come back! OUR WORLD
死にかけました。
戻ってきました。
もうだいじょうぶ。
今も、京都市内の総合病院にいます。
よくわからんのですが、多分、
今週末か来週早々には退院できるのではないかと思います。
4月25日から29日まで、
いわゆる集中治療室(ICU)。
気管挿入・人工呼吸器を装着。
4月25日日曜にロング会議があるってことで、
前日24日に京都入り。久しぶりの出張。
ここ最近、喘息症状が酷くなることが多く、
今回もそれほど調子は思わしくない。
出張も減らして、かなりケアしているんですけどね。
ホントは沖縄から外に出たくはないが、
やはり、ここはムリしてでも行かねばなるまい。
ここで行かねば、男がすたる。
25日早朝に目が覚める。
関係者が「こころの時代」に出演。
朝5時から、ぼおとしながら見る。
今回は市内の良いホテルに滞在。
朝食を6階の和食に向かう。やはり、体調は良くない。
なんとか食べるが、もう息も絶え絶えふらふらだ。
エレベーターを下りると、もう歩けない。
一歩も動けない。
フロントに助けを求めるために電話を鳴らす。
誰かが来てくれたようだ。
今回はこのホテルにしておいて良かった。
感染対策もあるが、ほかにもいろいろと気になってた。
ここにして正解。
なんとか呼吸を取り戻し、
9時半から約束している方にどうにか電話を入れる。
ホテルまで迎えに来てもらう。
彼は医者。申し訳ないが、今日は救急搬送をしてもらった方が良さそうだ。
この調子だと、今日の会議はムリだ。
さすがのぼくでも分かるぐらい酷い。
車で5分ほどの総合病院(急患)に搬送。
今日は日曜で、今は朝9時過ぎだろうか。
とにかくヤバい。
実際には、喘息をこじらせただけ。
ただの呼吸困難だ。
頻度は多すぎるが、沖縄でもたまにある。
先日は、3月の大型イベント2連発が終わった後、やってもうた。
エネルギーを燃やし尽くして、その後、やってもうた。
仕事仲間が沖縄に来てくれていて、
彼らを自己ベストでもてなした後、完全に死んだ。
そのままマンションに上がりきれずに、そのまま病院に行った。
でも、そのときは、それぐらいで済んだ。
入院は1週間ほどだったが、おおごとではなかった。
今回は、京都だ。
よく知っている医師が隣にいてくれている。
しかし、どうも都合が違う。
いつもより、やばそうな感じがある。
緊急対応をしてもらっている。
ドクターが3名ほど、看護師も5名ぐらいはいるだろうか。
しかし、この空気がやばい。
胸が押し潰されそうな感じがある。
「助けてください!」
ぼくは叫んだ。
いや、みなさんが助けようとしてくれてるのは分かってるんです。
でも、そうじゃないんです。。。
この圧がきついんです。オレはモノじゃないんです。
「Aさんを呼んでください!」
ぼくは叫んだ。
彼は内科医ではない。
それでも、彼が近くにいないと、やばい。
このまま、飲み込まれてしまいそうだ。
押し潰されてしまいそうだ。
手を握っていてもらっていたい。
あるいは、少しでも空気を和らげてもらえたら。
そこから、25日、26日、27日、28日、29日。
ぼくは5日間を集中治療室で過ごした(ようだ)。
気管挿管。
口から喉頭を経由して、気管内チューブを挿入して気道を確保する。
並列して、人口呼吸器を装着。
記憶はいっさいない。
ただ、両手両足がベッドに縛られていて、
まったく動くことができなかったことはよく憶えている。
ぼくは、ずっと、夢のなかにいると思っていた。
これが、あの「精神病院の構造」かと思っていた。
ぼくが動こうとすると、察知して、看護師が止めに来る。
しかし両手両足が縛られているのだ。
そして、ぼくは、これは完全に夢だと思っていた。
夢からの脱出方法が分からない。
でも、夢に違いない。夢以外にはありえない。
ぼくは、どうしたら、この状況を脱することができるのか。
ぼくは、その方法を探る。
しかし、ナースは少しでも動こうとしたら、それを察知し止めに来る。
