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やめ創価百物語【23】創価学会と選挙④狂気のF活動〈ヤング篇〉

〈青春篇〉は、私と同じようにかつて自身の宿命転換をかけてだか組織の同調圧力に呑み込まれてだかなぜやってるのかよくわからないまま創価学会の活動としてがむしゃらに公明党支援をやっていた皆様の古傷をえぐってしまったようです。皆様にフラッシュバックを起こさせてしまい申し訳ありませんでしたが、こんな小っ恥ずかしい過去を持つのが自分だけではなかったとわかり安堵もしました。今回は結婚し自分の家族を持ってからのF活動篇を。

モーレツF獲り女子部だった私にも縁があって旦那氏と結婚し婦人部(当時)となりました。
嫁に来て子が生まれ仕事をやめ専業活動家wになったわけですが、職場関係以外の近隣人間関係は皆無で、選挙の時は相変わらず出身地のF稼ぎに奔走していました。結婚して数年後に母を回収(同居)して実家はなくなっていたのですが、子連れで出身地のウィークリーマンションに数泊し、友人知人を回ったこともあります(イカレてるぅ~)。
自宅で電話作戦(友人に電話しまくりFを頼みまくる)する間、なんとか子どもにおとなしく過ごしてもらおうと電話の近くにプラレールを大展開したこともあります(爆笑)。

けれど、地域の組織が求めているのはあくまで地元の勝利(=地元候補の当選)です。我が地域は、勝ちました~!と先生に報告できなければ全国の公明党がどれだけ躍進しても意味がないのです。
ある年「他県出身であることを言い訳にするのはもうやめよう!この地域で100F獲るぞ!」と決意しました。けなげ&極イカレてるぅ~

出身地ではない地で仕事もしていなかった私の人脈と言えば子どもを通じたものです。
人脈を広げたかったので第二子なのに無理言って入れてもらった産婦人科のマタニティお茶会でお友達になったママさんとか。
子①に発達障害があり自治体の療育センターに母子で通っていたのでそこで知り合ったママさんとか。
①は幼稚園入園の折いくつかの園からお断りされたのですが、受け入れてくれた園に恩返しのつもりでママさんたちの間で「負担が大きい」と噂になり敬遠されていた謝恩会の委員を務めて、そこで知り合ったママさんとか。
幼稚園費用負担が重く子③だけ2年保育にしたので母子で入った育児サークルで仲良くなったママさんとか。
こちらに来てからの私には子①②③を通じての人脈しか、ほぼないのです。

こうした方々に選挙のお願いをすると、もちろん口には出しませんが「ああ、いまわかさんにはそういう下心があったのね」という反応をひしひし感じました。
育児に不安を抱える新米ママさん同士、子に障害があって悩みの尽きない者同士、謝恩会を盛り上げるために走り回る者同士、母子で楽しく過ごしたい者同士…の集まりに、あなたはその薄汚い下心を隠して入って来たのね…と私を見る目がすっかり変わってしまった、と感じたのは考えすぎでしょうか。
また、私を見る目が変わるだけならともかく、子どもたちにこの影響が及ぶことに恐怖を感じました。いまわかさんちは創価学会だから仲良くしちゃダメ!みたいなのはさすがにありませんでしたが、うちの子たちとうっかり仲良くすると、すかさずお母さん(私)が選挙頼みに来るぞ!(実際そうだったし)なんて思われたら…

選挙を頼んだとたんにすーっと心の扉を閉められてしまうのを感じる。
友人知人のいない嫁ぎ先の地でやっと築いた人間関係をF活動で破壊することを繰り返すうち「積極的に接して仲良くなっても、その先には選挙を頼んで引かれる未来しかない」というあきらめが心の底に澱の様に溜まっていき、だんだんママ友人間関係に深く入り込むのが億劫になりました。
「F活動なんかやめて、ただただ仲良く楽しく過ごせばいいじゃん」と今なら思えるのですが、当時の私は“人脈総当たり”に凝り固まっていて、選挙シーズンに話しかけられるレベルの友人知人に会ったら絶対公明党の話をしなければならない!!となっちゃう。←この感覚、わかっていただけるでしょうか…
せっかく仲良くなっても選挙頼んで引かれるくらいならそもそも仲良くならなくていい、という極端思考に陥っていました。

そんなこんなでヤングミセスを卒業するころには、白ゆり長(ブロックの合計を地区にまとめて報告する立場)で個人のFは誰にも報告しないで済むこともあり、誰かにくっついて行ってちょぼちょぼFを稼ぐ程度、私の中の100F星人はすっかり鳴りを潜めてしまいました。

こんなにF取れなくなっちゃった私が、地区婦人部長の任命を受けてしまいます。地区婦になったら選挙の負担はもはや個人の葛藤なんざ吹き飛ぶレベル。次回以降はそのあたりのお話を…






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