樋口毅宏【前編】一盗二卑三妾四妓五妻から始まる物語
(このインタビューは2015年2月12日に掲載したものです)
「上司の妻を寝取ってやる!!」そんな物騒な文句が帯に踊る、スリリングで官能的な恋愛小説『愛される資格』が話題を呼んでいます。著者の樋口毅宏さんは、エンタメ小説『さらば雑司ヶ谷』からベストセラーとなった新書『タモリ論』などで知られ、さまざまな週刊誌でのコラムなど、カルチャー界隈でひっぱりだこ。そんな樋口さん渾身の作品にたぎった、“しょうもない男たち”への思いの丈を伺いました。前編は、セックスこそ男女の戦い、命のきらめく瞬間である……というお話です。
『愛される資格』樋口 毅宏
あらすじ:大手文具メーカー「あねちけ」に勤めるうだつの上がらないサラリーマン・富岡兼吾は、普段から自分に厳しい昭和の体育会系上司・下永良一に不満を持っていた。ある日、酒に酔った下永を家まで送ることになった兼吾は、下永の妻・秀子と出会う。そのとき、兼吾の心に復讐のためのある企みが芽生えたのだった——。
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「……俺、この歳になっても、自分が何者になりたいかわからない。悲しいことに俺は天才じゃなく生まれてしまった。こんな普通の人で、才能もなくて、どう生きていけばいいんだろう。子供の頃から思っていたし、今もだ。ヘンでしょ? ガキみたいじゃない?」
秀子は即答する。
「天才にはなれなくても、“愛する人”にはなれるよ。それじゃダメなの?」
「“愛する人”?」
「うん。ひとりの人を、一生愛し続ける人。天才だってできないと思うよ」「うーん、秀子の言わんとすることはわかるけど、俺、男だから。やっぱ仕事とかで頑張らないと、自信が持てないというか、アイデンティティーが確立できないんだよ」
「女も、愛されるだけじゃオッケーじゃないよ」
「そうだろうけどさ」
「ところで」
「はい」
秀子は顔を近づけてくる。
「私たちは、出会って良かった? 会わなきゃ良かった?」
——『愛される資格』P162より
セックスシーンから始まる物語
—— 冒頭、過激なシチュエーションのセックスシーンから始まるお話に驚きました。上司の妻との濃密な逢瀬が描かれるという……。
樋口毅宏(以下、樋口) あははは、どうもすいません! 本当はね、全然違うシーンから始まる予定だったんですよ。
—— どんなシーンでしょう?
樋口 黒澤明の「天才とは、要するに記憶力なんだよ」と語ったというエピソードからの予定だったんです。だけど、連載していた『週刊ポスト』の編集者2人にまるまるカットしろと言われまして。つかみとしてセックスシーンから始まることになったんです。
—— そのエピソードは物語の終盤に登場しますね。愛にまつわる記憶を紐解きながら、「愛の記憶力」という言葉と共に「愛する才能」と「愛される資格」を問い直す。
樋口 そうですそうです。
—— しかしまあ、たくさんのセックスシーンがでてきますね!
樋口 これでもカットしたんですよ……。さすがにすこし時間が立ってから読み返してみてね、「俺は何なんだ、どれだけ欲求不満なんだ」と突っ込みたいぐらい入っていて(笑)。それでもまだ多いですね。
—— 盛りだくさんです(笑)。第一部「修羅の道へ」では、憎き上司の奥さんを寝とろうと画策していく。
樋口 どうしたらより多くの読者が喜んでくれるシチュエーションかということを考えた時に、やっぱり一生懸命働いて、会社員やっていて、多くの人が思うのが、ムカつく上司、自分のことを会社のなかで評価してくれない社会に対して、うっぷんを晴らすことかなと。それなら、その上司に対して一番復讐できるのが、上司の奥さんを寝盗ることだろうと思って書いたんですよね。
—— 「一盗二卑三妾四妓五妻(いっとうにひさんしょうしぎごさい)」なんて言葉が出てきます。
樋口 昔からあることわざのようなものですね。男女の関係で一番興奮するのが、人の奥さんなり彼女を盗む。二番目に今は差別用語になるけど女中さんとか、お手伝いさんとか。3番目に芸者、四妓が妾、まあ愛人ですね。5番目にやっと奥さん。いやあ、ひどいな!
—— うーん、ひどい……。
樋口 どんなに男女平等を訴えようと、フェミニストが目くじらを立てても、人間の欲望を現した言葉は残りますよ。いくら言葉狩りをしてもね。僕はこの言葉を高校生のとき、「週刊プレイボーイ」で連載していた開高健の「風に訊け」という人生相談で知りました。
—— 開高健さんは、この言葉を肯定的な意味で使っていたのですか?
