すべてはうまくいっています。それは貴重な美しい経験です
ご質問を頂きました。
「はい、こんにちは。この方は既にご自身で結論を出していらっしゃるようですよ」
人間関係って難しいんですよー
「何故ですか?お互いが素直に正直に自分の気持ちを表現されたらいいと思います。愛をベースにして。すでに彼らなら可能でしょう?」
なんていうか、この程度のことだし自分が我慢してたらいいのかなー、とか。
「ノンノンノン、ベイビーちゃん。我慢は誰も幸せにしません。
お互いが助け合って今までの道のりを歩いてきた、これは素晴らしいことだと思います。しかしそのパートナーとも、途中からは別々の道を歩くこともあるでしょう。それは悲しむべきことでもありません。
私はこちらにいく、あなたはそちらにいく、それをお互いに尊重するだけです。
もしかしたら、分かれ道だと思っていたのは一時のことで、またそれぞれの道は合流するかもしれません。山登りなら最後に頂上で必ず出会います。お互いが道に迷わず、それぞれの道を歩き続けることができたのなら。」
「優しいことは問題ではありません。優しくていいんですよ。優しいことは素晴らしいことです。
お友達の愚痴を聞くことばかりが優しいことではないのです。自分はそんなことに付き合いたくないのだ、と表現することが(もちろんあなたなら優しく表現することでしょう)結局は彼(彼女)のためになることもあります。私の言っている意味がわかりますか?」
でも、愚痴を言いたい人っているじゃない。
愚痴ばかりの人も。
愚痴しかでないような状況のときだってある。
「そうですね。彼(彼女)の置かれた状況を理解してあげる、というのも優しさの一つです。それをベースにして、丁寧に表現されたらいいと思います。
我慢に我慢を重ねたうえで感情を爆発させるときには、事故が起こります。あなた方の世界で、ちょっと違うな、と思ったときに、余裕のある状況で優しく彼(彼女)に教えてさしあげたらいいと思います。
そしてその助言(それは助言であるべきです、怒りの表現ではなく!)を受け入れるかどうかは、彼らに任せてください。もちろん、彼らは受け入れなくても良いのです。それが人間関係をつくる、ということです。
易しいことでしょう?冗談です。」
セス君、セス君はどう思う?
セス君「ぶちのめしてやったらいいよ。それだってギフトだ。タイマンタイマン!!」
いや、ちょっとw
セス君「喧嘩して友情が深まることだってあるよ!」
いや、前世でそれでうまくいかなかったんだって。
セス君「今回はもっとうまくやったらいいんだよ!2回目だから前よりは上手にやれるだろ?3回でも4回でもやり直したらいいんだよ!」
いやいや、もう輪廻とか終わりにしたいしー!
セス君「それは君の話だろ?彼はどうかわかんないよ!」
そ、そか…
ええっと、じゃあアシュタールさんもセス君もAKIRAさんが自分を表現する(優しく助言する、もしくは’’ぶちのめす’’)ってことでいいのかな?
セス君「うん、どっち(優しく助言でもぶちのめすでも)だっていいよ。一番いけないことは、ズルズルと我慢することだ。それはとても不親切なことなんだ。お互いが学ぶ機会を奪ってしまう。」
「我慢することからも学ぶことはありますよ。我慢したときに、あなた方が味わう感情、それもギフトです。どのギフトを選んでもいいんです。」
アシュタールさんに言わせればなんだってギフトなんだろうけどさー。
もう辛い思いとか、シンドイ思いとかしたくないよー。
明るくて、楽しいのがいいよー。
「それも選択ですね。それを選択するのでしたら、明るく楽しく自分を表現したらいいと思います。」
ですってー。
追加の質問などあれば、コメント欄へどうぞー
「最後にもうひとついいですか?」
はい?
「前世でうまく行かなかった、というのも誤解です。すべてはうまくいっています。それは貴重な美しい経験です。」