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親知らずの抜歯体験記
左下の親知らずを抜歯した。
右上親知らずの抜歯から2年。これで2度目だ。
魔法のように、そして、こんなに安心して抜歯が出来たことをここに残しておこうと思う。
そして、その魔法にかかるまでのことも。
信頼できる先生との出会い
魔法1*話を聞いてくれる
この日に至るまでの経緯がある。
その経緯全てを、目線を合わせて聞く姿勢を作ってくれたことが感謝であり、安心であったことは確かだ。
安心感を与えてくれる魔法にかけられたのだ。
魔法2*不安のない説明をしてくれる
説明がいらない人もいるのかもしれないが、わたしにとっては抜歯を含め、歯医者自体がいつからか怖いものだった。少しでも不安感を軽減する説明をくれたことは本当にありがたかった。
麻酔についても、経緯の説明を聞いた上で「最低2本は打ちますね」と最初に伝えてくれたのもそのひとつだ。
不安軽減の魔法にかかっていた。
魔法3*圧倒的な技術力(想像)
歯科医じゃないので完全なる想像だけれど、きっとそうに違いない。
そう思えるのは、施術台に寝てから抜歯まで30分で終わったこと。麻酔しているから正確な感覚ではない。でも確かに歯を抜かれている感覚も、抜けた感覚もなかった。
ミシミシとした音も聞こえなかった。
安定したアゴのホールドと、歯を抜こうとする引力はもちろん感じている。
苦戦しているような、不安感や焦燥感をまるで感じることなく、もう少しで終わるのかなぁ……と思っていた。
「はい、これで終わりですよ」の一言に、「え??抜けたってこと?」と本当にびっくりするくらいあっという間だった。
簡単に抜けたように思わせる魔法だった。
当たり前に思えるけど、決して当たり前ではないんだなぁ、と思えた体験だった。
不安を解消してくれる知識と技術があってこそ。
安心感を与えられる人柄だからこそ。
相性みたいなものもきっとあるんだと思う。でも、そういう人に出会えるのはきっととても少ないからこそ、有り難い出会いだったと思える。
前提に対する不信感
『親知らずは抜くもの』
一般的に伝えられている情報だと思う。
だけど、わたしはそうは思っていない。
ずっと昔から。
なので、親知らずが生え揃っても抜く選択はまったくなかった。
一生懸命に出てきた、しかも普通に生えていて虫歯にもなっていないなら、抜く選択肢があるのがおかしい、そう思っていた。
虫歯になりやすいから抜きましょう、何度言われたことか。
なんなら、虫歯になっても痛みがないなら、抜く必要性を感じなかった。多少の治療をしてやり過ごせばいいのだ。
親知らずだって、れっきとしたわたしの一部なのだから。
他の臓器含め、そう思う。
盲腸だって、甲状腺だってなにか必要があってあるはずなのに、今の科学や知識でなくても大丈夫だ、とないがしろにされるのは違うと思うのだ。
わたしの中にある前提と、一般的な前提がまず異なっている。
初めての抜歯
拷問。
初めてのそれは悔しさから涙が出た。
親知らずは虫歯になりやすい場所であることは認める。
その親知らずが、抜かなければ行けないほどになってしまっていたことに、からだの一部を欠くということに、わたしは泣けてしまった。
さらには、その施術が力ずくで痛め付けられているとさえ感じられたから。
抵抗できない状態の上で、無理やりになされる拷問。
もちろん、歯医者さんが悪いわけではない。
合意の元でなのだけど、それほどに、初めての親知らずの抜歯は辛い体験だった。
中断した2本目の抜歯
冒頭の処置に至る、前段階の話だ。
気付いたときには左下の親知らずは虫歯だった。
痛みはなかったので、治療してやり過ごし、虫歯になってからは2年以上は過ぎていた。
そのうちに、少しだけ疼くような感覚がでてきていた。
