やめ創価百物語【7】“目標”という名のノルマ〜地獄の3年間
心ならずも地区婦人部長になってしまった時のことをお話ししたので、任命を受けてから新人期wの話を。
地区婦人部長になってなにがキツかったかというと、“目標”です。
年末に地区で行う地区討議で地区の皆さんと話し合って決める目標もありますが、5.3(創価学会の日)、11.18(創価学会創立記念日)等記念日ごとに打ち出される「地区で折伏(創価学会に入会させること)◯世帯」という目標の方がシビアで、これが完遂できないと頭も胃も痛い日々が続きます。
地区には大所帯のところからこじんまりしたところまでさまざまあるのに、「地区〇(数)」という打ち出しが多かった。個々の事情は酌量されず、例外なし不可避の“目標”です。
折伏の“目標”については地域によってものすごい温度差があることをやめてから知りました。
私がいた地域は間違いなくアツい部類。選挙の合間を縫って、記念日ごとに必ず折伏戦があり目標が設定されました。
アツい地域にあって、なんと我が地区は私が地区婦人部長になってからまる三年間、本尊送りどころか入会すら1つもできませんでした。
「最初の三か月が勝負」だとか、「長の一念」だとか、成果が出ない地区の責任者への圧、圧、圧・・・
新任の地区婦人部長を集めて区で勉強会が半年間月イチあったのですが、そこで総県の幹部から「私たちが地区幹部の頃はね、成果が出ない婦人部長だけの唱題会をやったのよ。成果が出ない婦人部長だけが残って、どんどん人数が減っていくの。・・・私はそんなことはしないけどね」と言われ、背筋が凍り、その場で泣いちゃおうかなと思ったものです。
「結果が出ないのは長の私がダメだからだ。こんな私が地区婦人部長で、地区の皆様に申し訳ない」
当時の私は成果が出ない全責任は自分にある、と思い詰めていました。
毎週月曜日午前中に行われる「支部別地区婦人部長会」は本当に針のむしろでした。
よその地区が、サクサク成果を上げているのを聞かされ、最後にいまわか地区どうですか〜?と聞かれる恐怖。
毎回毎回胃が痛いので欠席したかったのですが、欠席すると支部婦人部長や支部副さんが個別でやって来て「大丈夫?」と大ごとになる上個別で詰められる結果となります。
というわけで毎回足を引きずるように行きましたが、よその地区婦人部長さんたちは涼しい顔で(実際は涼しくはない、それぞれご苦労はあったはずなのに微塵も感じさせない)成果を上げているように見えてしまい、私は題目も確信も行動もまだまだまだまだ足りないのだと毎回打ちひしがれるわけです。
成果が出るまで、とリレー唱題を何度もやったり、ずいぶん強引に入決(入信決意、入会希望カードに署名してもらうだけ)をいくつも取ったりしましたが、やっとできたのは婦人部の先輩が地区内の未入会家族の入会を取り付けた、というなんだかすっきりしない「入会1」でした。
会館で本尊送りをし、地区をあげて万歳という結末を祈っていた私としては、肩の荷は降りたけれどどうも釈然としない結末で、この3年間に「意味がある」とは思えませんでした。
今振り返れば、私のいた地区には壮年の地区部長はもちろん、総区〜地区の副役職の先輩方が壮年婦人合わせて20人くらいいて、その方々も3年間不発だったわけなので、成果が出せなかったのは私だけの責任ではありません。
けれど「長の一念」という言葉に追い詰められた最初の3年間により、私はこの後も降りかかるさまざまな“目標”恐怖症になってしまいました。
“目標”は折伏に限りません。
選挙の時のSカード(重点的に応援する地域の知り合いを紹介するカード)、新聞啓蒙(聖教新聞の営業活動)、セミナーや時局講演会の結集などなど。
達成しないうちは、「またあの3年間のように最後までできないのではないか」と焦り、落ち着かず、プライベートでもいらいらしっぱなし、もちろんその生命状態wを家庭に持ち込み、家族を振り回してしまいました。子どもたちは小〜中学生でしたが「当時のママは疲れていて何も相談できなかった」とあとになってから言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
どうして宗教の活動で営業成績みたいに数を追わされ競わされなければならないのか。
“目標”に対する恐怖、トラウマばかりが積み重なり、地区婦人部長になってから信心の歓喜などとというものは遠ざかるばかりでした。