もうこうなったら人類愛みたいなとんでもマクロな考え方がいいのかも 「子育て罰」を読んで
若者に優しくない気がする
最近思うことは、人類間の言い争いいさかいがやたらと多いなということ。SNS なんてろくでもないなといいながら、僕もそんな状況にちゃっかり野次馬だったり、妙なことで憤ったりしている。いい年してね〜。
そんなことしてるんなら、大人たちは、若者にもっと優しくあっていいなと強く思う。
戦後の昭和を生きてきた「ALWAYS3丁目の夕日」世代の僕は、子供心に東京オリンピック1964を見ていたし、大阪万博には何度も行った。後になって知った高度経済成長というもののど真ん中にいた。高校大学時代、70年代後半はまだバブル崩壊どころかバブルも来ていないのだ。若者としての悩みや社会への怒りはとんでもなくあったが、それを吐き出したり行動に移す機会もあった。
今の若者ミレニアム世代はどうなんだろう。何も昔はよかったというつもりはまったくないのだけど。今のパンデミック状況だよ。大学2年生、今までキャンパスに行ったのはテキストを買う時だけだと。短大生2年生はもう就職活動しないと行けない。アルバイトもできない。食料に事欠くようになってきた。そんな話を直接聞く。高校生は、中学生は・・・。この2年近い間の若者のこと、学校のことを考えさせられることが増えてきた。自分の青春時代がもしそうならどうなんだ。
ほんとに若者にもっと優しくしてもいいのではないか。自分たちは青春をたんまり謳歌しておいて、公園で若者がビール飲んで騒いでいるとSNSにいいつける大人たち。修学旅行延期しろ、他県から来るなとか言っている人たちもそれがどれぐらい若者にとって辛いことなのか、共感を持って語らない。この2年間若者は何を考えてきたのか、何に困っているのか、せめてもっと聞こうよ。
子育て罰?
そんなとき『子育て罰 「親に冷たい日本」を変えるのは』という本をつい手に取ってしまい、買ってしまい、読んでしまったのだ。こんなワードが日本に広く普及してしまえば、さらに子どもを産み育てようとする若者はいなくなるんじゃないかとふと思いながら。
この本の著者は、末富芳(すえとみかおり)さん、櫻井啓太さん、僕から見れば若者で、しかも罰を糾弾するのでなく、政治や社会が変われば必ず罰はなくなると、提言し行動する学者だった。
読んでおいてよかった。
「子ども罰」が、僕の中で呪いの言葉として印象付けられたままになるところだった。
「子育て罰」という言葉は、Child Penaltyの桜井さんによる訳のようだ。この本では、「社会のあらゆる場面で、まるで子育てすること自体に罰を与えるかのような政治、制度、社会慣行、人々の意識」と定義され、その正体は、「親、とくに母親に育児やケアの責任を押し付け、父親の育児参加を許さず、教育費の責任も親だけに負わせてきた、日本社会のありようそのもの」と定義されている。
なるほど。
そして、人口減少という課題から見れば、「「子育て罰」をリアルに観察してきた子ども世代が、「子育て罰」を避けるために結婚しない、子どもをもたないという選択をしているのだとすれば、それは合理的な行動ともとらえられる」と。
またもなるほど。
そしてこの本は、教育や子育て支援に関する現状及び日本の施策を各国比較しながら説明してくれるわけだ。それはお読みくださいね。
やはりまずは貧困。子どもの貧困は家庭の貧困。教育の無償化も保育所の拡充も、パンがなければ学校に行けない。生活保護率1.6%に対して、子どもの貧困率は13.5%......。そして今のコロナ禍という状況である。
そしてもうひとつのなるほど
学費無償化や児童手当などの条件に高所得者は除外する、あるいは時々に境界を変えるという考え方を、著者たちはヨーロッパの普遍主義という考え方から、批判していることだ。普遍主義は、施策は子どもという社会の宝物に対するもの、子どもは貧富の差を問わず権利主体であるという考え方である。
教育というものが自分のキャリアへの投資ならば、人生の中で取り返すものという考え方もできるだろう。でも教育は人類が生存し続けるための世代から世代への知恵と経験の伝達と考えれば、普遍主義、限りなく無償であるべきとなる。
教育という権利の保障、育児という営みのどこに所得という線を引くのか。それは本当の高額所得者から見ればほんとに小さな事なんだろう。牛丼とハンバーグ定食の間に支援という柵を設けるようなもんだ。そのことが不満をうみ、いさかいをうむ、子育てという未来社会の後継ぎをつくっていくことにまで。
もうこうなったら人類愛で行こうよ。馬鹿みたいだけど。
抱きあおう、幾百万の人々よ!この口づけを世界中に!
第九だよ、今こそ。
この本の中にも素敵な言葉があった。
「私もあなたも子どもも、幸福になるべき大切な存在なのです」