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映画「花束みたいな恋をした」 感想
「UNOで最後の一枚になった人に、『はい、今UNOって言わなかったー、2枚とってー』って言うの、あれされるのは少し嫌です」
坂元裕二の良さが凝縮されたセリフである。嬉しいとか悲しいとか、そんな簡単な言葉では表しきれない複雑な感情。そんな感情をありふれた日常の一瞬を切り取って、ドンピシャに表現してくる。美しくて、無駄がない。だからこそ、坂元裕二の言葉は心にストン、と落ちてくる。おそらく彼だったら、200色ある白のそれぞれの違いを、目の見えない人に説明することだってできるだろう。
恋愛ドラマが陳腐になりがちなのには、2つの原因があると思う。
まずミステリードラマや医療ドラマと違って、設定を派手にしにくい。最恐のサイコパス犯罪者が次々と人を襲っていく恐怖感や、絶えそうな命を前に奮闘する医師の緊迫感は、恋愛ドラマでは出しづらく、そのため1時間や2時間という決して短くない時間、視聴者の目を惹きつけ続けることは難しい。なんとか差別化したい、と案を捻り出した結果、40歳と20歳の禁断の恋、人魚と人間の禁断の恋(本当にあった)など、むしろ見るに耐えない設定がなされるのが、ここ最近の傾向としてある。
もう一つ、感情の演技が難しいのが恋愛ドラマの特徴だ。好き、戸惑い、葛藤、でもやっぱり好き。派手な場面が少ない分、こうした感情の変化が大事になる。絶対失敗しない医者やサイコパスな殺人者といった、ある意味わかりやすい、一貫性のある役に対して、恋愛ドラマでは、気持ちの微妙な変化を表現しなければならない。だから慣れていない俳優さんがやると、残念ながら深みのないドラマになってしまうことが多々ある。これは脚本についても同じで、感情の揺れが綺麗に表現されていないと、山場のない安っぽいドラマになってしまう。もちろん私は演技なんて全くできないわけで、だから俳優さんの演技や脚本の出来にあれこれいうつもりも資格もない。ただ、どうしても、俳優さん、脚本家の実力の差が、素人目でもはっきりわかってしまうのが、恋愛ドラマの特徴なのだ。
「花束みたいな恋をした」は、この二つの障壁を突破した、面白い恋愛ドラマの一つだろう。キラキラした王子様が出るのでもなく、禁断の恋でもなく、むしろ私たちが経験する可能性があるくらいの無理のない設定(もちろん有村架純や菅田将暉レベルの人が日常にいることはないが)。終電に間に合わなかったことをきっかけに出会い、一緒に本を読んで、映画を見て、ガストでドリンクバーを飲みながら、徐々に関係が深まっていく。ストリートビューに映る自分の姿を見て、ちょっと盛り上がる。気張らない日常を切り取り、視聴者に親近感と没入感を与える。こういうことよくあるよね、と共感できる場面が多いのも坂元裕二脚本の特徴だ。そして主演は菅田将暉と有村架純。演技力は申し分なく、バランスもちょうどいい。変にキラキラしすぎず、その人だけ浮いちゃう、ということもない。特に菅田将暉は、感情を表現することがとても上手い。映画の後半、社会人としての責任が芽生え、いまだに学生のように自分の好きなことを続ける有村架純に怒り、恥ずかしさ、もどかしさを感じながらも、かつて自分が持っていたはずの感受性が失われていっていることの自覚、それに対する悲しみ、虚しさ、そして有村架純への嫉妬、羨望。菅田将暉の演技からは、ちょっとした場面でもこれだけの数の感情を感じ取れる。
恋をして、付き合って、でもお互い環境が変わって、徐々に気持ちもすれ違って、最終的には別れた。要約したらただそれだけの内容である。どこにでもありそうなストーリー。でも、面白く、満足感がある。明らかに他のドラマや映画とは違う深みがある。繊細で、美しい。これだから坂元裕二の作品はやめられない。来週公開の坂元裕二作品、「ファーストキス」も楽しみだ。