【旅日記】岐阜和傘と "うだつの上がる町並み" 美濃(岐阜県/岐阜市〜美濃市)
まだ梅雨が明けないというのに、35℃を超える猛暑日が続く。うだるような暑さだ。そんなとき、ふと「日傘を差せば、少しは暑さを凌げるのかな」と思いついた。洋傘だと、見た目が雨具と変わらない気がして個人的になんか嫌で、和傘に興味を持った。あと、伝統工芸、職人の手で一つ一つ丁寧に作られる、という言葉に私は弱い。
調べてみると、岐阜の和傘が日本一の生産量を誇るとある。岐阜って、和傘の街だったのか、初めて知った。「なら、岐阜に行ってみるかぁ」これが今回の旅のきっかけである。土曜日の早朝、東海道新幹線に飛び乗って名古屋まで行き、そこから東海道本線を使って岐阜駅まで北西に進む。さすがは県庁所在地。岐阜駅の周辺まで来ると、そこはもう都会だ。思い返してみれば、岐阜県に降り立つのは初めてかもしれない。申し訳ないのだが、岐阜はいつも新幹線で通り過ぎてしまう県なのだ。
岐阜駅を見渡すと、どことなく和傘のデザインを模した駅舎やベンチが目に付く。改めて思うが、和傘の街なのだなと思った。岐阜駅に着いたものの、和傘を買うために来たのであって、観光のことは何も考えていなかった。傘屋の開店まで時間があったので時間を潰したい。調べてみると、どうやら山の上に岐阜城があるらしい。まずは岐阜バスに乗って、岐阜城へ行くことにした。
岐阜駅のバスターミナルはとても立派だ。様々な方面に行けるバスがひっきりなしに発着を繰り返す。バスの時刻表は都内の電車の時刻表のごとく、10分未満の間隔でやってくる。電光掲示板もあり、次にどのバスが来るかがわかる。バス会社の人が電車の駅係員のごとく、バスの発着のアナウンスをつとめる。そして、Suicaが使えるのもありがたい。電車に乗るときと同じ要領で「ピッ」とカードをタッチして完結する。自動運転も検証中らしい。岐阜バス便利すぎ、すごすぎるだろと思った。
岐阜城の最寄り駅に着くと、何人かの観光客とぞろぞろと一緒に下車した。どっちに進めばいいかわからなかったが、私の前をスタスタと歩いていく旅人がいたので、その人について行く。そこに残りの観光客もぞろぞろと後について行く。岐阜公園の中を入っていくと、こじんまりとした庭園が見える。敷地は広いわけではないが、落ち着いた雰囲気の良い公園だ。公園の中を突っ切っていくと、岐阜城へ登るためのロープウェイの駅が見えてくる。
土曜の朝から岐阜城を見に行くのは物好きな人だけだろうと思っていたが、ロープウェイのゴンドラが定員いっぱいになるくらい、朝から人が来ていた。山の上に到着すると、岐阜城はすぐなのかと思ったら、そこからのぼり階段を上がっていく必要がある。途中、息を切らせて休憩している人たちもいた。スタスタと駆け上がっていくと、10分程度で頂上に着き、ようやく間近で岐阜城を拝むことができた。
ふと耳を澄ませると、どこからともなく「かっとばせー、〇〇ー」という高校野球の応援の声が聞こえる。お城を見ながら、高校野球の応援曲を聴く。ミスマッチ感がすごい。どこから聞こえるのだろうと思い、山の上から見下ろすと、遠くに立派な野球場が見える。人の姿は肉眼ではさすがに確認できないが、おそらくあの球場からの声援だろう。
岐阜は辺り一帯が平地になっていることもあり、遠くまで街並みを見渡すことができる。また、街を斜めに切り分けるように長良川が走っている。岐阜城の中まで入ろうとは思わず、山の上からの景色を眺めるだけで満足して、またロープウェイの駅から下の岐阜公園まで戻ってきた。
十分に時間を潰せたので、今回の目的地に向かうことにする。和傘店「和傘CASA」は、岐阜公園から少し行ったところ、川原町という場所にある。山の上からも確認できたのだが、川原町の区画だけ明らかに雰囲気が異なる。あの区画だけ過去にタイムスリップしているかのようだった。それもそのはず。川原町の通りは古い町並みを復元したような街並みだ。
和傘店の開店時間にはまだ1時間近くあったので、街並みを見ながらブラブラ歩いてみることにした。川原町の通りを歩いていくと、真新しいお店もある一方で、入っている店には昔からの老舗も含まれていることがわかる。ぼんやり、宛もなく歩いていると、向こうからスマホに向かって話しかけている男性が歩いてきた。何してるのかなぁと思ったら、どうやらYouTubeか何かの朝配信をやっている人のようだ。スパチャをもらって「ありがとうー!」って話していたから間違いないだろう。時代だなぁ、どこにでもいるもんだなぁと思った。
通りを歩いていると、「住井冨次郎商店」という、うちわ屋さんを見つけた。お爺さんとお婆さんが営んでいるこじんまりとした個人商店だ。店頭にはズラッと並べられた各種うちわ。その奥の作業台に鎮座するお爺さん。これから夏シーズンに向けて、うちわがたくさん出るのだろう。お爺さんがうちわをせっせっと作っていた。昭和の残り香を感じる。これがたまらない。何か記念にと思い、松尾芭蕉の俳句が書かれた茶色いうちわを手に取った。購入するつもりはなかったのだが、気に入って買うことにした。「これをください」と伝えると、お婆さんが丁寧に紙にうちわを包んでくれた。合わせて、うちわの解説文が書かれた紙ももらった。
