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いつか忘れてしまうから

2人の子供と過ごす今がとても幸せ。
一緒に遊んでいる時。2人を膝に座らせて絵本の読み聞かせをしている時。おめかししてお出かけする時。息子と手を繋いで歌いながら歩いている時。娘に話しかけると声を上げて満面の笑みを見せてくれる時。「ママママママママ」と纏わりついてくる息子と戯れている時。

こんなにも尊く幸せな時間を過ごしているのに、悲しいことに、時間が経つとその全てを思い出せなくなることを知っている。
だけど写真や動画を見ていると「こんなことあったなぁ」「そういえばこの時、」と忘れかけていた記憶が蘇ることがある。
だから写真や動画をたくさん撮る。子供のどんな一瞬も尊くて、パパや周りの人と戯れている姿が微笑ましくて、ついついたくさん写真を撮る。
iPhoneの中は息子が生まれてから子供の写真だらけ。256GBのストレージはあっという間にいっぱいになり、毎月1300円課金して手にした2TBのストレージもそう遠くないうちにいっぱいになるだろう。

家族アルバムアプリ「みてね」を愛用している。有料のメンバー登録をしているので、アップロードした動画が自動で編集されて毎月ショートムービーが作成される。1ヶ月の子供たちの成長や、家族の思い出が振り返れてほっこりする。子供たちと夫のムービー。なのにいつもいちばん子供たちと一緒にいる自分の姿がそこに無いのが悲しい。私がいないみたい。毎月少し悲しくなる。

毎日夜な夜な撮った写真を振り返りながら、みてねにアップロードする。今日も同じように作業していると昼間に息子と遊びながら2人でインカメでふざけて撮ったツーショット写真、アングルの問題もあるけどほうれい線がくっきり。歳を重ねること自体は前向きに捉えているつもりだけど、今まで感じたことない見た目の変化に衝撃を受けた。悲しくなった。記録の中に今まで当たり前だった自分の姿は残っていないのか。暗闇の中、眠る子供たちの隣で涙が出てきた。

恥を忍んで「子供と過ごす自分の写真を撮ってくれ」と夫にお願いしたことも何度もある。夫は基本的に優しく私の気持ちに寄り添ってくれるが、単純に写真や動画で記録することに対する価値観が違うのだろう。
家族で出掛けて、いかにも撮影スポット、周りの人もみな記念撮影をするような雰囲気、お願いすると子供も私もカメラを見てポーズを取った写真を撮ってくれる。
そうじゃなくて日常の何でもない、子供たちと過ごす今の私を残したいんだよ。わがままかもしれない。だけどこの先歳を重ねていくうえで、きっと思い出すのは子供と過ごした何気ないけど幸せに溢れた今だと思う。それを写真や動画で振り返りたい。記憶なんて曖昧なものはすぐに薄れてしまうことを知っているから。

人をあてにするのはやめよう。例えば家の中で三脚を立てて動画を撮るとか。「今この瞬間の写真を撮って」と明確にタイミングを指示するとか。そこまでする?って感じだけど、仕方ない。「何気なく、日常を切り取った」記録は無理なんだもの。それを残したいのは自分の独りよがりなのであって他人を責めることではないから。私が「そこまでして」子供たちと過ごす毎日を記録に残したい。

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