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僕の本が、別の本にも向かっていける武器になったなら
(このインタビューは2014年2月26日に掲載したものです)
ライターの僕は、とある猟奇殺人事件の調査を進めるうちに、その異様さに震撼し始める——復讐劇でありながら純愛、本格ミステリーでありながら純文学である中村文則さんの最新長編『去年の冬、きみと別れ』には、200ページ弱の中にミステリーの伝統的な3つのトリックがつめ込まれているといいます。そして、そこには“小説ならでは”の魅力もしっかりつまっていました。予測不能のサスペンス映画、『去年の冬、きみと別れ』が絶賛公開中です。
“踏み込んではいけない領域”を侵した人がいるから小説ができた
—— 『去年の冬、きみと別れ』ですが、語り手の心理とシンクロしながら「超えてはいけない一線」のそばまで押しやられる切迫感に、ページをめくる手が止まりませんでした。書こうと思ったきっかけは?
中村 最初のアイデアは、真ん中に出てくる太字の言葉です。<きみは誰だ?>と。ちょうど物語の真ん中であの言葉が出てきて、その瞬間に小説そのものが変化する。それまで読んできた文章の意味もすべて変わる、という構想が最初にありました。
—— その構想自体が、ミステリーですね。
中村 次に考えたのは、純文学的テーマです。“人が踏み込んではいけない領域”に、行ってしまった人と踏みとどまった人がいる。その違いは何なのか、その一線を、人はどういう心理変化で越えるのか?
人間って、自分の欲望をすべて知ってるとは限らないんですよ。内面を探れば、本人も気づいていない欲望が必ず何かある。自分でもわからない欲望に惑わされる、というか、人生をコントロールされてしまう、そんな状況に陥った人間の心理を書いてみたいと思いました。
—— 特に注目したいのが<ぼくにはお父さんもお母さんもいません>という一文で始まる、10歳の男の子の作文です。彼はある日、見知らぬ女の子がお父さんとお母さんと手をつないで歩いている姿を見て、不思議な感情を抱きます。「なんで、あの女の子が、ぼくじゃないのかなとおもいました」。“偽物と本物”という本作のテーマに大きく関わる一節ではないでしょうか?
中村 そうですね。幸せなそうな少女を見て、「なんであれが僕じゃないんだろう」と思った時に、自分の風景が全部ヒビが入って見える。でも、自分はこの不完全な世界に居続けなきゃいけない。
—— 少年はこの世界から脱したくて、向こう側に行ってしまうという。
中村 登場人物の一人はそういった意志を持って、ヒビ割れた、退屈なこの世界に踏みとどまりました。でも、向こう側に行ってしまった人もいる。その人物が行ってしまったがゆえに、ひとつの小説ができたんです……って言うと、キザかもしれないけど(笑)。
ミステリーの伝統的な3つのトリックがこの薄さに!
—— ミステリーなのでネタバレには気をつけたいところなんですが、さきほどまでの話は記事にして大丈夫ですか?
中村 全然大丈夫ですよ。もう一つのテーマも言っちゃうと、人形師が「あってはならないものを作りたかった」という意味のことを言う。この言葉が、この本全体を読み解くヒントです。実はミステリーの伝統的な3つのトリックを、200ページ弱という薄さで書いてるんです。なかなか他にいないんじゃないかって僕は踏んでます。だから……ずいぶん頑張ったんです(笑)。そしたらこの本も、幻冬舎がいっぱい売ってくれました(笑)。
—— 「この薄さで」というのがポイントですよね。さまざまなテーマやトリックを「この薄さで」実現するためには、物語の濃度、文体の密度を高める必要がありますよね。
中村 この本を書くために、自分なりにミステリーをいろいろ読んでみたんです、トリックがかぶっちゃいけないと思って。その中にはもちろんおもしろいのもあればおもしろくないものもあり、「なぜここはこうなんだろう?」「僕だったらこう書きたい」と思うところがありました。それは、自分が純文学作家だから思うことかもしれない。
ミステリーのトリックって、凝れば凝るほど現実離れしていくんですよ。僕の感覚的には、「そんなわけあるか!」となる。でも、ミステリーの読者はそのへんは気にせずに純粋にトリックを楽しんでいる。
—— 「ミステリー時空」と呼ばれることがありますね。ミステリーの世界はそもそも、現実とはちょっと違うものなのだ、と。でも中村さんは、あくまでも現実の中で書きたかった?
中村 その通りですね。例えばなんですが、変装なんて無理ですよ。実際にはあり得ない、できるわけがない。でも、それがトリックの要を成すという作品が、ミステリーの古典にはいくつかあります。
そういうものは純文学作家としては無理で、僕らはリアリティを絶対に求めなきゃいけない。でも、リアリティを求めるとトリックが弱くなる、トリックを強くするには無理が出てくる、イコール、リアリティがなくなってく。「さあ、どうするか?」と。
—— そこで普通は「どっちか」を取るしかない……となってしまう。
中村 その解決策として、これが×××だってことにすればいろんな問題がクリアされるんじゃないかと……。
—— その大ネタは、さすがに書けません!(笑) でも、そこには“小説ならでは”のおもしろさが宿っている、ということだけは伝えたいですね。
中村 わざわざ本を読むんだから、小説でしか味わえないものを体験してもらわなきゃ意味がないんですよ。他のジャンルでは表現できないことをやって、「これはテレビとか映画とかネットでは味わったことのないものだ」という感覚を読者に持ってもらえなければ、小説を書く意味がない。そこは僕自身、常に意識しているところです。少しずつでも、読書を楽しむ層全体を底上げしていければとは思っていますね。
—— たまたま読んだ本が合わなかったり、なんとなく苦手意識を持ってしまって、「小説は読めない」と思っている人って意外と多いと思うんです。でも、一冊の出会いで変わるものなんですよね。「読めた!」「ハマった!」ってなる一冊と出会えたら、小説というジャンルへの親しみを覚えて、他の本も読めるようになる。その「一冊目」でありたいという意識ですよね。
中村 そいう気持ちは強いですね。実際、「初めて小説を最後まで読めました」という感想をもらうことは多いんですよ。みんな、びっくりするみたいです。
『何もかも憂鬱な夜に』とかを読むと、「ここまで暗いことを書いていいんだ!」みたいな驚きがあるみたいです。「小説ってすごいんだ!」と。その時こそ、その人の読書体験の武器みたいなものが1つ手に入る瞬間だと思うんですよ。僕の本が、別の本にも向かっていける武器になっていたら、こんなにうれしいことはないですね。
構成:吉田大助 撮影:吉澤健太
さらなるインタビューが、dmenuの『IMAZINE』でつづいています。
「自分の中に危ういものを抱えながら書いたからこそ描けたもの」中村文則
ぜひこちらからお読みください。
「去年の冬、きみと別れ」
3月10日公開 (C)2018映画「去年の冬、きみと別れ」製作委員会
『去年の冬、きみと別れ』中村文則/幻冬舎/1,365円(2013/09/26)
『掏摸(スリ) 』中村文則/河出文庫/494円(2009/10/10)