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失礼なこと、というのは存在しません。愛がある行為と愛のない行為が存在します。
アシュタールさん、アシュタールさん。体の調子が悪いの。他の人たちも調子の悪い人達がいるの。これはアセンション症状ですか?それとも伝播やケムトレイルのせいですか?
「以前にもお伝えしましたが、あなたが決めてください。あなただけではなく、彼らがどのような解釈をするのかも彼らに委ねてください。そこからそれぞれの現実を創造するのです」
前も教えていただきました。何度でもアシュタールさんからその言葉を聞きたいのです。
「わかっていますよ。何度でもたずねてくださってかまいません」
何度も同じことを聞くのは失礼ではないですか?
「失礼の解釈の仕方にもよります。相手を軽んじて話を聞いていなかったから頭にはいっていないのか、話をきくような余裕がある状態ではなかったのか、あなたのように何度でも聞きたいのか状況はそれぞれで違いますね。だから一概に失礼だという判断をすることこそ、本来は失礼なことなのですよ。
あなた方が思っているような失礼なこと、というのは存在しません。愛がある行為と愛のない行為が存在します。失礼な行為というものは存在しません。
あなたはお菓子が大好きですね。あなたにお菓子をくれる人のことを想像してみてください。あなたが喜ぶと思ってあなたにお菓子をくれる人が大半でしょう?
もしジャンクなものがたくさんはいっていることを承知の上であなたの健康を害する目的でお菓子をプレゼントしたらどうですか?同じお菓子をプレゼントするという行為でも、愛のある行為と愛のない行為にそれぞれに解釈がわかれます。」
愛のない行為をする人たちにはどうしたらいいですか?
「何もする必要はありません。それはそれで彼らの学びなのです。彼らは愛のない行為を通して愛を学ぼうとしているんですよ」
他人のことは、ほっといたらいいですか?
「突き放すのと見守るのは違いますね。コントロールをしようとしないことです。必要な時には愛の手を差し伸べましょう。」
自分が愛のない行為をしてしまったときはどうしたらいいですか?
「自分のしたことに気がついて反省しましょう。それが学びなのです」
いつもありがとうございます。
「何度でもたずねてください。あなた方の学びに貢献できることを嬉しく思っています。」
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