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シテン

ハンバートハンバートという男女ユニットの
「ひかり」という曲が好きだ

妻も同じように好きらしい

ふと、お互いの感じた歌詞の意味を言い合うような
少し気取ったことをしてみた。

歌詞のざっくりとした内容としては、
自殺未遂を図ったがそれに失敗して病院に運ばれた人の話
後遺症により、目以外は自由が効かないが、
大切な人に再会できた、会えてよかった、生きててよかったと感じるというもの
(もっと素敵な言い回しの歌詞です。)

妻のイメージでは、
「再会できたことへの希望」

なるほど・・・

イマのイメージは、
「なんて身勝手な人だろう」だった

「再会した大切な人は、その人も本当に主人公に会いたかったのか」、
「血縁関係があり、仕方なく会いに来たのではないか」、
「相手が何を言っているのか分からないくせに、『よかった』だなんて・・・」
など、強引で自分勝手な人物を想像してしまった。


少しショックだった、第一印象からそう思ってしまった

思えばこんなことは前からよくある。
イマはどうも主人公より、その周りに目が入ってしまう。

略奪愛がテーマのドラマを見ても、感情移入・心配するのはいつも奪われたほう。
「その人のその後の人生は幸せだろうか・・・ 」

バトル漫画を見た時は、あっさりとやられてしまうキャラクターの境遇を考えてしまう。
「あのキャラにも大切な家族が居たのだろうに・・・」

どうもスポットライトの当たっていない側を考えてしまう。
こんな考えを持っている自分がどこか特別とも思わない。

いわゆるサイコパスな考えではないか、
気持ち悪くなったので少し考えてみたがなんとなくわかった

イマ自身が「脇役気質だから」、これに尽きる
主役にはなれない人間とわかっているから、脇役にもどうにか上手く行って欲しいと考えてしまう。

30年間その考えだ、筋金入りだ、びくともしない。

「自分の人生の主役は自分だ!」という自己啓発な本や
Twitter投稿をよく目にする。

そんなことはわかっている。
けれど、組織の中、イベントの中、さまざまの出来事の中に「主役」と「脇役」は存在する。
そうでなければ成立しない、「みんながお姫様の学芸会」のようなわけにはいかない。

そうなったら名脇役になるため努力するしかない。

イマを含めた脇役たち、今日も応援しています。

長々と、しょうもない自己啓発のようなことを言ってしまった。

駄文失礼しました。

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