浜崎あゆみを諦められない

こんにちは、まきのです。今日は私の大好きなアーティスト、浜崎あゆみについて話しながら自分の人生を振り返りたいと思います。多分このシリーズまたあります。多分多分。おそらく。

よくあることなのですが、ものすごく好きになるものや人って、最初は反対にものすごく嫌いな事が多いんですよね。浜崎あゆみも例外ではなく、それでした。

小学生の頃、今でいうスクールカーストのようなものが、ハッキリとはしていないけれど存在していて。そこの上位に属する人達が好んで浜崎あゆみを聞いていました。自分は、最底辺の人間だったので、上位の人達はおろか先生からも疎まれ避けられ、時に酷い扱いを受けました。いわゆるイジメですね。学校に行く事が苦痛で仕方なかった。それでも負けたくなくて、心を無にして通っていました。今の自分では、あんな事はできないですね。すぐに行かなくなると思います。強かったのか、それとも鈍感だったのか。そんなこともあって、浜崎あゆみに対してもいいイメージは全くありませんでした。浜崎あゆみからしたらとんだとばっちりだと思いますが。話はちょっとだけ逸れますが、イジメの主犯の1人は中学卒業後地元で1番の進学校に通い、某有名大学の医学部に入ったそうです。その後関東の有名大学の附属病院に勤務し、数年前に結婚して子供も授かったとのこと。だからどうということもないのですが、なんでしょうね、そういう人って、世渡り上手なんでしょうかね。学力はそれとは関係ないかもしれませんが。その後彼女が私を思い出してあの日々を悔やむ事があったかどうか、と考えると、どうでしょう。本当のところは分かりませんが、まず私の名前すら覚えてないのではないでしょうかね。覚えていて頂かなくても結構ですけれど。

話を元に戻しましょう。あまりいいイメージのなかった浜崎あゆみでしたが、中学1年生の頃に転機が訪れました。中学生になって人間関係もほぼリセットされ新たに友達もできましたが、私は地味で暗い人間なもので、なかなかクラスの中での立ち位置が変わる事はありませんでした。目立ったイジメがなかっただけでもマシなのでしょうか。それでも、いわゆるヤンキーと言われる部類の子と友達になったことで「調子こいてる」なんて言われ、肩身の狭い思いは度々していました。普段はヤンキーの子に守られてましたが、たまたまその子がいなかった時に、大人数に囲まれて「1人じゃ何もできないのかよ」と言われたことがありましたね。お前らには言われたくないなと思いましたけれど。それでもいい奴だったのでヤンキーの子との付き合いをやめることはしませんでした。なぜか時々殴られたり罵倒されたりしましたけど、ヤンキーだしな、と思って諦めていました。ちなみにこの子とは今でも良い友達です。人間関係というのは分からないものです。まぁそれは置いておくとして、その子を含め取り巻きの子たちがこぞって浜崎あゆみを聴いていたんです。浜崎あゆみかぁ、そんなに何がいいのかなと思っていたところ、とりあえず一回聴いてみなよと言われて当時発売したばかりの「A BEST」を借りました。伝説のベストアルバムですね。宇多田ヒカルの2ndアルバム「Distance」と売り上げ勝負をしていた事でも話題のあのCDです。ちなみに私はデビュー当時から宇多田ヒカルのファンだったので、勝負は当然ながら宇多田ヒカルを応援していましたし、初回限定盤を買いましたよ。しかしまぁ「A BEST」は一曲目から衝撃的でした。あの「A Song for XX」でしたからね。この曲で一気にもっていかれました。「人を信じる事っていつか裏切られ」だとか「1人きりで生まれて1人きりで生きていく」という歌詞に驚かされました。こんなにキラキラした人が、こんなことを歌うんだ、と思いました。どんな孤独を背負って生きてきたのか、知りたくなりました。色んな浜崎あゆみの曲を聴きあさりましたが、今までの辛い自分の経験に寄り添ってくれるような、孤独のつらさを代弁してくれるような歌詞の世界に溺れていきました。今思えば、あのいじめ集団が好きだった浜崎あゆみは、どうせ「SEASONS」を歌ってる浜崎あゆみだったのではないでしょうかね、きっと。偏見ですけれど。「POWDER SNOW」とか「End of the world」とかは聴いてもいないですよ。多分。

浜崎あゆみを聴くようになったことで、色々な事が変わりました。なんと言っても、浜崎あゆみを聴いているのはスクールカースト上位の人間達です。浜崎あゆみを通して、上位の人達と関われるようになっていきました。高校生になってからもそうです。浜崎あゆみを好きだという話をすると、いわゆる陽キャと友達になれました。ありがとう、浜崎あゆみ。ギャルっぽい子でも、浜崎あゆみの話になるとかなりコアな話しができたので、楽しかったです。

私にとって浜崎あゆみは救世主〜メシア〜です。信者と呼ばれても全く気になりません。だって、その通りですから。今でも浜崎あゆみが好きで、ライブがあるとできる範囲で足を運びます。もう浜崎あゆみなしの人生は考えられませんね。自分の青春を彩ってくれた、暗闇から救い出してくれた存在ですから。当時と違って、浜崎あゆみの話をできる友達は今はほぼいません。流行が過ぎたとしても追いかけていくこと、浜崎あゆみを支えていくこと、これがファンとしてできるささやかな恩返しだと思っています。浜崎あゆみをダシに友達作ってたような言い方してしまいましたが、そんな事はありません。自然とそうなっていっただけのことです。

あと、宇多田ヒカルももちろん好きです。宇多田ヒカルが好きなおかげで、スクールカーストの真ん中くらいの子たちと仲良くする事ができました。いや、宇多田ヒカルをダシに友達を作っていたわけではありませんよ?!漫画も好きだったので、いわゆるオタク層とも仲良くなれました。パソコン部に入ってオタクトークに花を咲かせていたこともあれば、地元のレディースやってる友達と浜崎あゆみや当時流行っていたヒップホップを聴きながらドライブしていたこともありました。アニメの限定缶バッジのために朝から並ぶ日もあれば、ヤンキー仲間たちと飲み会をする日もありました。私の八方美人な性格はここで培われたのかもしれません。その話しはまたいずれする事にしようと思います。

浜崎あゆみの人生と自分の人生は比べられるようなものではないですが、特に恋愛面で共感する事が多くありました。「愛されたいと願う私が誰のことも愛せないことにあなたはきっと気付いたのね」というような歌詞があるのですが、これが正直一番よくわかります。この歌詞以外にも、時々似たような事を歌っている事があるのですが、恋愛において求めている事に共通点があるのです。この話もまたにしましょう、ちょっと疲れてきました。(おい)

ではでは。

浜崎あゆみのコピーバンドがやりたいまきの

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