「LGBT」ブームとホモフォビア
ここ数年で「LGBT」という言葉が流行り、
その流行の様子を見て、彼らセクシュアルマイノリティへの偏見は無くなりつつある、というのが世間の見解だろう。
世間に周知されれば、差別は無いと言えるの?
差別が無いと言っている君は、差別されている側の気持ちを考えたことあるの?
「私ってマジでLGBTだわ!」
私の友人は、同性のタレントへの愛を語るときに必ず自分がLGBTかもしれないという発言をしていま。
この類の偏見や誤解を解くのには、大きな労力を必要とするし、分かってもらえないことがほとんどだ。
LGBTという言葉は、流行語にもなり、入試などにも出てきそうなくらい、ニュースやSNS上で耳にすることが多い。
「私ってマジでLGBTだわ!」
この発言の何が問題なのか?
➊まずさ、LGBTがどういう意味か分かってる?
LGBT男性、LGBT映画
こういった言葉を聞くと、私は大きな違和感を抱く。
当事者であれば、尚更だろう。
まず、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、それぞれの頭文字を取って
LGBTという言葉ができているということを知っている人はどれくらいいるのだろうか?
LGBTという言葉は、性自認・性指向の括りの一部の羅列である。
だが、最近ではこの言葉がセクシュアルマイノリティ全般の括りとして使用されている例をよく目にする。
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人たちが、自分たちの存在を知らせたり、仲間を集めたりするのに、
このLGBTという括りはとても便利だろう。
ただ、レズビアンとゲイとバイセクシャルとトランスジェンダーとは、全て別の意味を持ち、
当事者たちの中には自分のそのジェンダーやセクシュアリティに誇りを持ち、
一つのアイデンティティとして大切にしている人も少なくない。
ひとつに括り、LGBT男性、LGBT女性といった訳の分からない言葉や、
LGBT映画といった広義すぎるジャンルを指す言葉を使うことは
誰の得になるのだろうか?
私は、それは今まで彼らを差別してきた強者側の人間だと思う。
LGBTという言葉が差別的意図を持たない画期的言葉であることを利用して、今まで使ってきた侮蔑語である「オカマ」「ホモ」「レズ」の単なる言い換えとして差別的意図を持って使用する。
まるで自分は理解者であるかのように振る舞いたいがために、当事者たちを利用しているようにも私は感じてしまう。
長々書いてしまったが、友人よ。
「私マジ、LGBTだわ!」というのは、言葉の使用の仕方として、そもそも間違っている。
それを言うなら、「私マジ、レズビアンorバイセクシャルだわ!」だ。
ん?これも違和感あるぞ。大きな腹立たしい違和感があるぞ。
↓
❷軽々しくのっかてくんな!当事者の気持ち、理解しようとしている?
大学の「クィア・スタディーズ」の授業で見た、ある情報番組のLGBT特集にて、当事者チームではないヘテロセクシャルのゲストが
同性を魅力的だと感じることに共感するという点で、「俺も、実質バイセクシャルみたいなもんよ」というような発言をしていた。
授業中では、この発言についての問題点が提示された。
この発言は、私の友人が言った「私マジ、LGBT(=レズビアン、バイセクシャル)だわ!」の発言が抱える問題と同じ問題を抱えている。
この問題について言葉で説明するのは、正直なところかなり難しい。
問題の指摘が、当事者の口をふさぐことにもなり得るからだ。
また、セクシャルマイノリティの中での「普通」や「大半」の考えというものを語ることを避けられないからだ。
できる限り、言葉にしたいと思う。
LGBTに関わらず、セクシャルマイノリティの人々の中には
社会が「普通」だと定義づけるジェンダーやセクシュアリティに違和感を抱いている人が多い。
その違和感というのは、苦しみを伴うこともあるし、
周りの心ない発言に心を痛めたり、カミングアウトをするまでに深く悩んだりすることもある。
ある学生が、ゲイであることをアウティングされて、自死を選んだニュースなども頭によぎりますね。
つまり、セクシュアルマイノリティの人々は、セクシュアルマイノリティであることである程度の生きづらさを抱えて生きている、生きてきた人々が少なくなく、
本気で悩んできた当事者がいるのにもかかわらず、軽々しく「私はある意味でセクシュアルマイノリティだ」と言えるのは、あまりにも配慮が無さすぎるのだ。
あなたは、本当に悩んできたのか?
あなたは、本当に苦しんできたのか?
もちろん、セクシュアルマイノリティであることを公言するのに、悩みや苦しみの背景が必要であるわけではない。
そうであるべきとするのは、強者側のエゴである。
でも、多くのセクシュアルマイノリティの人々に生きづらさが伴ってしまう社会的背景を考え、当事者の気持ちを本当に理解しようとするならば、
自分の本当のジェンダーやセクシュアリティと違うことを、ジョークの一つであるかのように発言するのは控えた方がいいと私は思う。
だから、友人よ。
そもそも、その発言自体するべきではないのだ。
女性タレントが好き、それだけでいいだろう?
❸もっと考えて!
つい最近、知り合いが元同僚の話をしてきた。
その元同僚の遊びを断っているという話だ。
「なんだか合わない」という話から、いつのまにかホモフォビア的な思想を含む話になっていた。
知人は、その「元同僚はゲイであるのではないか?」と疑っているようだ。
知人の元職場ではその元同僚が「ゲイである」という噂が広まっていたらしく、知人は「もし○○(元同僚)がゲイじゃなかったら、そのうわさ、失礼ですよね」と言っていた。
いや、その元同僚がゲイでもゲイでなくても、失礼とかの前に職場の人間たちは人としてアウトだろ!!失礼ってなんだよ!
と私はとっさに思った。言葉にはできなかった。
他人が勝手に人のセクシュアリティに踏み込んでいくこと恐いものはないし、勝手に語っていることが恐ろしすぎる。
間違っていても、間違っていなくてもだめだよ。
分かってくれ。
「もし期待とかさせちゃってたら悪いじゃないですか」「なんかこわいし」
その知り合いは、「いや差別じゃないんですけどね」とさわやかな笑顔を浮かべながら、そう続けていた。
ああ、こうやって差別って根強く残っていくんだなあ、と思った瞬間だった。
もし、私が同性愛者だったら、そしてその知り合いがそれを知っていたら、その話をしたのだろうか?
たぶんしてないでしょうね。
知り合いは、元同僚がゲイかもしれないと疑うのに、目の前にいる、彼には「普通」に見える私が同性愛者であるかもしれない可能性は、頭に浮かばない。
誰かが傷つく可能性を、思い浮かべられない。
かなしいね。かなしい。
「LGBTかも発言」をした友人も、私がレズビアン、バイセクシャルであるかもしれない可能性を考えていなかったのだろうか。
その友人とは、「ヘイトかもしれないけど」や「これは差別じゃないんだけど」という枕詞を据えて、隣国へのヘイトや人種・性差別を繰り返したので、もうほとんどしゃべってません。
ですので、真相はわかりません!
かなしい。
もっと考えてほしかった。
わたしももっとちゃんと考えるから。
どうして、目の前にいる人間が、自分とおなじ「普通」に違いないと思いこんでしまうんだろう?
そう思い込んでしまうくらいなら、まず「(自分の思う)『普通』じゃない人間も『普通』にいる」という考えを持つところからでいいから…
ちゃんと考えてほしい。
そこから「普通」というものを疑っていけばいい。
もうかなしくなりたくない。
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