抜歯するまでの決意はすぐには持てなかった。
ここまで広がってしまった虫歯はそのままにはしておけないよね、そう心の中ではわかっていたのに。
不安*その1
疼く頻度が高くなり、親知らずの抜歯を決めたある雨の日。
予定通り歯医者へと向かった。
迷いはなかった。
なかったはずなのに、1本めの麻酔を打たれ、直後に書かされた合意書的なものを目にして、一気にキモチは不安の波に飲まれる。
骨を通る神経に近いため、万が一の場合……みたいなやつ。
「ねぇ、これにサインするのって今じゃないよね、せめて麻酔打つ前だよね」そう心の中で呟く。
いじられると歯の深部が痛いような感覚があった。
それを伝えて2本めを打つ。
深部まで麻酔が届いていないのだと今は理解できる。(※あとがきに記載)
3本目を打っても同じだ。
不安*その2
徐々に広がる不安と恐怖。
「もう1本打ちましょう」
そこで伝えた。
「そんなに打って問題ないですか……」
「前に上の抜歯したときは何本麻酔打ったのかわかりますか?」
返ってきた答えは、
「既定の半分の量も打っていないですよ」
そして、「以前の情報が残っていません」だった。
2年前の抜歯の記録がないということ?!
レントゲン写真はあるのに、どうして??
(※あとがきに記載)
もう信頼できていなかった。
上腕に広がるだるさが、不安感からなのか麻酔からなのかわからず、ただただ怖かった。
そこで『今日はもうやめよう』
そう決断した。
「3本も麻酔を打って、打ち損だ……せっかくだから、虫歯になってるとこだけ埋めてもらおう」
そうして、この日は簡単な穴埋めだけをしてもらい、帰宅した。
緊急抜歯
3日たった休日。
なんとも言えぬ痛みが左の顔面に広がった。
薬をのんでも、落ち着かない痛み。
冷やしてなんとかごまかせていた。
急患で今日処置できるかな……そう信じて夫に歯医者まで送ってもらい、冒頭の魔法がかけられることになった。
いや、本当はそれも怖かった。
「今日行かなくてもいいかな」そういうわたしに夫は、
「今歯医者行かないとして、うだうだ言わない?」
・・・
言わない自信なんてなかった。
痛みがあるままじゃ、うだうだも、ぎゃーぎゃーも言うだろう。歯医者行きを決断するトドメを刺された。
ただし、このとき歯茎の腫れが酷かったり、膿んでいたら処置はできなかった。
ホメオパシーを取り続けていたおかげか、膿んでもなく、腫れてもいなかったので即処置につながったのは幸運だった。
あとがき
今回、歯医者(歯科医院)を変えることも考えていた。
同じ先生に当たるかはわからなかったが、はやり、先生と歯科医院はイコールと考えられる。
それでも事前に「こんなことがあり、ちょっとその先生には不信感があります」そう伝えられたのは結果として良かったと思える。
カルテやレントゲン写真だって、歯医者を変えたら全て1からやり直しだ。
その面倒くささも懸念されたため、同じところで別な先生で良きに処置いただけたのは、有り難いことだった。
今回もやもやした点についての解消される答えもいただけたので、後学のためにも残しておこうと思う。
・過去の情報がない、といわれたことについて
>麻酔の本数の記載まではしていなかったが、記録としては残っていたこと。(麻酔は本数が増えるからといって点数は変わらないため、カルテへの記載がされていなかった)
・麻酔のかけ方について
>麻酔を逃がすやり方をしている。深部まで届くような打ち方が抜歯の際には必要。(ズーンと押されるような打ち方が深部まで届いている証と理解)
1週間たった今、ご飯粒が容易に3粒くらい入るようなぽっかりとあいた親知らずがいた場所は、うっかり1粒入るかな程度にまで縮小。
開きにくかった口も、大きく開けられるようになった。
左上と右下に存在するあと2本……彼らの運命はどうなるのか……