心の食べ物 その1(中編) 【息子への手紙】
前編より
私は、遙か昔の自分の姿を思い出していた。
私が小学四年生の時、国語の時間に短歌を書くことになった。学校の周辺をみんなで山に登ったり、小川でカニを捕ったりした後、「川は、下へ下へと流れて行って、やっと着いたは海だった」と、書いて出した。
どうしたことか、先生が「浩一君の短歌が素晴らしい!」と、褒めてくれたのだ。何となくそう書いただけだった私は、ビックリしたが嬉しかった!
人から初めて褒められた時だった気がする。
私より頭の良かった井上君が「先生、それは字余りではありませんか?」と質問した。戸渡先生は「時には字余りでも良いのです」「心の中の何かを表現できていれば、それが良い歌なのです」と仰いました。
「そんなものか」「そんなこと考えたこともないし、ただ想ったことを書いただけだったのに」と、想いながら「先生に認められた」と、ともかく嬉しかった。
その数日後、職員室に呼ばれて「君の詩を県大会に出すので、何か詩を書いてくれ!」と、言われた。詩なんか書いたこともないので、どうして良いか判らなかったが、先生への断り方も知らないので書くしかなかった。
「杜の中の独りぼっちの天神様が可哀想、だからみんなで参ってやって、せめて今日だけにぎやかに」と、書いて出した。
県大会では入賞しなかったが、卒業後10年間ぐらいは、朝礼を行う中央廊下に張り出してあった。
その後何故か、私は図書委員長に任命されて、「小学四年生」という月刊誌を渡されて、まず私が読んでからみんなに渡すことになった。
日本中が貧しく、本が貴重な時代だったので、今考えても戸渡先生に大変な優遇を受けたことになる。
「小学四年生」の懸賞に投書して、「野口英世伝」「シュバイツアー伝」「新渡戸稲造伝」等々をもらって読んだ。
この時から私は本を読むようになり、調子に乗って詩人になろう、と思うようになっていた。近所のおばさんに「あんた頭が良いね」と言われるようになった。先生に認められたことは、その人間の未来を変える力があったのだ。
向爾、良い先生に会えて良かったね~!
後編へつづく