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やめ創価百物語【14】体験談の後日談

書きたいことから書いていて時系列も脈絡もナシですが、気の多いおばちゃんのこととてお許しください。
今回は我が家のファミリー体験とその後日談から、創価の体験談ってさ、というお話。

2017年、わが地域で毎年開催される未来部とその親が集まる会合でいまわか家は「ファミリー体験」を披露するよう指名されました。
その年、私が父に、母が友人に(といっても不倫相手ですけどね)本尊流布し、子①は志望校に合格、旦那氏は地区部長に任命と使命と功徳満開wでしたのでその模様をということでした。
↑このような時でしたから私も妙な万能感に包まれていて、地区婦人部長として大変なことも乗り越えて〈耐えられないようなこともがまんして〉がんばってきたからこそこんなに幸せになったよ!!と満天下に自慢したいような気でおりましたが、一つ引っかかったのは母も一緒にリレー体験をするということでした。
発達障害があり大変だった子①の幼少期も、地区婦人部長になってからの多忙でストレススフルな日々も、同居していたにもかかわらず(そして食事の用意はもちろん自分の下着まで私に洗濯させていたのに)母はまるで他人事でしたから、私としては「いまわか家の幸せに、お母さんは関係ない!」と納得がいきませんでした。
けれど(ファミリー体験の)担当についてくれたのはヤングミセスの時から何かと相談に乗ってもらっていた先輩で、「お母さんも一緒に」という方向性は変えられませんでした。

引っ掛かりを抱えながらも、旦那氏は健康面で“護られた”ことと地区部長としての決意、子①②は志望校に受かったことなど、③は県の合唱団に入ったこと、私自身は父の折伏、母は友人(?)折伏のことを体験談として話し、やんやの喝采を受けました。
旦那氏が地区部長になる前の三年間、人生で出会った男性の中でもトップ3に入るくらい苦手なタイプの壮年部と組まされ、折伏成果も全く出ず、という地獄を見た後に自分で成果を出したのですから、子どもはじめ家族が護られて当然、これくらい幸運に恵まれるのは仏法の道理wでしょ!くらいに当時の私は思っていました。

しかしその4年後、子①はあんなに喜んで入学した学校を留年ののち退学してしまいます。
地区婦人部長もすでに長期に渡り、旦那氏が地区部長になったことで配達も民音も選挙も地区の全てがいまわか家にのしかかる日々に疲弊していた私は子①が悩んだ末に出した結論を受け入れたものの、「こんなに我が家のなにもかもを犠牲にしてきたのに、なぜこういう結果になってしまったのか」納得できないものを感じました。

思えば、それまで自分自身が「体験」だと思っていたことも、人生には当然あるよいこと・悪いことを“功徳”だとか“意味があること”だとか無理やり創価の論理に結び付けて納得してきたに過ぎなかったなと。
例えば私は新卒時になかなか就職が決まらなかったのですが、「傲慢になっていた自分を省みるのに必要なことだった、意味があった」と思い込んできました。
しかし、一時は『私は社会に必要とされてない人間なんだ』と思うところまで追いつめられたのも事実です。
御本尊てそんなに意地悪で回りくどくてもったいぶってるのでしょうか。
振り返れば、創価で教えられていることに合うよう、自分で自分に“意味があった”・“これが長い目で見て最善の道だった”と言い聞かせていただけでした。

そして我が子のことになると「どうしてこんなまわり道をさせるのか、これだけやっているのだから最善最短の道を開いてくれよ」と思うのが親心です。
それが子①の宿業だとか使命だとか言われても、もう納得できません。
私たち夫婦がこれだけ自分も家庭も犠牲にして地区を回しているのにはねのけられない宿業なんて、この先どれだけやっても意味がないということではないか。日々の活動はこなしながら自分でも気づかないうちに無力感・虚無感が広がっていきました。
このような時にコロナ禍に入り、役職を降りる流れに突入していった訳です。コロナが無くても、限界は近かったかな。

その後、子①は高卒認定試験に合格し通信制の大学(S大ではない)に入りのんびり青春を謳歌しています。
蛇足ながら健康面で護られたことを発表した旦那氏はその後2度入院・手術の憂き目に遭い、県の合唱団で訓練を受けたはずの③は私が非活になる前から「18になったら退会する!」と宣言する人材に育ちましたw
母とは5年程度の家庭内別居(もうお母さんのご飯は用意しません!私の人生に関わらないでと宣言した)を経て本年、物理的に別居しました。直接的な別居の動機は私たちの退会だったようです←一家和楽とは。
「ファミリー体験その後」をぜひ組織の皆様に聞いていただきたいものです。

①の人生において失敗も回り道も“意味がある”ことだったとは思います。でもそれを組織の人に言われるのはおかしい。
いまわか家の幸せに母は関係ない、と思ったのと同じレベルで①を含めた私たちの人生に起きる様々なことに創価学会の活動やお題目は何の関係もなかった、と今は感じています。
自分の努力ではいかんともしがたいところをなんとかできるのが信心、と教えられてきましたが、なんとかなったのは自分の努力や周囲の協力があって時に適っていたからであり、なんともならない時はなんともならないのです。
なんともならない出来事に出くわした時いちいち「これにはどういう意味があるのか」「この前の選挙で闘い切れなかったからこうなったのではないか」←こんな思考回路には、もうほとほと疲れました。

で、役職を降り非活になり退会した今は「人生万事塞翁が馬」だよな~と噛みしめております。



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