「中国地方都市化」進むシアヌークビルで考えたこと
前回書きましたプノンペンで考えたことに引き続いては、シアヌークビルで考えたこと、です。プノンペン編でも触れましたが、このシアヌークビルは中国人がより目に見える形ですごい勢いで移民し、街の姿を変えていることで有名なところ、その浸透ぶりを是非この目で見たかったことから訪れてみました。コロナ発生直前のシアヌークビルの様子は、こちら山谷剛史さんのルポ記事に詳しいですが、この記事が書かれた2019年の2年前ほど、つまり中国化への激変は2017年頃から進んでいたようです。
今回シアヌークビルを訪れる直前の日本では、この特殊詐欺グループがシアヌークビルで活動していて強制送還、逮捕されたことで、残念な注目を浴びていました。ただそういう怪しい雰囲気もふんだんに感じる、カオスな街の状況であったことは確かでした。
カンボジア初の高速道路は中国製
まずは移動手段から。プノンペンからはバスがたくさん出ており、片道14ドル程でチケットを買うことができます。現地に住む友人に教えてもらったサイト「Camboticket」からは、予約&クレジットカードによる事前決済もできて便利でした。
行程は高速道路で約3時間。この高速道路こそ、中国国有の道路建設大手、中国路橋工程が2018年に「建設・運営・譲渡(BOT)方式」事業として実施、2022年11月に完成したカンボジア初の高速道路です。開通式典にはフンセン首相と、カンボジアを訪れた当時の李克強首相が参加した、国家プロジェクトです。
ちなみにこの会社は、今度はプノンペンからベトナム国境の街バベットに近いSvay Rieng省を繋ぐ高速道路を、同じく同社の投資という形で建設するということで、その工事もそろそろ始まるとのこと。官民一体の中国のカンボジア経済への浸透がここからもみてとれます。
説明不要の「中国地方都市化」
そしてやってきたシアヌークビル。街は、説明の必要もないくらいの中国化振り。ツイートもしましたが、チャイナタウンではなく「中国地方都市化」と言った方がしっくり来るような、どこでもドアでどこかの大陸地方省の街に来たかのような、そんな錯覚さえ覚える様子です。
シアヌークビルはシアヌーク国王の名前にちなんだ街ですが、中国語ではシアヌーク国王は「西哈努克」と書くところ、この街の名前は中国語では略して「西港」。「西港省人民医院」の表記を見た時には一瞬ホントにどこかの中国内陸部に行ったかと、目が眩みました。
ギラギラした街と、止まったビル工事と
噂どおりの中国化ぶり、街中でも沢山の中国人に出会います。ただ見かけるのは20代〜40代くらいの男性ばかりが多く、街中ではあまり中国人女性はあまり見かけません。そして夜にはカジノがギラギラと輝く怪しい街並みに、というこの街には、確かに艶かしい勢いが存在しました。特にカジノの中には、月曜夜にも関わらず結構客が入っていて、そこでは男性(おっちゃんたち)はもちろんのこと、中国人女性(主におばちゃん)もかなり遊んでいました。
ただ、その煌びやかな雰囲気の一方、建設途中で施工が止まってしまって久しいと思われる建物が、街中にも、ビーチ沿いにも、多く放置されていました。新型コロナの苦境を経て止まってしまった案件も多いのでしょうし、街の規模からすると「もっと賑やかだった時期もあるだろうなあ」とも感じさせられました。その意味では、冒頭山谷さん記事のような混沌は残しつつ、中国地方都市化は進みつつも建設ラッシュはだいぶ控えめ(止まりがち)、勢いはやはり鈍化していると言えそうです。
ガチ中華の宝庫
元々ビーチが綺麗な観光地としても有名だったシアヌークビル。飲食店には事欠かないのですが、最近移り住んできた人たちによる「ガチ中華」は正に宝庫と言っていいくらい様々な料理がありました。四川、湖南、蘭州ラーメン、饅頭、ワンタン、海鮮料理屋から餃子まで。
立派なホテルの中は行かなかったのでわかりませんが、路面店は概して食べ物の分量が多く、庶民的な感じの店が並んでおり、高級飲茶のような店は見ない感じ。青年〜中年男性、さらには労働者かなと思われるガテン系中国人男性も多い中、あまり高級なレストランが目立たないのが、これまた中国の地方省にある田舎都市を思わせます。
日本が支援した港湾インフラと、中国人が住み着く現在と
シアヌークビルの忘れてはいけない重要な役割は、その港湾都市としての機能。海岸線を東はベトナム、西はタイに大分取られてしまったような歪な形の国土をしているカンボジア。国が直に利用できる海外線、港湾は経済にとって非常に大事です。その中でシアヌークビルは、日本がODAで港湾設備を整備してきたし、今も実施中という経済協力の大きな歴史を持っています。
ただ、特殊詐欺グループの存在が残念なプレゼンスを示してしまった以外は、現在シアヌークビルの街中では日本のプレゼンスは極少と言わざるを得ません(港湾関係者は違う印象を持っているでしょうが)。シアヌークビル港湾の整備は同国の貿易活動に大きな貢献を果たしつつ、その街は新・中国人街となっていってしまうところには、何とも言えない気持ちにさせられます。
ちなみにベトナム人もやはりある程度住んでいるのか、ベトナム外務省は同国3つ目の外交拠点としてシアヌークビル総領事館を既に開いています(他2つはプノンペン大使館、バッタンバン総領事館)。この街とベトナムとの結びつきについては、また次以降調べていきたいと思います。
聞いてみたい、カンボジア人の声
今回は短い滞在でしたが、それでも百聞は一見に如かずの言葉どおり、色々考えさせられました。人口ポーションの大きい中国人が移民して、ある海外の特定地域に殺到する時に起きる混沌、地元社会との微妙な関係。今現在はホスト国に順応して、調和した存在となっている各国チャイナタウン(例えば横浜中華街)にも、初期にはこのような雑然さ、カオスが見られたのかなと、現実を見ながらそういった歴史を想像もしてしまいます。
言葉の壁もあり、今回は聞くことのできなかった地元の人たちの声。実際にどう思っているのか、緊張関係はどの程度存在するのか、地元行政当局はどう対応しているのか。疑問と好奇心は尽きないながら、力不足で感じることのできなかった事柄については、次以降の宿題にしていこうかなと思っています。