その解説文を読むと、岐阜で作られるうちわには「水うちわ」と「渋うちわ」の2種類あるそうだ。私が買った茶色いうちわは「渋うちわ」。うちわが茶色いのは、柿渋で染めているからだ。なぜ柿渋で染めているかというと、見栄えに加えて、柿渋の防虫効果でうちわを長持ちさせる意図がある。とても理にかなったものだった。
次に和菓子屋さん「御菓子司 玉井屋本舗」に立ち寄った。鮎の形をしたお菓子で、登り鮎というのがある。求肥をカステラ生地でくるんだ鮎を模したお菓子だ。こんなの絶対美味しいだろうと思い、購入することにした。そうこうしているうちに、11時になったので、和傘の店に行くことにした。
川原町にある和傘店「和傘CASA」は外からだと中の様子がよくわからない。不安な面持ちで、扉をガラガラと開く。玄関を上がった左手に和傘がズラッとディスプレイされている。圧巻だ。お店の人が出てきて「見学ですか?奥に行くと、和傘を作るための機械などが展示されています」と紹介された。まさか、和傘を購入するために来たとは思わなかったのだろう。和傘はどちらかと言うと女性に人気だからだ。
「和傘を購入したいので見せて欲しいのですが」というと、お店の人も察してくれて「では、靴を脱いで、そこにある手袋をつけてください」と言われた。和傘は安くはないなので、美術品のように丁寧に扱っているのだろう。言われた通り白い手袋をはめる。「傘の柄を持って、クルクルと右に左に振ってあげて、傘を開きます」と和傘の開き方をレクチャーしてくれた。言われた通り、気になる和傘を試しに開いてみた。
とても色鮮やかなブルー。光に透けると模様が浮かび上がる。物によっては日陰に和紙の模様が浮かび上がり、風情がある。お店の人が熱心にそれぞれの和傘の特徴を説明してくれた。ここにくるまでに全て予習済みだったので、新しい情報はなかったが初めての人にはありがたいだろう。1本目から派手な色だとなぁと思い、柿渋の色をしたちょっと渋めの1本を選んだ。傘が開いた状態を維持するための返しも木製となっている点も興味を引いた点だ。
「これをください」といい、会計に進む。和傘を収納する手提げ袋も見せてくれたので、その中から藍染されたものを選んで合わせて購入した。購入後のメンテナンスもやってくれるそうで、自分の住所も書き残してきた。購入したのは日傘だったので、早速差して外を出歩いてみることにした。
実用性で言ったら洋傘には劣るのかもしれない。取り扱いに関しても、和傘のほうがデリケートかもしれない。でも、和傘にしか出せない良さもある。和傘の和紙から透けて見える龍雲の模様を照らしながら散歩する。心を和ませてくれる。これは和傘、和紙にしか出せない味である。
お昼が近づいてきたので、お店を探すことにした。何も考えていなかったので、川原町をまた宛もなく歩いていく。すると「川原町泉屋」という鮎ラーメンを食べさせてくれる美味しそうな店を見つけた。ガラス張りの窓から、鮎を焼いている光景が見える。勢いでお店に入ろうとしたが、「本日、ご予約で満席」という張り紙が貼ってあって、入口からUターンする羽目になった。
今度来た時は予約してくるぞと思いながら、岐阜市内に向けて歩いていくことにした。駅前も混んでいるだろうと思ったので、「月待ち茶屋」という和風のお店を見つけて入ることにした。入口に下駄箱がある奥ゆかしいお店だった。恐る恐る「予約していないのですが、入れますか?」と聞くと大丈夫ですよと言われて中に通してもらった。
話に聞くと大正時代の建物で、ランプも大正時代のもの。窓ガラスは波打っていて、昔に作られたもので現代では手に入らないものだそうだ。料理はきれいに盛り付けられていて、野菜には飾り包丁が入れられている。目で楽しませてくれる。お造りからムニエルまで和洋折衷といった感じだ。鮎は焼いたのでなく揚げてあるのか、パリパリで頭から尻尾まで食べられる。
腹ごしらえを済ませたところで、また岐阜バスに乗り、岐阜駅に向かった。今度は高山本線で美濃太田駅まで行き、長良川鉄道で美濃市駅まで行く。今日泊まるホテルに向かうついでに観光も兼ねて。夕方近くの時間帯だったので、人でごった返しているわけでもなく、適度に人で賑わっている。古い町並みが保存されており、「うだつの上がる街並み」としても知られている。
「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして家を火事から防ぐために造られた防火壁のこと。裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったため、出世できない・金銭的に厳しいことを指す「うだつが上がらない」という言葉ができたそうだ。美濃は商人の街だったので、そこかしこに「うだつ」のある建物が見られる。ゆえに「うだつの上がる街並み」と評されているのだ。
美濃の名産である美濃和紙などを販売する雑貨屋さんや、酒屋さん、食べ物屋さんなどが立ち並ぶ。江戸時代にタイムスリップしたかのような不思議な気分になる街並みで、ぼんやり歩いていても楽しい。ずっと歩き通しの1日だった。
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