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母の旅立ち

2024年7月25日11:45に母が亡くなりました。75歳でした。

昨年12月にすい臓がんとわかってから、抗がん剤治療をしていましたが6月に緩和ケア病棟にかわりました。

私は3週間前から京都の実家にいて、ほぼ毎日病室に通っていました。

日に日にできることが減ってきて、起きている時間がなくなって、鎮静剤がはじまって意識がなくなっていく様を見ていくことができました。

7/25にいつものように病室にいったら、ちょうど息を引き取ったところでした。まだあたたかい体をさすりながら『頑張って生きたね』としばらくお話してました。

もっとたくさん生きてくれると思い込んでいました。きっと本人もそう思っていたはずです。

悔しさを口にすることもありました。それでも緩和ケアの先生や看護師さんと接しているなかで、苦しかったら伝えてもいい、手を握ってもらいたかったらそう言えばいいことがわかって、まわりの人に自分の心情を伝えることで、ひとつひとつ手放していったのだと思います。

亡くなる3週間前に母と一緒にアイスを食べている写真をみて、生きていることって尊いなと思いました。

この3週間、私が母の顔を見れるように手配してくれた家族や、京都での母の暮らしを支えてくれたご友人、お仕事の調整をしてくださった皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

母は意志が強い人でした。でも、その強さを人に押し付けることはせずに心の中にだけ持っていました。誤解されて嫌われることもあったけれど、仲のよい友達からは信頼されていて、年上からはかわいがってもらっていました。

息子には心配かけないようにと、あまり語ってはくれなかったですが、お通夜や告別式の時に生前の母のことを聞くと、私のイメージとは違う母の姿が見えてきました。

そうした母に関わってくださった皆様の心の中に母が生きていたのだと思うと、ありがたいなと思います。

緩和ケア病棟ですごすということは、自分の最期がみえていて、そこに向けて1日いちにちを過ごすことです。それはとても怖かったり、不安だったり、つらい時もあったはずです。それでも本当に頑張って生きてくれました。そんな母を心から尊敬します。

母がいてくれたから、今の私がいます。たくさんのいいところも引き継いでいるはずです。それを活かして、これからも私は生きていきます。

おかあさん、ありがとう。

※写真は、母が入院していた緩和ケア病棟から見える京都のまちなみです。

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今給黎 辰郎(いまきゅうれい たつお)
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