樋口 どうだったかな~? まああの時代の男と、現代の男のメンタリティーはまったく違いますからね。連載当時(1980年代)は、夫が奥さんの家事手伝いをするとか、イクメンなんて発想はなかった時代です。そういう価値観は時代とともに変わってきますからね。
—— 確かに昔は非常識でも、今は許されることとか、その逆もたくさんありますね。
内圧に対して牙を剥く、男の復讐劇
—— 最低な主人公だなって思いながら読み進めるんですけど、至る所に笑える話やハッとする話があって、のめり込んでるんですよね。全体としては、名作映画「タクシードライバー」の復讐のような……。
樋口 そうですね、「タクシードライバー」のトラヴィスですよ、ロバート・デ・ニーロの演じた。ベトナム戦争から帰ってきて、タクシー運転手の職にありついた男。だけど私生活では女性との付き合い方がわからない。
それであるとき、知的な美人とデートをすることができたけど、どう振る舞っていいのかわからない。ちょっと背伸びしておしゃれな美術館でも小粋なレストランでも連れて行けばいいのに、通い慣れたポルノ映画館ですよ。それで女性は怒って帰っちゃう。でも、なんで怒って帰ったのか、主人公のトラヴィスにはそれさえわからない。
—— 不器用ですね……、わかる気がします。
樋口 つくづく生き方が下手な男。『愛される資格』の主人公も自分を抑えつけようとするものに牙を剥こうとしているんです。初期の北野武監督作品もそうですよ。あの主人公たちは、ダメでモテない、行き場のない俺たち男なんですよ。
—— 『タモリ論』でも、武さんのことを語っていますね。
樋口 映画「その男、凶暴につき」もそうだし、「ソナチネ」もそう。「ソナチネ」は、オープニングから寺島進に対して、「ケン、ヤクザやめたくなったな」って言うんですね。生きるのが面倒臭くてしょうがないの。鬱屈した男ですよね、僕もそうだし。
—— 作中でも、主人公は冒頭、満員電車に揺られながら……
樋口 そう。「俺は人とは違う、特別な人間だ。だけどこうやって朝からすし詰めの通勤電車に揺られている。特別でも何でもないじゃないか」というくだり。
—— 自分が凡庸な男である、ということをなかなか受け入れられない。
樋口 僕もサラリーマンのときは、ずっと電車に揺られていました。もう満員電車には乗らないけど、いまだにあのモヤモヤは胸に残っています。
—— そうなんですね。
樋口 「女、子ども」なんて言ったら今の世の中怒られるけど、あえて言わせてもらうと、僕は女、子ども向けに書いていない。僕は僕のような、うだつのあがらないモテない男に向けて、俺たちがんばろうな、牙研いでおこうな、今に世間をあっと言わせてやろうぜって、思いながら書いてるんですよね。
生きてる実感こそはセックス
—— そんな男にとって、唯一合法的な世界への復讐は、この物語にあるように、復讐がてら女の人とセックスすることなんでしょうかね。
樋口 いや、まあ、正直なところ、生きてて一番楽しいのって、可愛くて綺麗な女性とセックスしているときじゃないですか!
—— あははは。
樋口 あれのために生まれてきたわけで!
—— セックスシーンは、名言のオンパレードですよね(笑)。
樋口 そうですか?
—— 「ふたりの中で、時間が止まる。宇宙が泣いた、銀河が散った」……ですよ!
樋口 ああ、車田正美さんの「リングにかけろ」のオマージュですね。
—— なぜボクシング漫画がセックスシーンに……。
樋口 ボクシングもそうだし、拳と拳で会話をするような、命がけの戦いをしているときは、男と女で言ったらセックスをしているときなんですよ。命がきらめく瞬間。
—— セックスもある種、戦いというか。
樋口 そんなときもあるよね。極上のコミュケーションのときもあるし、命の火花を散らす、魂が輝く瞬間でもあるよね、って……、お前そんなにすごいセックスしてるのかって思われるけど(笑)。
—— いやいや、してらっしゃるんでしょう(笑)!
樋口 思ってるの僕だけで、女性のほうは内心「早く終わんないかな~」って思ってるかもしれない。
—— いやいや、これだけのセックスシーンを描くということは、樋口さんもめくるめくセックスをしていることでしょう。
樋口 何ですか、その棒読み! いやー、自分の願望ですよ。女性のほうからは、「あーあ、またワンパターンだなあ」って思われているかもしれないよ。
—— ハハハ、いや、笑えないですね……。
樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社に勤務したのち、2009年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補・第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補。他著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『タモリ論』などがある。
構成:中島洋一 写真:吉澤健太
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