病院の匂いがする。
そして、目の前には幻想空間というのか、
妄想空間というのかが広がっている。
おしっこをすることもできない。
眠ることもできない。
ぼくは完全に無力だった。
でも、これを現実だとは思っていなかった。
ぼくは、この夢から、早く脱しなければならない。
そして、動き始めなければならない。
なぜ、自分がこうなっているのかはわからないが、
自らの夢の世界に閉じ込められている。
これは夢で妄想の世界だ。
目が覚めたとき、4月30日だった。
日付感覚などはもちろんなかった。
ナースは聞いた。
「何日かわかりますか?」
わかるわけがない。
ぼくは、自らの身分情報、そして携帯を取り戻さなければならないと思っていた。
目の前のナースを欺いてでも、この情報を手元に取り戻さねばならない。
ナースが隣にいるICU患者とやりとりしている。
おそらく初老のおばあちゃんだろう。
そこで話されているのを聞いて、ここの病院名だけは憶えていた。
ぼくは、ここに誰かに来てもらわなければならない。
あの人に、ショートメッセージを送ろう。
「京都〇〇▲▲病院」の「緊急治療室」と。
ぼくは、ナースとなんとか話して
とにかく免許証と携帯の実物を見なければならないんだ!
という思いを伝え、その条件は引き出した。
ぼくは実際のところ自分が誰なのか、わからなくなっていた。
おそらく、今津新之助だが、そうじゃないかもしれない。
しかし、ぼくが誰だとしても、ぼくはこのまま縛られたまま、
ベッドに眠り続けるわけにはいかないのだ。
とにかく、両手両足に縛られた枷を外さねばならない。
4月30日の朝9時過ぎだったか、
顔を見たことのあるドクターが来た。
女性だ。
「わかりますか?」と尋ねる。
はい。
「あのまま昏睡になり、ICUに入っていました」
え。頭が追いつかない。
でも、そうなのかもしれない。
そう言われたら、そんな気もする。
そうだったんだ。
身体があまりに重たくて、動かない。
ほぼ全く動かない。
自分の身体だとは思えない。
「気管挿入して、人工呼吸器して、全身麻酔して、5日休まれていました。
身体が完全に休んでいる状態です。しばらく動かないと思います」
彼女のことを、思い出していった。
ぼくを、なんとか助けようとしてくれていた。
発作が起こっているとき、酷い言葉を投げかけた相手だった。
彼女はニコッと笑った。
これ、夢じゃなかったんだ。と思った。
まさに、九死に一生。
なんとか一命を取り留めた。
この後、ぼくは状況を一つずつ理解していくことになる。
もう激しくギリギリのレベルだった。
明らかに死に足を突っ込んでいた。
いつものギリギリとはまったく次元が違っていた。
身体が重い。
重いというか、ほぼ動かない。
歩けるとかそんなレベルではない。
リハビリにどれくらいかかるのだろう?
携帯電話など触れる状況ではない。
そもそもメッセージを打つことができない。
「すみません」「ありがとう」を打つことができない。
しかし、とにかく。
ぼくは一命をとりとめた。
沖縄の家族には連絡が入っているようだ。
緊急搬送してくれた医師からも、仕事仲間に連絡を入れてくれている。
大切な仲間からもメッセージが来ていた。
返信しようと試みたが、今はその元気はない。
すっかり、浦島太郎だ。
曜日感覚も時間感覚もない。
しかし、とにかく、ここから始めていくしかない。
この限りなく重たさを感じる身体を、
これから、どのように、生かしていこうか。
与えてもらった残りの生命、どのように生きていこうか。
そんなことが頭のどこかにありながら、
思考はほぼ全く動かない。
今は、ベッドにはり付いて、眠っておくことしかできそうにない。
これまでも懸命に生きてきた。
そして、今日まで生きてきた。
今回、自らが救われた意味をどことなく思った。
これからは、モードを変えて生きていくことになる。
きっと、これがラストチャンス
それらをぼおと感じとってはいたが、
まだ思考も身体も追いつかなかった。