見出し画像

やめ創価百物語【21】創価学会と選挙②うぐいすの記憶

選挙編シリーズ化wならばなるべく時系列でお話ししたく、遠い昔話で恐縮ですが公明党のウグイス嬢をやったときのお話を。

創価学会3世の私は「創価学会に入りたいか?」と確認されたこともありませんでしたが20歳になって(当時)「公明党を支援したいか?」と問われることもないまま当たり前みたいに公明党の支援活動に巻き込まれて行きました。

まだ20代になったばかりの頃、「遊説隊」の話が来ました。
選挙カーに乗って、道行く人に手を振りながらマイクを持って候補者をアピールするアレです。
一般の人にとってはアレはアルバイトか党職員か、候補の家族かもしくは当該候補や党を熱烈に応援したい人がやるもの、という感覚だと思いますが私にとっては遊説も「創価学会の活動」という認識でした。
だから断るという選択肢は無い。
無報酬で丸一日拘束(現在もそうなのかはわかりませんが、少なくとも当時は)でも、設定された日が平日で有給休暇を使わねばならなく(当時は会社員でした)とも、そろいのスカートを自腹で買わされても、学会活動ですから。

創価学会の会館を使って何回か遊説練習をしたのち(←これって公職選挙法的に大丈夫なんですかね?)、本番前に公明党の宣伝カーに乗ってみろということになりました。
私と女子部の本部長(高校の先輩)、男子部の運転手さんと責任者っぽい人、くらいで出かけたと記憶しています。私も街へ出るwのは初でしたが運転手さんも実際に選挙カーを運転したのは初めてだったようです。
その日乗った公明党の宣伝カーというのが通常の候補と乗る車より大きくて重い車だったため運転に四苦八苦されていたのですが、坂道で止まって動き出したときにうまく発進できず後ろにさがってしまい、後続の車にぶつかってしまいました。
さあさあ大変です。
後続の車の人は「公明党さんだからね~、きっちり落とし前つけてくれるよね~!」みたいに怒っていて(まあ当たり前ですが…)本部長は泣いていたかも。
どういう風に始末がついたのかはっきり憶えていないのですが強烈に印象に残っているのは私を含めたその車に乗っていた全員が「自分の責任だ」と受け止めていたことです。

私はその前日、翌日大事な遊説なのに全然題目をあげていませんでした。
だから、こんな事故に遭ってしまった。一緒に乗っているメンバーを、私の題目の足りなさで悲しませてしまった。申し訳ない…
↑と、私が思っていただけでなく本部長もぶつけた本人の男子部も、もちろん責任者の人もみんなそう感じていたのです。

今振り返って言葉にすると強烈だな~と思いますが、当時は本当にそう思っていたのです。
公明党の選挙スタッフって、こんな気持ちでやっているのですということを知っていただきたいので恥をしのんで過去を語っております。
当時のいたいけなw私と一緒に乗っていたメンバーに「あなたたちは全然悪くない。無報酬の素人ドライバーにいきなりこんな大きくて重い車を運転してまわってこいと責任を投げる公明党と創価学会が悪い」と言ってあげたい。

こののち実際に候補とともに回る遊説を地元自治体で2回、よその自治体に呼ばれて1回、計3回やったと記憶しています。
早朝に候補宅に集合し、三食候補のお宅で御馳走になり、候補と一緒に回ったり、遊説隊だけで行ったり。
最初の時以来みんな題目が上がっていたのかw事故に遭うことはありませんでしたが、うるせー失せろ!と近隣住民から言われたり。

また別の回でお話ししたいと思っている「F活動」と並び、こうした直接的な支援活動も創価学会員にとっては「宗教の活動」「仏道修行」なのです。
候補のことをめちゃくちゃ推しているわけでもなく、バイト代ももらえないのに、仕事を休んで・ずぶの素人がウグイス嬢や選挙カーの運転をする。傍から見たらなぜそこまでするの?となるでしょうが、池田先生に勝利(=当選)のご報告をすることが至上命題ですから、そのために自分のできることは何でもするのが創価学会員です。新聞配達や、送迎・役職にともなうもろもろの役目を果たすのと同じ感覚で、公明党の選挙運動員として働きます。
一方で、そういう(宗教的)動機で応援していますから当選したのちの議員がどう働いたか・働いていないのかにはびっくりするくらい興味がありません。これも傍から見たらとても不思議に映るでしょう。

公明党は若い時の私のような敬虔な創価学会員を無報酬で選挙運動員として使い、集票は創価学会の組織をあげて行い、選挙になると陣中見舞いと称して組織を通じてお金も集めます。お金と言えば選挙のたびごとに「公明パンフ」を買わされ、新人候補が出る際には候補の自伝本まで買わされます。公明新聞という聖教新聞より購読料が高い新聞があるのですが、選挙のシーズンになると「地区で12ポイント(=12か月購読)」などとノルマが課され、何人かの副役職の方が三か月ずつ負担したりしていました。
このような労力・お金の負担を創価学会の人たちにすすんでしてもらえる公明党は、他党に比べてとても恵まれているということに気づいたのは非活になってからです。

創価学会は女子部が消滅するくらい若い女性がいなくなり、創価班・牙城会も回らないほど若い男性もいないようですから、公明党の選挙活動も私が若い頃のようなやり方はもうできないと思われます。
そうしたらどうするのか。新聞配達みたいに外注するのかな?
創価学会も公明党も高齢化や若い世代の組織離れで信者が使えなくなったらカネで解決すればいいという考えでしょうか??
もう創価学会は退会しましたし公明党には5年くらい投票していませんが、そういう考え方じゃあ未来はないよ、と30年前のウグイス嬢として残念に思います。







いいなと思ったら応援しよう!