見出し画像

木内昇の『万波を翔る』 に見つけた      上司からの沁みる言葉

木内昇(のぼり)という女性作家を知ったのはテレビの歴史番組でだった。番組名はもう忘れてしまった。彼女のコメントが面白かったのだろう。長編小説の『万波を翔る』を読んだ。読後の爽やかさがいい。品のいい生わさびのように胸がツーンとする。

開国か、攘夷か。佐幕か、倒幕か。そんな疾風怒濤の江戸最末期に新たに設けられた外交部局。幕府内の因襲と保身、薩長との暗闘、朝廷の影、百戦錬磨の外国列強代表たち・・・四方八方敵だらけの中で苦闘する近代日本外交をになった幕府の官僚たちの物語である。

明治以降の薩長政府史観が描いた幕府外交なんぞ、外国の威嚇の前にオロオロしきり、優柔不断の腰抜け外交というイメージでしかない。確かにそういう一面もありつつも、幕府の外交国防をになったものの中には、個性的な俊才があまたいた。勝海舟もその一人だが。彼らは知略の限りを尽くして未曾有の困難に立ち向かっていたのである。

物語の主人公は、田辺太一。実在の人物だ。優秀で真っ直ぐ、納得できないことに対しては誰であれ遠慮なく物を言う若者である。この物語はそんな迸るようなエネルギーを持ったゴツゴツした心象の若者が、矛盾だらけの中、外交官として逞しく成長していく姿を描いている。

そんな太一の上司、外国奉行。今でいう外務大臣か、外務事務次官か。こういうポストにつくのは幕府でもよほどの実力者でもあり、またババを引かされる不遇の人でもある。まさに内憂外患のとき、世論におもねり、朝廷に忖度し、外国の威嚇を畏れ、動揺を繰り返す幕閣たちに、奉行たちの苦悩は、太一の煩悶どころでなかっただろう。

そんな上司たちが、太一にかける言葉がいい。

今のコロナウイルス感染拡大とオリンピックをめぐる状況だからか、いっそう胸に沁みる。

「こののち、もしそなたが勤めを究めたければ、批難に刻を割かぬことじゃ。他者を愚弄し、落ち度をつつき、嘲ることに力を傾けぬことじゃ。これに興じるのは。他を貶めることでしか己を保つことのできぬ、ただの能なしじゃ。外国局にあってこの世の大事を司どる者が、さような愚物成り下がってはならぬ。批難する暇があるならば、代案を考えることじゃ。よりよい先を見据えることじゃ」

「先を見通せ。広く見渡せ。己の正義は抱きながらも、それを障なくかなえるにはどの道が確かか、そういう見極めをするのじゃ」「己の正義を誰彼構わず触れて回るは愚じゃ。密かに抱えて、万事行いで示すようにせよ」

「己の来た道を安易にまとめるな。そなたはまだまだやらねばならぬことがある。政も時世も常に移り変わっておるのじゃ。今は来し方をまとめる時ではない」「これまでのやり方に拘泥してもいかん。失敗を糧にし、成功は即座に忘れて、常に己の殻を破っていくことで役目というのははじめてまともに務まるのじゃ」

肝に銘じます。

お奉行様。



いいなと思ったら応援しよう!