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上原仁という人。
このnoteは滋賀に住む僕が、滋賀県にまつわる面白い人は?と聞かれたときや、滋賀にこれから戻る人が「滋賀に関する面白い人だれだろう?」となったときに、メモとして残しておくシリーズです。
僕が思う、THE滋賀の面白い人。2025年からはじまり、どんどん出てきます。
ちなみに僕についてはこちらを。「【自己紹介】声高らかに滋賀を世界で住みたいまちNo1にする。を掲げている人」
人生で一番影響を与えた人は?と聞かれたら、最初に出てくる人
出会いはどこだろう。
最初にその存在を知ったのは守山図書館での講演の時だった。
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たまたまチラシを見て、こんな起業家の人いるんだと思ったのが最初。(と考えると2018年)
そこから、コロナがあり、2021年に守山市でコワーキングスペースをはじめる時に守山市でまことしやかに「仁さん」という言葉を聞くようになった。
仁さんとは?と思いつつ、調べてみるとあの図書館の講話の人。
人に興味がある僕は、上原仁で調べてみたときに「なんだ、この人は。」とどんどんのめり込んだ。面白い。twitterを即座にフォローし、会ってみたい、喋ってみたいと思い、長文DMを送ったのが2021年。
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そこからメッセージの返信をその日にもらい、オンラインできることに。ラブレターが返ってきたぐらいの勢いで、飛び跳ねて嬉しかったのを覚えてる。
ちょうどそこから5日後に、オンラインをして、その時考えていたビジネスプランをぶつけてみた。
結果的に「よくない」反応だったが、あの時に仁さんに最初に出会えたタイミングがあそこでよかったと思ってる(あとそのビジネスプランは実際に1年してみたがやっぱりよくなくて閉じた)
そこからコワーキングスペースを守山市で行い、8月。こんなメッセージがやってくる。
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その日、どうしても空き時間を創ることが出来ず。
ただどうしても直接会う機会を諦めきれず、別日で会うことになった。
DMから2つの季節を超えての夏。朝一で1時間喋って、約束したことが「滋賀県ならではのスタートアップコミュニティを創る」ことだった。
ちなみに会ったその日の3時間後に企画案を作ってみたが話は流れる。
仁さんにこれから会う人に伝えておこう。
仁さんの「置いておこう」は「タイミングでは今ない」という意味である。
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仁さんは優しさの塊で、この言葉が傷つけると判断すると違う言葉で、それを伝えてくれる。
「置いておこう」と言われたら「タイミングでは今ない」で、その後はまだ追いかけない方がいい。
仁さんはそれから滋賀に帰ってきて、滋賀レイクスの会長となり、守山市を拠点に滋賀のスタートアップコミュニティを創ることになった。
その話だけで1話できてしまうので、それは置いておこう。
(ちなみにその出会いから4年後。up stream dayの2回目が行われる。そこに関しては次へ。を読んでほしい。)
中野さんから龍馬くんとなり。龍馬となった。
僕は僕の人生がすごく面白いと思う。
その人生にしてくれた一番大きな影響を与えた人が上原仁さんである。
最初の出会い。中野さんだった呼び名は、すぐに龍馬くんとなった。
それから1年ほど経たずに龍馬となった。
呼び方が変わる度に、一緒に滋賀県を起点に色々な物事を行った。
仁さんが「これを次にしよう」と言ってもらってはじめたことが多くある。
そして仁さんに「これを次にしたいです」といって「いいよ」といって始めたこともある。
滋賀県にスタートアップというキーワードが5年前より今、少し聞こえる形になっていたら。それは仁さんがいないと生まれていない現象である。
上原仁という人は。ものすごく人たらしだと思う。
この人の為ならと120%以上に力を発揮してやり遂げたいと思える。そんな人が僕にとっての上原仁です。
今も変わらず僕の目標は上原仁さんを超えること。
今から仁さんが辿ってきたビジネスとしての事業を超える。そこよりも、僕は上原仁さんが滋賀に引っ張ってくる多くの人たちを繋げられる関係性の力、人間力を超えたい。
仁さんが引っ張ってくる人達とは別に。僕が僕の力で仁さんを超えた形で滋賀県に色々な人達を引っ張ってこれるようになったら、それはものすごく面白い形で滋賀に「人を集められる」ようになる。
そしてもう一つ。仁さんに僕は引っ張ってあげてもらえた。
それは出会ったときから今も。
視座があがったその要因は一つしかない。仁さんに出会えたこと。仁さんが機会を作ってくれたこと。
その機会に全力で答えたから今がある。
だから僕は仁さんを超えるということは、その機会を、視座を次の人に作れる人でありたい。
そうやって順繰り巡って行く関係を滋賀で作っていけるようになりたい。
仁さんが滋賀と東京を。滋賀と日本を接続できる人であるなら、僕は滋賀と世界を接続できる人でありたいし、仁さんと最初に約束した「20年のスタートアップエコシステム」を作り上げる。
仁さんと僕の共通点であり、その共通点で潰れないもの。
それは「滋賀を愛していること」。ここに尽きる。
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これからも滋賀をキーワードに一緒にできる関係性でありたいし、「さすが」と言ってもらえる人間でありたい。
この人に「いてよかった」と思ってもらえる。より対等でいれる人間でありたいと心からそう願っているし、そのために頑張りきれる。
上原仁という人は「滋賀を愛している近江商人」である。
誰もが「仁さん」とよぶその関係性を創り、人と人を繋げていく。その背中を見て、追い越せるように今日も頑張る。
僕は10年後、滋賀県の起業家を応援する側に回る。
— 中野龍馬 (@imaplusnakano) December 19, 2023
そのために、事業を積み上げていく。