「凄い奴を探せ!」それが君の今やること #① 【息子への手紙】
大学の建築科に入ったけど授業が面白くない。将来建築設計士になる気もない。 先生と親に勧められて推薦で入っただけだから、大学なんか辞めちゃおうかな~。でも、そう言うと親父が怒って「大学辞めるなら仕送りしないぞ、自分の力で生きてみろ!」と言うので困ってしまって、一応学校には行くことにした。授業には一応出ているけど面白くないな~。あと3年もこんなことしていなければならないなんて堪らないよ。 あ~あ暑い。
そんなとこかな、今の君は。
受験をして難関を突破して入学したり、地方から上京した学生は憧れの大学に入った興奮と誇りで少しは長持ちするけど、2~3ヶ月すると、やっぱり大学の授業に失望してしまう。そして授業に段々出なくなり、気がつくと単位を幾つか取れなくなってしまう。そうなるとクラブ活動でもしていない限り、大学を辞めたくなる。 そんな時にアルバイト先から声がかかってそこに入ってしまう人もいる。君だけではなく、日本の大学生はみんなそんな状態かもしれない。
「なぜそうなるか」というと、「日本人は目的をもって生きることをしない人が多いからだ」と思う。例えば、大学に入る時でも、「将来海の上に浮かぶ家を世界中に建てて回る為という具体的で強い目的を持って建築科に入学した人」ならば今の大学の授業でも面白いでしょうし、辞めたいなどと考えない。
ところが、君をはじめ、多くの日本人は「一流会社に入る為に一流大学に入った」のであって、「一応、建築関係に進もうという漠然とした思いで建築科に進んだ」のであって、自分の中にあるはずの「・・・したい!」「・・・になりたい!」「・・・が欲しい!」という強い思いと結びついていない。だから大学が面白くないのだ。
本当のことを言えば、「大学が悪いのではなく、ハッキリとした目的もなく入った自分達が悪いのだ!」 そうは言っても、日本中がそうなんだから、君だけが悪いわけではない。日本では「大学は卒業するまでに自分の目的や進路を見つける場所」になっている(それはそれで意味があるが)。だから、「授業はそんなに厳しくないし、一応授業に出ていれば単位が取れるように仕組んである」。
本気で勉強したい人間には不満だが、それ以外の人間にも楽に卒業できるようになっているはずだ。だから、建築科を出ても設計士にならなくてもよいし、音楽家でも、作家でもディレクターにでもなれるそんな仕組みになっている。
やはり「問題は自分にある!」。与えられた自由で孤独な大学生である間に、自分を分析して、「自分はどんな状態にいる時一番充実するのか」「自分はどんな時に不満で、どんな時に楽しいのか」「自分は何が欲しいのか」「自分はどんな人間になりたいのか」「自分は何がしたいのか」「その為には何をしたらよいのか」・・・・・・と考え続けることだ。そうすると、必ず君の前に「これは凄い! この人には敵わない!」、と思う人が現れる。
大学時代にそんな人に会えれば、それが先生であれ、先輩であれ、友人であれ、或いは後輩であれ、幸せである。君の心臓はドキドキし、頭はカーッとして、或いはシーンとして「俺は今まで何をしていたのだろう?」「恥ずかしい!」「この人のようになりたい!」と思うだろう。その時初めて君の目標が見えてくる! そんな凄い人に巡り会わなければならない。会えないとしたら、それは君自身の自分探しの努力が足りないだけだ。大学で会えなければ、社会に出てからでも会える。
実は恥ずかしながら、私が自分の目標を決める凄い人に会えたのは34歳の時だった。