平野啓一郎【後編】「ページを捲りたくなくなる」物語を書きたかった
(このインタビューは2014年8月19日に掲載したものです)
懐古的な文体で話題を呼んだ芥川賞受賞作『日蝕』を含むロマンティック3部作や、ネット社会における「殺人と赦し」を追求した『決壊』、自らが提唱する「分人主義」の集大成『空白を満たしなさい』など、さまざまなテーマと手法で創作に取り組んできた小説家の平野啓一郎さん。最新中短編集『透明な迷宮』では、いったいどんな切り口で挑んだのか。後編は、「ページを捲りたくなくなる」小説を目指した意図や、震災を経て変わってしまったという時間感覚についてお話を伺いました。
平野啓一郎『透明な迷宮』(新潮社)
【あらすじ】
「ここで、見物人たちの目の前で、愛し合え──」深夜のブダペストで、堕落した富豪たちに衣服を奪われ、監禁されてしまった日本人の男女。あの夜の屈辱を復讐に変えるために、悲劇を共有し真に愛し合うようになった二人がさまよい込んでしまった果てしない迷宮とは? 美しく官能的な悲劇を描く最新小説集。
担当編集者の太鼓判!
重厚長大な作品を書かれる作家というイメージを持たれることが多い平野啓一郎さんですが、本書はとても読みやすく楽しめる作品集なので、どの本から読めば良いのか迷ってしまう平野作品の入門編にオススメです。短いものではたった6ページの小説ですが、今まで自分が知らなかった世界に連れていかれること間違いなし、です。是非ゆっくりとページを捲って物語の世界に身を浸す喜びを味わってみてください。(新潮社 桜井京子)
だいたい世の中と反対のことを考えている
—— 平野さんは、本の帯に〈「ページをどんどん捲りたくなる小説」ではなく、「ページを捲らずにいつまでも留まっていたくなる」小説〉とご自身で書かれていますね。
平野 いま、本屋に行くと「ページを捲(めく)る手が止まらない」っていう売り文句が帯やポップに躍っているじゃないですか。でも、みんなの手が、そんなふうに止まらなくなっている光景を想像すると、恐いというか気持ち悪いというか……当人は楽しんで捲ってるように見えて、じつは捲らされてるみたいな感じがあって。
—— 僕はこの平野さんの帯文が、ものすごいスピードでニュースやコンテンツが消費されていく時代に対するカウンターのようにも見えたんですよね。
平野 現実世界のテンポと地続きで、本も短時間で読めるものがありがたがられている部分もあるかもしれませんね。でも、僕の読者のなかには、意外と『葬送』みたいな長いものでも「終盤はページを捲るのがもったいなくて、読み終わりたくなかった」といってくださる方が多いんです。もちろん、「あっという間に読んだ」っていう感想も嬉しいんですけど、僕自身、本当にいい本を読んでいるときは、たとえば旅行が楽しすぎて家に帰りたくなくなるような気分なんですよね。
—— わかります。現実に戻りたくない感じ。
平野 だいたい僕は世の中と反対のことをいつも考えているので(笑)、「ページを捲る手が止まらない」本がもてはやされるいまだからこそ、「ページを捲りたくなくなる」小説を書いたほうがいいんじゃないかと。
—— 僕は、本作におけるディテール描写の巧みさも、物語に長居したくなる気持ちを生んでいるように思いました。ディテールの存在感とでもいえばよいのでしょうか。
平野 いま、1日の生活のなかでバーチャルな時間がどんどん増えてるので、もうちょっと物質的ないし身体的なものを身近に引き寄せたいなと。
あと、「ページを捲る手が止まらない」本には、すごく人工的な仕掛けがあるんですよね。これみよがしに伏線を張って、読者に回収を急かすみたいな。そうじゃなくて、物語の世界に浸りながら、「自分がこういうシチュエーションになったら、どうするかな?」と、想像しながらページを捲っていく感じにしたかったんです。
—— ディテールにこだわっている分、プロット自体はわりとシンプルですよね。ものすごいどんでん返しがある作品もあるんですけど。
平野 ここ何年か書いてきた長編小説は、『ドーン』が極めつけですけど、情報量がかなり多いんですよ。そういう膨大な情報を処理しながら読み進めるには、ヘタをすると読書のアスリートみたいな能力を求められるところがあって、だからある意味で「ページを捲る手が止まらない」仕掛けも必要になってくる。でも、今回は情報量は減らして、物語の起伏をじっくり体感できるようにしたかったんですよ。
変態を変態として書かない立派さ
—— 本作は、「愛」がひとつのテーマになっているわけですが、その対象も人であるとは限らない。火に恋してしまう青年が主人公の「火色の琥珀」で描かれるフェティシズムも、なかなか強烈ですね。
平野 僕は『日蝕』で焚刑に処されるような人の話を書いていますし、自分でも火に対する執着みたいなものがあると思います。火の揺らめきには、女性的な、艶かしさがありますし。
—— 根性焼き(煙草の火を皮膚に押し当てること、またはその火傷痕)をキスマークに見立てるって、わりとド変態の発想ですよ。
平野 そういうのを書いてると、だんだん楽しくなってきて、自分のなかにもそういう願望があるんじゃないかって気がしてくる(笑)。
