やめ創価百物語【20】創価学会と選挙①政教一致か否か?
記念すべき【20】w何について書こうか迷いましたがやはり創価学会と言えば避けては通れないこの問題。
今年は選挙イヤーでもあるので創価学会と選挙(あえて政治とは言わない)についてです。成人前は母のF活動のダシにされ、若い頃はウグイスもやり婦人部になってからは期日前推進に東奔西走、地区婦になってからはまた別のすったもんだ、20歳になってからF活動で失った友人は数知れず…こちらも1話では終わらないと思われますがよろしければお付き合い下さい。
私は9歳で入会してから、母の活動について回っていたのですが、その中に当然公明党の支援活動もありました。知らない人の車に乗せてもらって母の出身地へ行き、親戚に支援依頼をして回ります。子ども連れの方が親戚も嫌な顔をしませんから、いわばダシです。ダシに使われているとはつゆ知らず、「選挙はいろいろなところへ行けて楽しい」と毛穴からin。
私が小学校低学年の時と高校時代、母は2度がんにかかり手術・療養を経て回復しました。私が成人後、またがんが見つかったとの診断を受け、今度は抗がん剤治療をすると。
その時ちょうど選挙があり、自分の宿命転換をかけて闘いますぅ!!と猛然とF活動(=創価学会員ではない友人・知人に公明党支援をお願いしOKを取り付けF/フレンド票にする活動)に奔走します。
母は2回手術をしてくれた主治医をめちゃくちゃ信頼していましたが、抗がん剤治療は大変だからセカンドオピニオンを受けてみようということになり、違う病院で検査を受けたところがんはありません、治療も必要ありません、となりました。
さあ、ここからが大変です。
母は「支援活動をがんばったから、がんが消えた!宿命転換した!!」と思い込んでしまい、周りの学会員さんたちに吹聴して回ります。
いっぱしの創価学会信者・公明党支持者に仕上がっていた私ですがさすがにその時は「いやいや、先生の誤診が正されただけじゃん…」と母のテンションの高さにドン引きだったのですが、「選挙で闘ってでがん消した」はすっかり母の持ちネタとなってしまいました。多分今も誇らしげに語っていると思います…。
なぜこんな昔の身内の恥ずかしいネタを披露したかといいますと、母のこのエピソードに創価学会員の、特に婦人部の公明党支援のあり方が凝縮されていると思うからです。
公明党を支援することによって日本をよくするとか、立正安国を実現とか四表の静謐(しひょうのせいひつ※注)だなんて1ミリも考えてない。ただただ「自身の、家族の宿命(=不幸)を選挙の支援活動をすることで変えることができるからがんばる」ということに尽きます。
だから公明党が与党になって20年も経つのに一向に日本はよくなっていないことや、一生懸命応援してきた議員が不祥事をおこして辞めても怒りも責任も感じないのです。
SNS上では現役創価学会員さんと思われる方が「創価学会と公明党は政教一致じゃない」「創価学会員でも投票は自由」とおっしゃっていますが、母のような行動原理が創価学会員スタンダードだと思って育った私にとっては「えええっ」です。
もちろん私も長年創価学会員&熱烈公明党支援者だった者として「政教一致とは、国家がその権力をもって特定の宗教を国民に押し付けることであって、宗教団体が特定の政党を応援することは法的に問題はない」というテンプレ切り返し文句は知っています。
でも、政・教一致でなくとも選挙・教は一致です。
「選挙で公明党が勝つためにがんばれば、自分の悩みが解決する」と考えて活動している人はうちの母だけでしょうか?
私は先輩幹部から、大きな選挙の前に「自分の悩みは、一旦風呂敷に全部包んで、押し入れに入れておきましょう。〇〇選が終わって風呂敷を開けてみたら、みんな無くなっていますよ!」という指導を受けたことがあります。
創価学会員にとって、公明党の支援活動は重要な「宗教上の活動」であり、
公明党を支援することは創価学会の教えの一部(?全部かも?)です。
「創価学会員でも投票は自由」投票箱をひっくり返して誰が誰に投票したかを確認できない以上それはまあそうですが、公明党を支持していない人が選挙期間中の創価学会の会合で居心地がいいとはとても思えません。選挙期間中の会合における活動報告=F活動の報告であり、新聞や折伏の話をしたら確実に場が白けます。
支部の会合で公明党の政策に批判的な意見を言っている壮年部がいましたが、私を含めたその場にいるほぼ全員が「めんどくさいな」と思っていました。
創価学会員にとって公明党を支援するのは息をするみたいに自然で、理由なんかない(あるとしたら池田先生が作られた党だから、くらい)ことなのです。だから、この壮年のような人に出会うと「〇〇さんは信心がおかしくなったのでは?」ということになっちゃう。
「投票は自由」を貫くとしたら、組織から距離を置くか、自分の信念は自分の中だけにとどめておくかしかありません。
今でこそわかったようなことを言っていますが、数年前まで私も「政教一致とか言ってる人は何もわかっていない!」なんて言っていたのです。そして政治に参加し、「政治を監視」しているつもりでした。
私のアホな熱烈公明支持者っぷりは、また改めます…。
※四表の静謐…創価学会が大聖人様と崇める宗祖日蓮の「立正安国論」の「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか」という部分より。
自分自身の幸福・安泰を祈るなら社会の平和・安定を祈るのだ、と解釈され創価学会員が政治活動(選挙運動)をする理由付けによく使われます。日蓮もビックリでしょ。