神様へのお願いごとを止めると起こること
「神様にはお礼だけをするのが良いんですよ!」
という言葉を見かけますが、僕はお願い賛成派。
めっちゃお願いします。
神様はきっとメチャ優しいもんね。
「タイトルでは止めると書いてたが?」
そう、止めたのは確か。
止めたのは自分に関するお願い事。
それを止めた。
でも、毎朝の散歩ついでに行く神社では毎朝お願いをしている。
今、色々と教えている塾生の成功とか。
体調が悪い知人の快復とか。
あと、地域住民の幸せとか。
別に良い人アピールで書いているわけではなくって。
何なら最初は違和感もあって。
「ワイもハッピーになりたいんや!」
みたいな。
なので、たまには、
「宝くじ当てて!」
なんてお願いもする。
お賽銭は10円だけど。
10億円をおねだりしている。
でも最近はそういうお願いをすることもなく。
ただ人の幸せを願っている(良い人アピール)。
だからと言って良いことがあった!というわけではなく。
良いことがあるから人の幸せを願おうよ、という提案をしたいわけでもない。
期待をさせて済まない。
世の中そんなに甘くないんだわ。
「では何が起こったのか?」
起こったというか、言い訳が浮かぶようになったのだ。
自分のことは差し置いて人の幸せを願った後の言い訳。
「んんん…自分は…自分は?んん?まぁ、幸せやな…」
他人だけ幸せになったかのようなモヤり。
自分だけ幸せじゃないような気がするというケツの穴の小さい思考。
その思考の帳尻を合わせるかのような言い訳。
「アンタ自身のお願いしなくても幸せじゃない?」
という天からの声、が聴こえてきたわけではないけれど。
自分のお願いは特にしなくてもいいかな…という気持ちになった。
10億円当たったら嬉しいし、高級ステーキ食べれるからハッピーだけど。
でも、たとえ当たらなくても美味しいカレー屋さんを知ってるし。
カツ丼食べればハッピーになる体質だし。
エビフライ食べれたら1日中ご機嫌だし。
色々なお願いはあるっちゃあるけれど。
優先順位つけて、自分で叶えていけば良いだけの話だし。
それを叶えられなくても、何かやってりゃ何か叶っていくし。
生きていれば思い通りにならないことが盛り沢山。
超凹む時もある。
けっこうある。
追い討ちをかけるように、気分をアゲるために行ったカレー屋さんがゴハン切れなこともある。
でも、まじめなお菓子ミレーを食べればハッピーだ。
さらに追い討ちをかけるように行きつけの100均でミレーが在庫切れしてても、コンビニで芋けんぴ調達できれば問題ない。
芋けんぴは僕をハッピーにしてくれるんだ。
10億円がなくてもハッピーだし。
美味しいカレーがなくてもハッピーだし。
ミレーが買えなくてもハッピーだし。
きっと芋けんぴを食べなくてもハッピーだ。
まぁ、10億円当たった時のハッピーも知りたいから当選祈願をすることもあるだろうけれど。
高級ステーキを食べるために仕事も頑張る。
そして明日の朝もお散歩をする。
神様のご利益でハッピーなことが起こったであろう住民とすれ違い、
「ワイのおかげやで♪」
とほくそ笑みながらご機嫌なステップで神社へ向かう。
妄想甚だしい散歩道。
ついでに妄想する高級ステーキ。
からの高級寿司。
きっと明日もハッピーです。
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