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ショウギ

お盆なので少しセンチメンタルなお話。

イマの祖父が昨年末に亡くなった
(リトルトゥース的に言うと「お隠れになった」)
(知らない人は調べて)

初孫だったこともあり祖父はイマに甘かった。

イマは中学〜24歳くらいまで祖父・祖母と暮らしており
祖母は母代わりだった。

2人ともとても優しく、
イマはその優しさに甘えていた。

祖父とはよく将棋を指していた、
祖父も特別強かったわけでもないが、祖父が先生となってイマに教えてくれた。

小学生、中学生の頃は負けっぱなしだったが
高校、社会人になる頃にはイマの方が勝つことが多くなっていた。

結婚そして子供が産まれてからは、
ひ孫を会わせに行くことが目的になってしまっていた。


昨年、祖父が肺の病気から体力が無くなり入院し、
そのあと、亡くなった。

年末のバタバタ、転勤の準備と重なり、
悲しむ時間がなかった、そして何より実感が湧かなかった。

亡くなった直後は、
いつもの家にいつも寝転んで昼寝をしている場所に
祖父がいない、だが、
ただトイレに行っているだけ、
一時的にいないだけのような感覚だった。

あっという間に時間が経ち
4月の東京転勤以来初めて
初盆のため実家に帰った。

迎えてくれる父、
親戚、
祖母、

久しぶりで嬉しかった

だが、祖父は居ない。

改めて実感した。
「悲しい」とかじゃなく「寂しい」とかでもない

「居ない」と「実感してしまった」

なんとなくそれを避けるように
日々を送っていた。
お墓参りをしても、仏壇を見ても
自然と感じとらないようにしていた。

実感してしまった時、涙は止まらなくなってしまった。

イマは正直なところ、神様仏様はあまり信じられない。

だが、お盆などの行事に意味がないとは思わない。

慌ただしい毎日の中で、そういう時間を作り
ふと大切だった人を想い、大切な時間を思い出す。

嫌な思い出は忘れても良い、
都合よく、良かったことだけ思い出せればいい。

そのあとは何度も祖父の仏壇に線香をあげた
何度も仏壇の写真を見た

父がイマが撮った写真を遺影にしてくれた
これで少しは祖父孝行ができただろうか。

後悔がないわけではない、
後悔は悪いことだけじゃない。

もう一度、一緒に将棋を指して、
祖父をコテンパンに負かせたらよかった。
「もう一人前だ!」と言ってやりたかった。

後悔も「想い」だと感じた。

駄文失礼しました

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