愛の度数が700度を超えている方々というのは、どのような世界観をもち、どのようなコミュニティで、どのような意識で、生活をされているのでしょうか?
アシュタールさん、ご質問を頂きました。
「愛の度数が700度を超えている方々!
あなた方の点数制度は本当に愉快ですね。私は一人一人の成績表を把握したことはないのですが、おそらく私などは、あなた方の基準の700度を超えているのではないかと自負しております。
私たちのコミュニティ?
お互いがお互いに対して愛と慈しみをキープしています。私たちについてはもうお互いの手助けを必要とすることは、ほとんどありませんので、具体的に何かをするということは、共同創造以外ではあまりありません。
あなたがたも私たちの家族の一員で、あなた方を可愛い子どもたちのように見守っています。」
ええっと、アシュタールさんレベルまで行くとぶっ飛んでるから、私達と似たような種族で、地球と似た星にいるような方々の生活をのぞき見したいということだと思います。
「地球と似た星?地球にもあなた方のイメージ程度には充分に愛を発達させている方々がいますよ。
彼らはとてもひっそりと生活していて、あまり裕福でないことが多いです。あまり多くを喋らない方々が大半ですが、中には非常におしゃべりな方もいます。
ぶっきらぼうだったり、癇癪もちだったり、というふうに見えるかもしれません。コミュニティは持ちません。あまり人と接しないことが彼らにとって自分の身を守る唯一の術なのでしょう。
以前はコミュニティで暮らす人々もいました。ネイティブアメリカンや、アボリジニの方々がそうだと思います。」
アマゾンの奥地に暮らすマサイ族などはいかがですか?
「以前の集落と今の集団は変わっているでしょう。彼らは所有を覚えました。所有に溺れています。」
インディアンやアボリジニは所有してなかったの?俺の妻、とか、俺の槍とか?
「俺の妻、という言葉はあったでしょうが、あなた方の思う概念と少し違います。俺の妻と設定された彼女はとても自由でした。俺の子どもはみんなの子どもでもありました。俺の槍、という概念はどうでしょう。槍は槍だったのではないでしょうか?
どんな豊かな生活か…とのぞき見たら今のあなた方の感覚ではとても貧しい生活に見えるかもしれませんね。
あなた方にとって豊か、というのは多くのものを所有することでしょう?お金とか物質とか。彼らは所有するものがありません。
そこにある槍、そこにある星、そこにいる山羊、そのような感覚です。」
私たちが以前はそうでなかったのに、所有に溺れてしまうというのは、どういうわけなんでしょう?所有ってそんなに魅力的なのでしょうか?
「それは自我の問題と関わるでしょう。自分というものが生まれるから、自分ものという概念が生まれます。
そして’’自分’’を他の人々と分けて、そして時に他の人々より価値のある優れたものだ、と思う感情はとても魅力的でしょう?身に覚えはありませんか?」
あー。耳が痛い。耳が痛い。
そういえば、私、アボリジニだった過去生の記憶あるよ!
退行催眠で思い出した。
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