感情の処理の仕方と愛と慈しみの違い
アシュタールさん、今朝も色々と教えてくれてありがとうございました。
「感情の処理の仕方」について、ご質問を頂きました。
「こんにちは。さらに深い理解を深めようとしているあなた方は素晴らしいです。この質問もとても素晴らしい。良い質問をありがとうございます。
今回も是非ぎゃふんとしていただきたいのですが、自分に嘘をつかないでください。
別にかまわない、と思っているときに、発する言葉は別にいい、なのです。これが正確な言葉です。そして別にいい、と思っていないときにそのような言葉を使うのはあまりお勧めではありません。
そこには歪みが現れますからね。あなた方だって、顔が歪んだら嫌でしょう?歪みのある言葉を使っていると、顔が歪みます。」
ああ、そういう人いますね。
「感情の処理の仕方、についてお話します。処理、というのは何かもう一つしっくりきません…さやかさん、もっといい言葉はないでしょうか?」
感情の…昇華?
感情の…調理法?
「どれも少し…うーん、まぁいいでしょう。
あなた方が怒りや悲しみ、嫉妬などを感じる時に思い出していただきたいこと、それは’’理解が足りていない’’ということです。
理解すれば怒りはなくなります。理解すれば悲しみはなくなります。理解すれば感謝を覚えます。理解すれば愛の状態を維持できるのです。
例えばさやかさんがワクチンを打つ政府に怒りを覚えていたとしますね。しかしさやかさんは政府の役人にも強い圧力、脅しのようなものがあったことを理解します。
そうするとさやかさんの怒りは、理解によって、受容に変わります。自分がその立場でも同じようにしたかもしれない、ということです。これが理解するということです。もう一歩すすむと、政府の役人に対して慈しみの気持ちを持つことができます。
大変な仕事をしている、気の毒になぁ、彼は彼で頑張っているのだなぁ、不安から解放されるといいなぁ、というような気持ちです。
これはかなり愛に近いエネルギーです。」
慈しみと愛はどこが違うのですか?
「慈しみには、いくらかの同情心が入ります。愛には同情心の入り込む隙はありません。そして誰も同情などされるべきではない存在なのですよ。誰かに同情を感じるというのも、ただ理解が足りていないだけです。」
そか。
私、今日、偶然に過去の写真を見て、怒りを覚えました。怒りはとても居心地の悪い存在なので、自分が苦しくなりました。でも相手の置かれている状況や立場を理解したら、慈しみに変えることは可能だと思います。
「かのう!かのうはいいですね、オッパイが大きいです。」
じ、冗談ですよね、叶姉妹のことを言いたいんですよね?
「はい。理解していただけて光栄です。冗談です。」
話戻していいですか?慈しみに変えることはできますけれど、まだ愛に変えることはできないみたい。これはどうしたらいいですか?
「着実にあなたは進歩していますからね。焦らずにこのような経験を積み重ねていってください。十分な量の経験を積み重ねれば、慈しみから愛に変換することが可能、かのう!叶だと思います。」
はい、ありがとうございます。
いつも楽しい冗談もありがとうございます。
「正確な言葉を選んでください。あなたは私の冗談を楽しいとは思っていませんよね。」
ええっと、いつも読者の皆さん(の一部)を楽しませてくれる冗談をありがとうございます。
「よくできました!」
だ、そうです。
追記:
「私自身はオッパイが大きいことが良いことだという認識はありません。さやかさんが大きいオッパイを評価していますので、彼女の基準にそって、このように冗談とさせていただきました。大きいオッパイも小さいオッパイも、それぞれに美しいものです。誤解されませんように。」
直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。