフェイズに進んでいくタイミング。コロナも重なり、さまざまな前提条件を見直し、新たなチャレンジを始めようとしている。しばらく仕込み続けてきていて、まもなく立て続けにリリース予定。
ありがたいことにやるべきことは山ほどある。すごく地道なのだけど、とてもクリエイティブ。何よりもチームがいい。明らかに身内贔屓だけども、いいメンバーが揃ってる。リスペクト。デザイナー・ライター・プロマネなどパートナーも含めて、みんな個性的で輪郭がはっきりしていて気持ちがいい。
ぼくが、いわゆる「福祉」に関わろうと決めたのが2012年10月。きっかけをくれたのは河内崇典。しんちゃん、福祉やってみたら?向いていると思うで。オレら同い年やし、沖縄と大阪とで一緒にやろう。
彼はいつも言うのだ。オレたち同い年やん。1976年生まれやん。(そんなんで始められへんよ)と思いながら、そう言われるのは嬉しいもの。人間は理屈だけで動くわけじゃない。
ぼくは35歳だった。ノリだけでやってきた20代から30代前半。大小さまざまな怪我をするなかで、小利口になってしまっていたところもあった。当時は30名ぐらいの所帯だった。ともに働くメンバーに対する責任めいた思いも芽生えていた。どんな仕事も中途半端にやれることはないのだと、やっと気づきはじめた頃だった。
なぜなのだろう。とりわけ「福祉」には、中途半端に関わってはいけないと思っていた。
ぼくは、多岐にわたる領域に手を出していた。東日本大震災を自分ごととして捉えたのがキッカケとなって、自分がやれることは仕事づくり・雇用の場づくりだと思った。ストレッチして、ぼくができる仕事づくりにチャレンジしようと思った。
今津は何をやってるのかよく分からない。そう言われることは少なくなかった。確かにぼくは節操がない。目の前にあらわれてくる縁を仕事づくりに転換することにこだわった。他にやるべきことはなかった。
しかし、福祉だけは特別だった。それはカワウチが語る「福祉」の世界が、とても純粋で熱を感じさせるものだったからかもしれないと、今振り返ってみて思う。
ぼくは、ノリではなく、福祉をやるかやるまいか、を真剣に考えたのだった。結局は半年近くはウロウロと考えていた。しかし、どれだけウロウロしたところで、明確な答えは出てきそうになかった。
ぼくはちょっと困っていたこともあった。そして、何よりもぼくたちは同い年だったから、カワウチに「やる」と返信した。そして、彼の会社にメンバーを長期派遣するところから、福祉と関わる人生がいよいよスタートしたのだった。人生とは不思議なもので、そのときの出会いが人生を変えることがあるのだ、本当に。
その流れで、ぼくはいつしか彼の事業に関わることになった。彼が代表を務める会社の理事を務めることにもなった。あれよあれよと多方面に広がっていって、福祉のアマチュアだったぼくも、福祉経営の難しさと可能性を知っていった。それがどれほど尊い仕事であるかを知り、そこで働いている人たちの美しさや苦悩を知っていった。そのプロセスでF2Fも生まれた。
しかし、いまだにぼくは福祉の現場で働いたことがない。つまり、障がい者や高齢者、あるいは子どもやその親御さんと直接的に関わるような場や機会をもったことはない。
ぼくは、福祉の世界との関わりにおいても、やることはこれまでと変わらなかった。自分ができることをできる限りの全力で。体当たりで。アホまるだしでも仕方ない。もともと門外漢なのだ。気合だけは入れないと。そうやって身体を突っ込んで仕事をしてきた。その場の空気を吸わせてもらってるのだから、空気の分だけは貢献しないと。その美学は沖縄で生きたからこそ培ってこれたのかもしれない。
経験から世界観・人間観を磨いてきた。あとは気合と体当たり精神で、自分ができることをやってきた。創業者・経営者に、そのチームメンバーに、彼らの福祉経営に伴走してきた。採用、組織づくり、事業開発やブランディング、資金調達、事業承継や事業整理、アライアンスなど、必要だと思うことは何でもやってきた。
ぼくは福祉の専門家ではなかったが、誰かのためになんとかしたいと奮闘している彼らの世界観・人間観に共感するところは多かった。ぼくも経営者の端くれとして、彼らの気持ちがわかる気がした。彼らの力になりたいと強く思ったし、そう思わせるだけの何かが、彼らそして福祉の世界にはあった。ぼくはそうして彼らに場と機会を与えられ、自らを変化・成長させてきたのだ。
その延長線上に、今のぼくがある。
今、ぼくは福祉の世界をアップデートする試みにチャレンジしている。それが「ソーシャルワーカーズ・ラボ」(略称SWLab)だ。
福祉経営の伴走者としてではなく、この福祉の世界をアップデートしていくプレイヤーの一人として、ぼくは走っている。これまで伴走してきたカワウチやオオハラや、その他大勢のプレイヤーの同志として。まだまだその背中すら見えないが、彼らと横並びで立てる自分になろうとチャレンジしている。ともに価値を生み出していく一つの星を生み出したいと思っている。
もともと、ぼくは、福祉に興味関心などなかった。
大学時代は教育学部で、学部の掲示板には障害ボランティアサークルの案内なども貼ってあった。親しくしている同級生たちがそうしたサークル活動をやっているのを横眼で見ながら、なんでそんなことやってるんだろう?と思っていた。
そんなぼくだったはずなのに、日本の社会福祉のイニシアチブをとって挑戦している方々とご一緒する機会が増えた。
