災害疫病、願いや祈りがアートを生み出すーNHK日曜美術館と課金配信ライブ体験ー
今回は食い物の話ではありません。とりとめないですよ。
昨日の夜(2020年4月18日)と今日の朝(4月19日)の話なんだけど。
初めて課金してライブ配信に参加
昨夜は、僕の大好きなソウル・フラワー・ユニオンの中川敬のソロライブを配信ライブで視聴したのだ。課金3000円、2週間有効なのだ。初めての経験。ライブが配信された場所は京都市左京区一乗寺のライブハウス、僕も行ったことがあるけど、数十名入れば満員という小さなところ。そこで中川敬は7時からスタッフ二人だけを前にして、ギター一本で約3時間歌ってくれた。昨日の生ライブはいったい何人が時間を共にしたのだろう。とにかく、チャットの書き込みが凄まじかった。間違いなくたくさんの人たちが、彼の歌に合唱し、涙し、トークに笑い、お酒とともに音楽世界に酔いしれた。
震災の生んだ名曲 満月の夕
満月の夕(ゆうべ)ー阪神淡路大震災が産んだ名曲だ。何度聴いても、こみ上げるものがありちゃんと歌えない歌だ。ロックバンドのソウルフラワーユニオンが、楽器を、三線、チンドン、クラリネット、アコーデオンに持ち替え神戸の被災地を演奏して回っていた時、「震災の時も満月、今度また満月がきたらまた地震が来るのでは?」と不安と恐怖に怯える被災者たちがいたことから生まれた歌だ。
風が吹く港の方から 焼け跡を包むようにおどす風
悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕
飼い主をなくした柴が同胞とじゃれながら道をゆく
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕
ヤサホーヤ 歌が聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て命で笑え 満月の夕
(作詞 中川敬)
神戸の人々の大きな不安と恐怖が生み出したこの曲は、東日本大震災でも、熊本大地震でもさかんに歌われてきた。そういえば、3.11のあと、僕は石巻で、中川敬の歌声を聴いた。もちろんその時もちゃんと歌えなかった。
アーティストといっしょに生き抜こう
中川はいう。「あとどのくらい今の状況が続くかもそれない。数年かもしれない。それまで音楽家やライブハウスが助け合って生き残っていかないといけない。この課金形式もしばらく続く、広げて欲しい。好きなアーティストのCDは中古でなく新品で買って欲しい、グッズも買ってほしい。音楽は聴いている人も含めて音楽だ」と。確かに、ソウルフラワーユニオン、中川敬が聞けなくなってしまったら、僕の人生が困ると思った。
日曜美術館 疫病をこえて人は何を描いてきたのか
翌朝 NHKで「日曜美術館」をやっていた。「疫病をこえて人を何を描いてきたのか」。ヨーロッパの人々の30%を死に追いやったペストが、ルネサンスを生み出したというのは最近有名な話である。
僕が惹かれたのは、日本の話。山本聡美さん(早稲田大学教授)の話が、胸に残る。思わず画面を写メして書き留めた。
ー平安時代への美術に感動する。それは美の背後にあるモチベーション。何が願われていたのかを考える。美しいほどその願いの大きさ、願わなければならないほどの不安の大きさが見えてくる。
ー(疫病が鬼として描かれ、退治されたり、コミカルに描かれることはについて)祈りが形に、恐れが形として表されることの安心感。
う〜ん、なるほど。日本人にとっては災害も疫病も、戦いの対象ではなく、受け入れ、共生しようとする存在だったのかもしれない。
見飽きるほど見ているコロナのあの形が、戯画化されたり、キャラになったり、立派なアート作品になっていくことがあるとすれば、それは人間の祈りや願いが反映されているのだろう。
そして音楽もまた、災害や疫病に直面する人間の心を癒し、人と人とのつながりの素晴らしさを再確認させてくれるのだ。
だ か ら
だからコロナで芸術を死なせてはいけない。芸術にかかわる人々を野垂れ死させてはいけない。それでは、コロナと共生する架け橋を失うことになる。絵がなければ、芝居がなければ、音楽がなければ、人間は生きていけない。生きていけないのだ。
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