記憶が消えてる・・・先週のレストランでのお祝いの食事

レストランでの食事 スマホ・・・悲しいな

また、記憶をなくしていたので、先週のことを頑張って書きます。
辛すぎると忘れてしまう。危なかった。

先週オットと食事に行った。一年に何度もしない外食。
記念のタイミングだったので 私が予約をして、私が支払いをした。
レストランを予約するねと言ったら「家でいいんじゃない」と言われて

それだとまたいつも通りに私が立ったり座ったりしながら
お店のスタッフのようにしていて、スマホしながらテレビ見ながら
食事をするオットの横顔を複雑な気持ちで眺めているだけの
いつもの日々。それでいい、ってなんだ?
私はこんなに空しくて辛くて悲しい。
この気持ちを感じているのだから、この気持ちを粗末にしたらいけない
と思って、「せっかくだから予約します!」と。

レストランに行ってみた。やっぱりスマホ。。。
悲しいな。

テレビはないけれど、スマホはある。スマホ見ながら食事をするのは
作ってる人に失礼だから辞めて欲しい、悲しいと何度も伝えて来たけれど
「待っている間が暇だから」と辞めてくれない。だからと言って、
最初に全部食事を食卓に並べると冷めると言われて、
食べるペースを見ながら温めたり焼いたりして運ぶことを求められる。

だから、私は食べた気がしない。オットの食事のペースを見ながら
できるだけ待たせないように、同じものを短い時間で食べて席を立ち
次のお皿の支度をする。

だから、外食をしたときには、純粋に食事だけをする速さは私が
早いから、気を付けないとあっという間にたべてしまうので意図して
調整している。

さて、レストランではどうなったか想像できます?
最初の食事が出て来るまでの間、オットはやはりスマホをしている。
次の日休みで一人で出かけるルート検索をしているようだ。

ずっと、ずっと。
私は、正面に座って、彼の顔を見ていた。いつ顔を上げてもらっても
いいようにいい笑顔を作りながらそこにいた。
彼の記念日をお祝いに来ているのだから。

お店の年配の女性がその様子に気づいた。
私の笑顔とオットのスマホからずっと顔を上げない様子。
私は、目が合ってしまい、自分が可哀そうでいたたまれなくなって
席を立ちお化粧室に行った。
笑顔を練習して戻り、
店内の調度品やちょっとした置物を見て体裁を繕った。

それなりのお店に絵画が飾ってあるのは、雰囲気作り品格づくりの
ためだけではなく、適切な会話が見付からないとき、間が持たない
ときの大切な演出アイテムだと聞いたことがあって、そのときは
全く想像ができませんでしたが、
あぁこういうことかと実感してしまった。

その後は、席に戻り窓の外に目をやり、、、
思考停止。私の眼は窓の外の木の一枚の葉を凝視して、
オットがようやく顔をあげてこちらを向いたときにも、表情を
作れず視線を戻すことができなかった。

食事が運ばれてきてからは、
会話が再開して、お店を出るときにはお店の方とも朗らかに会話して
仲の良い夫婦のようにみえた。自分もそんな錯覚をした。

この日の食事の代金は私が支払ったし、その意味はあると思うけれど
引っ越してから、新しい場所では地域の人との交流や仕事をするのは
辞めて欲しいと言われた私にとっては、以前の住まいのエリアで
もらった仕事で交通費を差し引いた金額は、
この日の食事の支払いには満たないものだった。

お仕事をくださっている人に申し訳ないし、
空しいし。お祝い事はお祝いしたい。おかしな私の誠実さなのかも
しれない。
それが仇となっているのか。。。


・・・・この辛い気持ちを、1週間後には切れに忘れていたのが
私の心の限界を超えていると言うことかも。

ふぅ。書けた!書いた!これで残る。



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