彼らと語らう時間が増えるなかで、この国で幸せに暮らしていくために、いやそんな仰々しい話ではなく、ぼくたち、そしてぼくたちの子どもたちが暮らす地域をどうにか健全に維持するために、バトンを受け取った最低限の責任を全うして次へとバトンを渡すために、まだまだプレイヤーが足りないということに気づいた。
未来構想も必要だろう。その構想を実現していくためのリーダーシップやマネジメントも必要だろう。福祉は自分たちの「小さな輪」では完結し得ない世界なのだ。多種多様なプレイヤーの主体性・当事者性を大切にしながら、ともに生き、ともに描き、ともに学び、支えあっていくまちづくり。そのイニシアチブをとっていく主体はどれだけ多数でも多様でも良いのだ。そして、少なくとも社会福祉法人あるいはNPO法人が担える領域はまだまだまだまだ広がっている。
そうして、昨年よりスタートした「ソーシャルワーカーズ・ラボ」は、ぼくたちが生きる地域社会をより良く維持・発展させていくための、あるいはアップデートしていくための社会実験プロジェクトだ。これから、この場に、もっと多種で多様な人たちに関わってきてもらいたいと思っている。
でも、一体何をどのようにやればいいのだろうか。答えが求めて焦る自分がいる。たとえば、これまで福祉に出会ったことがない大学生・若者と出会いたいと思うとき、彼らの存在を自らの実感から遠い世界に求めてしまう自分がいることに気づく。
そう言えば、今から10年ぐらい前までは、ぼくは大学生たちと四六時中一緒に過ごしていたんだった。彼らとともに会社をやってきた。彼らは弟妹のようであり、頼れる仲間だった。ルーツという会社は、大学生がいたからこそ立ち上がったのだ。
大学生だからこそ、できることがある。ぼくは大切なことを見失っていたのかもしれない。どこか奢っていたところがあったのかもしれない。
「ソーシャルワーカーズ・ラボ」に、学生メンバーがジョインしてくれた。8月から1人。9月から1人。そしてもう1人。京都大学のざわけん。北海道医療大学の鷲谷くん。大阪大学の山本楓華ちゃん。
ざわけんとは今年2月のぼくたちのイベントで出会った。賢いなぁと感心する。最近、彼の本気を感じる。普通の就職活動をするつもりはないらしい。卒業後はファシリテーターとして活動しつつ、自らが立ち上げた団体「越境ことはじめ」をやっていくのだろう。
鷲谷くんは、北海道当別の焼き鳥屋で出会った。同じオンラインサロンに入っていて意気投合。今はONEという学生団体をつくって地域の方々のためにできることを振り切ってやっている。メンバーも50人以上いるらしい。彼はいつも本気だ。気持ちがいい。
楓華ちゃんは、ざわけんがスカウトしてきた。大阪大学人間科学部の1年生。もともと障害領域に関心をもっていて、福祉の越境に関心があるらしい。先日19歳になったばかりとは思えない。それじゃあダメですなどと理路整然とハッキリと言ってくる。
さらに、今日は、以前から交流のある大学生からメッセージが送られてきた。東京大学4年を休学中の彼。やっぱり福祉のことを一緒にやりたいのだけど、やらせてもらえませんか、だって。待っていたよ、もちろんだよ。
彼らは大切な時間をSWLabというプロジェクトに預けてくれた。ぼくは一体何を彼らに返すことができるのだろうか。
ぼくの社会人生活は沖縄で始まった。そして、沖縄で暮らし、さまざまな仕事をするなかで、多くを学んできた。その経験をここで生かしたいと思う。
ぼくは大学生が好きなのだろう。おそらく。いや間違いなく好きなのだ。しかし、ちょっと油断すると、ぼくは老害になる。意識せずにいると、何かと偉そうにポジションどりをしようとする。しかし、それだけは勘弁だ。10代20代のぼくが、みっともないと思って軽蔑していた姿だ。そんな自分になるぐらいなら、彼らと関わらない方がマシだ。
ぼくは挑戦するのだ。彼らとともに。頼れるメンバーもいる。これまでご一緒してきた社会福祉領域の方とのご縁もある。自らの内側に巣食う常識や虚構の世界を越えていくのだ。またしても、こけるかもしれない。こけるのは怖い。できれば大怪我はしたくない。でも、あのときほどの怪我にはきっとならないだろうし、すでに古傷は癒える方向に向かっているし、御守りの大切さも理解している。
ぼくは120%おじさんである。そんなぼくがやれることと言えば、後輩がバッターボックスに立ち、思いっきりバットを振れる環境をつくること。そして自分が選んだメンバーが生み出す結果を引き受けることである(引き受けること、できるかしら。。。)。
それは、ぼくのプロジェクト・デザインであり、コーチとしての生き様であり、ソーシャルワーカーとしての流儀であり、ぼくの新たな挑戦である。ご興味ある方はご連絡ください。学生メンバーも募集してます。地域・年齢不問。
そんなことを考えながら、久しぶりに、昔の記事とかを読み直していたら、こんなことを言っていた。
「若い人たちは、パワーに満ち溢れていると思います。そのパワーをもっと社会に活かしていく機会をつくれればいいなと思ったのが、ルーツを立ち上げたときの想いでした」。
https://shigoto100.com/2016/02/roots-2.html
ぼくが大学生だった23歳の頃から、真に大切にしたい思いはここにあって、変わらないどころか、ますます力を増しているのかもしれない。
最後に、ざわけん、鷲谷くん、楓華ちゃんへ。大切なことを思い出させてくれて、ありがとう。オレもがんばるよ。
▼ソーシャルワーカーズ・ラボについて
https://note.com/swlab/n/nb58cccf6cc8f
▼大澤健(ざわけん)の「越境ことはじめ」
▼鷲谷建(鷲谷くん)の熱すぎるnote