—— 主人公はある女性と関係を持つに至るわけですが、火にしか欲情しないから、ベッドの上では不能じゃないですか。でも、その女性の部屋にあったあるものを見て、下半身に変化が起きるという。あそこは思わず噴き出しました。
平野 あれもだから、主人公になりきって、そのシチュエーションの中でどうするか、必死で考えたんです。で、もうワラにもすがる思いで描いたというか。作者ながら笑ってしまいましたけど。
—— 三島由紀夫の『仮面の告白』や『金閣寺』を思わせるような、洗練された文体で書かれていますけど、そこはかとないユーモアを感じました。ただ、それは決しておかしな性癖を持つ人をバカにしている感じではなくて。
平野 以前、宗教人類学者の植島啓司さんが、僕の『顔のない裸体たち』という小説をすごく褒めてくださったんです。
ただ、ひとつだけ不満があるとおっしゃったんですね。この小説は、自分たちのセックス動画を顔だけ隠してネットにアップして人気者になるカップルの話なんですけど、物語の最後、ふたりが幸せにならずに終わるんですね。植島さんは、そこがイヤだったと。そういう趣味の人たちがそのまま幸せになる話でよかったんじゃないかみたいな話をされていて、僕はそれがすごく心に残ってるんです。
—— 非常におもしろい指摘ですね。
平野 で、僕は谷崎潤一郎が好きなんですけど、谷崎って、『痴人の愛』を書くまでは、はっきりいってB級作家というか、のちのノーベル文学賞候補になるような谷崎とはずいぶん違う。主題的には一貫してるんだけど、その違いはどこにあるのかとずっと考えていて、あるときこう考えたんです。
谷崎は、『痴人の愛』を書くまでは変態を変態として書いているんですけど、『痴人の愛』以降は、変態を普通のことのように書いてる。やっぱり、そこが立派だったんじゃないかと。
—— 変態の変態性を煽らない、みたいな。
平野 そういうことを考えていたときに、今度は都築響一さんとお話しする機会があったんです。都築さんも、エロ本にもう何年にもわたってエロイラストを投稿し続けている人に注目したりとか、御本人自体が変わった人ですが(笑)、そういう人たちと会うときに一番大事なことは、とにかく「下から目線」で接することだとおっしゃっていたんです。すごいなぁという気持ちが大事で、「上から目線」でアプローチするのは最低だと。
その話と、いまいった植島さんと谷崎のことが僕のなかで結びついて、「火色の琥珀」も、そういう書き方にしたいなと思ってたんです。
—— 傑出した変態には、見下すどころか畏敬の念を抱いてしまうような気がします。
平野 そう。生きにくいものを抱えながら、誰に迷惑をかけるわけでもなく自分の世界を守ってるっていうのは、もう、仰ぎ見るしかないですよ。
小説は結末よりもプロセスがおもしろい
—— 『透明な迷宮』でもうひとつ強烈だったのは、個人のなかで時間の感覚おかしくなっていく様子を描いた「Re:依田氏からの依頼」です。
平野 僕の時間に対する考え方は、やっぱり、震災でひとつ大きく変わった気がするんですね。たとえば、被災地でまだ仮設住宅で暮らしている人たちの1日と、東京で半ば震災のことを忘れて忙しくしている人たちの1日の長さは、体感的にはぜんぜん違うだろうなといつも感じていて。
その一方で、放射性廃棄物の処理は10万年先まで考えろとかいうでしょ。でも、そんなタイムスケールは自分の生活のなかには絶対ないし、そもそも人間の限界を超えてるんじゃないか。意識すると、自分の時間感覚がどんどん狂わされていく。あと、僕は「分人」の比率の話をよくするんですね。
—— 分人とは、平野さんご自身が提唱された、人間は分割不可能な個人(individual)ではなく、複数の分人(dividual)であるという考え方ですね。たったひとつの「本当の自分」というものは存在しなくて、人には対人関係ごとに見せる複数の顔があり、それら全てが「本当の自分」であるという。
平野 そうです。で、自分が死ぬときに生涯を振り返って、自分の好きな分人でいられた時間の比率が高ければ、まあ悪くない人生だったと思える気がするんです。
逆に、不本意な分人を生きさせられた時間が長いと、悔いが残るんじゃないかと。それって結局、いまこの瞬間にどの分人を生きるかという問題でもあって、そういう意味でも分人という考え方から時間というキーワードが出てきたんです。単純に長さなのか、それとも濃度というか密度というかそういうものなのか。
—— なるほど。そもそも文学自体も時間芸術ですよね。時間の経過とともに表現されるという意味でも、作中で時間の経過をどう表現するかという意味でも。
平野 やっぱり僕はプロセスに関心があって、同じ結末でも、プロセスが違えばまったく印象が変わってしまうとか、それをどういう時間感覚で享受すれば楽しめるのかとか、そういうことを考えてしまうんです。物語の起伏のなかでどういうふうに人間の精神が変化していくのか、と。
小説って、どんどんページを捲って結論にたどり着いて「ああ、おもしろかった」じゃなくて、本当はそれを味わうプロセスが一番おもしろいんです。個人的なものと物語とが練り上げられていくから、未知の世界を体感できるし、それを自分のものにできるんじゃないでしょうか。
(おわり)
構成:須藤輝、撮影:吉澤健太
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