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宇宙

のらりくらりと日々は過ぎる。
朝起きて必ず熱いインスタントコーヒーを丁寧につくる。
コーヒーの粉を少量のお湯で溶かし完全に溶けたらカップ半分ほどのお湯を入れまた溶かす。その後にカップの八分目までお湯を入れ水を入れる。
俺は猫舌なので熱々のコーヒーが飲めないのだ。
ちょっと前までベランダで一服していたがお隣から直接のクレームが入り玄関を出た踊り場でコーヒーを啜りながら吸う。踊り場から通りをぼうっと眺める時もあればツイッターなどのタイムラインを追ったりしながら。
数日前、この一服タイムにも直接のクレームが来た。クレーム処理を5年やっていた俺はそれに対し反論する事も出来たが辞めた。ただただ面倒だったからだ。
いつからトラブルを面倒だと思うようになったのだろうか。
自分が思っている事やその瞬間の感情を言葉にする事を面倒と思うようになったのはいつからだろうか。
感情的になりそれが間違いに気づく事が多過ぎたのだろうか。
はたまたただただ臆病になったのだろうか。
音楽をやる上でのみそれらを面倒だと思わないようにしている。
それは果たして正しいのだろうか。
感性が、角が削れてまん丸になっていくような気持ち。
古い友達と久しぶりに飲んだ時に「中学生の時のお前は暴君みたいな奴だった。自分が一番正しいと思っていた。それが魅力だった。それがお前だった」と言われた事を思い出した。


最近長男が宇宙にハマっている。
インターステラを勧めたら3回観た。
その後も宇宙映画を見漁ったみたいだ。ついさっきもちょっと星を観てくるとベランダに出て空を眺めていた。
玄関を出て踊り場を右に進むとどの住居にも影響を与えないスペースがある。
そこで俺が一服していると長男がパンツとTシャツで出てきた。
お父ちゃん、あそこに見える星はなんたらのオペラって星で45光年先にある星らしいよ。と言った。
どこだ? あそこだよ。
いつも眺めるどっかの企業の電光看板の右斜め上にその星はあった。
言われるまでその45光年先にある星に気づく事は無かった。
今見るその星の姿は45年前の姿だが、今現在その星はどうなっているのだろうか、その星には誰かいるのだろうかとか想像した。
その後に俺は息子に言われるまでその星の存在に気づけていなかった事に少し寂しくなった。
そういう目を凝らせば見える45光年先の星のような気づきやら風景を見逃してはならない。

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