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向き合わされるもの

クリエイターたるもの
不遇の環境に生まれたり
経済的な欠乏に悩んだり
そういう、分かりやすい
物質的な辛さというものがあれば
3次元的なストーリーとして
完ぺきであるのだろうけれども

それらのカルマを持たずして
周囲から見ればどう見ても
恵まれていますねと
誰かの羨望(嫉妬)の型に
当てはめられるゆえに
そう言われ敬遠され続ける
そんな人生も実は過酷なもので、

神さまより
物質的な充足感とともに
精神不安の才能が搭載され
世界の悲しい事件事故歴史の反面
恵まれてるのに私は何故ダメなのかという
ずっとずっと見えないなにかが不安で
3次元的な特技が増えていったとしても
心の核となるところとの
向き合いを徹底的にさせられて

きっと悩みの奥の普遍性を見つめ
取り出し抽象度を上げて共感度を上げて
境界を必死に越えて寄り添うような
表現活動をすることで唯一このカルマは
消えてゆくものなのだろうと思う

だから心から描きたい表現したい
のだけれど
描くことが怖くて怖くて仕方ない
だって向き合わされることになるから

でもきっと
輪廻転生を万単位で繰り返すなか
もういよいよ最終段階でそういう
命の使いかたを設定して
生まれてきているのかもしれない..

なんて
ここ最近の原因不明の身体の不調と
ライトハウスを見ていて思ったよ

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