2020前期レポート課題 ボツ作品
新型コロナウィルスの蔓延によって、近代の政治原理である自由主義はどのような点でどのような変容を被る可能性があるだろうか。みなさん自身が経験したり見聞きしたりした範囲内で、具体例を挙げながら考えて述べよ。
私たちは先人の知恵により、政治原理である自由主義を謳歌している。
個人の内面的自由もそうである。そして必然的に外面的自由も
持ち合わせている。参政権に関しても政治的自由を謳歌している
それは、必ず投票をしに行かなければならないということではない。
棄権という投票行動も参政権に象徴される政治的自由である。
勿論のこと、外面的自由も含まれるし、経済の自由も当然保証される。
例えば、私たちが諸外国に旅行に行く際に誰が咎めようというのであろうか。絶対に行ってはならない国というのは理論上無いはずである。
かの北朝鮮ですら日本と国交はないにせよ実際に行くことは可能である。
また、経済の自由も当然ながら保証される。
自由経済であり、政治的な判断により経済を止めるということは
あり得ないことなのである。私たちは自由主義に基づき、法を逸脱するような経済活動は兎も角として、国に対し貢献できるような経済活動は
あらゆることをすべて制限されず自由に認められているのである。
新型コロナウイルスというのは、
人間の体内を侵すということは自明である。
しかしながら、2003年のSARSをはじめ、2010年前後の新型インフルエンザが国内を襲ってきたが、日本において異常なほど騒動にはなっていなかったと考える。今回の新型コロナウイルスの目的においては、人間に対して肺炎を侵し、致命傷を与えるというのは変わりはないと言えるが、
それよりも、社会に対する変容を被ることも侵すとしか言いようのない現象であったと言っても過言ではないのである。
非常に似ている理論がある。
E・デュルケムは社会有機体説の考え方を提唱した。
人体の脳、心臓、肺、手、胃、肝臓、腸、足など、
すべてのいろいろな部分が密接に相互依存することに至り
ひとつの人間の身体というものが成り立っている。
それは、類比することによって社会にも同じことが言える。
社会では政治があり、宗教、メディア、文化、家族、経済、科学、
教育など、これらもそれぞれが相互依存することによって
成り立っているのである。
そこに新型コロナウイルスは襲いかかった。
社会の経済に当たる部分が侵されたのである。
もちろん社会の経済分野だけではない、
政治から上げたようにほぼありとあらゆるところを侵していったのは
事実的なことである。
それらは、逆に人間の身体に言えば、致命的なのは肺を侵すところであるが
味覚異常や嗅覚異常などの症状、体温の上昇や咳などの症状と同じ用に
新型コロナウイルスは人間に対してもありとあらゆる症状を侵していったのである。
こういった新型コロナウイルスの症状は人間の身体だけを蝕むのではなく
社会の成り立ちをも蝕んでいった。
非常にはっきりした例を上げるとすぐにわかる。
旅行業界を筆頭に、飲食業界やホテル業界、航空業界から医療業界は新型コロナウイルスによって侵されてしまった。
さらに言えば、政治という自由主義に基づく原理原則の権力者が
海外なら都市封鎖(ロックダウン)を行った。
それは自由主義における最大のタブーであり、人間はいかなるときにおいても自由であるべきなのにも関わらず、住んでいる都市から出ることは不可能という強固な権力を発動した。
それは日本においても要請レベルであったが、
非常事態宣言という名の元に、人々の行動制限を行ったのは明らかなる事実である。
日本においてはあくまでも要請・要望というレベルであるので、
法的罰則はないものの、大衆はその規範に従った。
よって、上記に述べた旅行業界を筆頭に飲食業界からホテル業界
航空業界や医療業界は大ダメージを負ったのは事実でしかない。
人間に対し非常に致命的なダメージを与える新型コロナウイルスは
肺炎を引き起こすだけではなかったのである。
社会においても人々の行き来を制限したりすることになってしまった。
ウイルス感染を防ぐという大義名分を元に、人々の行動制限を
海外では強制的に行った結果、日本においては要請において行ったことにおいて、その結果、自由主義経済の致命的なダメージを負ったことは否めない事実でなのである。
ここにきて、大衆という視点でも自由主義がどのように不利益を被るのか
ということを検討していくことにする。
J・オルテガの「大衆社会論」を元に述べていくことにする。
オルテガは大衆をこのように位置付けた。
1、非常に均一的で画一で、突出した個性を持たない。
2、何ごとにも他律的であり、他人や世論に同調し、
あるいは自分に同調を求める「烏合の衆」である。
3、理想や使命感や向上心など無縁の存在であって自分の現状に自己満足しきっている。
4,文明の恩恵が自動的に享受できることをあたりまえと思っており
文明に対する畏敬や感謝の念、また未来に対する責任感を欠いた
「忘恩の徒」である。
5,自分たちが一番偉いと思い、自分たちのわがままを押し通そうとする
「駄々っ子」である。
6,精神性の欠片もなく、物質的快楽を求める「動物」である。
7,以上のような自分たちのあり方を、何が何でも社会全体に押し付けようとする「野蛮人」である。
こうして、文明に反逆する大衆が社会の主役として台頭した結果
文明は衰退の一途を辿ることになったという論理がオルテガの持論である。
まさにそうである。
今回の新型コロナウイルスにおいての大衆の行動を観察してわかったことを
挙げていくとこうなる。
簡単に例を上げると、
1,非常に均一的画一的であり、思考もせずに単にマスクをすればいいという大衆
2,新型コロナウイルスに対して防護するのはマスクとアルコール液と
思って単に世論に同調するだけの「烏合の衆」まさにこれである。
3,どうすれば防げるか、感染防止できるかを思考放棄し
マスクとアルコール消毒液があれば自己満足する大衆である。
4,マスクとアルコール消毒液は不繊維マスクなどや進化してきたが
布マスクは意味がないという文明に対する感謝の念すらない大衆の姿が浮き彫りになった。
5,言わずもがな、正義マンという少しでも規律を乱すだけで
正義を振りかざす大衆も現れた。
6、精神性の欠片すらなく、人をバッシングするだけで快楽を求める「動物」的大衆。
7,以上のような自分たちが正しいと思っていることを社会全体に押し付ける「野蛮人」という姿が浮き彫りにもなってくる。
オルテガの持論を出すまでもなく、私は「思考もできない人間」は文明を衰退させる要因のひとつであり、このような大衆は新型コロナウイルスにでも
かかって退場してもらったほうが良いのではとも考えてしまう。
これは倫理上非常に良くないことであるが。
結論を述べるとすると、
自由主義というのは冒頭にも述べたとおり先人たちが必死に積み上げてきた結果として、政治的民主主義も確立したのであり、自由主義という概念を謳歌できることになったのである。
今回の新型コロナウイルスにおいて、自由主義が変容を被ると仮定するならば、マス・コミュニケーションによって扇動され、強く表現すれば自ら「思考」することなく「思考放棄」をしてしまった大衆自身が、自由主義を変容させるであろうと私は考える。
そのような考え方を持った私としては、街中で「マスク」を付けている
大衆たちを見ていると、しっかりと「ウイルス」から「免疫」まで勉強をした場合には、滑稽にしか目に映らないのである。
<参考文献>
社会学がわかる事典(森下伸也)日本実業出版社,2000,12
命題コレクション(作田啓一・井上俊)筑摩書房,1986,06
【補足説明】
あ、これはとある大学の前期のレポート課題を
私がやるならこうするってことで書いたものです。
相手にもごめんなさいと言われた。ボツ作品です。
残念!!