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やめ創価百物語【4】創価家族は温かい?

創価学会は「創価家族」と自称し家族のように温かく強いきずなで会員同士がつながる、と言っています。

入会当時の私は父がいなくなり、若くて親の自覚が足りない両親に代わり幼少期私の生活を全面的にバックアップしてくれていた父方祖父母とも離され、唯一の頼りだった母は自分のことであっぷあっぷ、不倫まで始まり兄妹もおらずひたすら寂しかった。

寂しい私に創価学会のおじさんおばさんはとても優しくしてくれました。
会合に行くと「いまわかちゃんえらいね」と声をかけられます。
未来部担当の女子部(当時)のお姉さんもマメに声をかけてくれて、高校の時に母が入院し家で一人になった際はご飯を作りに来てくれた女子部の方もいました。
そういう方々の温かさに触れ、創価学会の教義が正しいのかとか池田先生を尊敬できるのかとかは度外視、後回しで創価学会の組織に取り込まれていったのです。

だから原点といえばこの頃の組織の方々に受けた恩、も原点なのかもしれません。
この恩を返さなければ、私に優しくしてくれたみなさんのように創価学会の人たちに尽くさなければ、という思いで大人になってからは進んで車を出しての送迎や、会場提供、新聞配達や役職といったことを引き受けてきました。

けれども、それはしだいに私や家族の生活を脅かす質・量になっていきました。学会活動のブラックぶりは改めて語りたいですが、ともかく「創価家族」のために我が家や我が子を犠牲にするのは本末転倒です。

50歳手前まで自分も家族も犠牲にしてブラック活動をやって来ましたので、幼い頃〜創価学会の人に受けた恩はお釣りが来るくらい組織に返したと自負しております。

いまわか家の車に乗ったことない人がいるか?いまわかが新聞届けてない家があるか?会合でいまわかの家に入ったことない人がいるか??
最後は夫婦で地区部長・婦人部長でしたからそういうレベルで活動しておりましたが、やめてしばらく経つと誰からもなんの連絡も無くなりました。

連絡いただいたところでもはや会合に参加する気も公明党に投票する気もないのですが、私や夫は「今は活動していない部員さんでも、いつ発心(活動をやる気になる)するか分からないのだから、連絡はあの手この手で絶やさないように」と繰り返し指導され、実際そのようにしていましたから、あまりの素っ気なさに拍子抜けしました。
ああ、使えなくなったやつにはとことんドライなんだなと。ひとたび異を唱え離れるとこんなに冷たく排他的なんだなと。 

温かい創価家族が聞いて呆れます。



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