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私がサークルを辞めるまでの記録 -序

久しぶりです。

仕事の方が非常にバタバタしていました。
そんなのはちょっとした言い訳で、何回もいろんな記事を下書きして、完成せず、推敲せずで、かなり時間があきました。

ああ〜もう〜習慣にしたいのにな〜なんて思っていたところ、
シリーズとしてちょこちょこと書きたいと思えるネタができたので、久しぶりに投稿するに至りました。


今日は9/1で、学生の自殺者数が一番多くなる日らしい。
ニュースで樹木希林さんが、9/1について語っていた映像をふと見て、
私が最も危なかった時期のことやその時期になる経緯を書こうと思った。

私は、2017年の秋〜冬頃が恐らく、一番線路を見ては飛び込もうと、高い場所に行けば一歩踏み出そうと、そんな妄想をしていた時期でした。

理由は私の中には一個だけ。
それはサークルでのセクハラ経験による
フラッシュバックとパニック発作ですね。

中学校の時の社会科の先生は、
「女生徒は社会人になったら、社会の不条理を実感するだろう」と言っていたが、
私にとって、それは大学に入ってからすぐ実感するものでした。

早めにこんな経験をできたことは、あの人たちのことを嘲笑いながら「有難い」と言えるものでもありますが、
あんな酷い経験、せずにいられるのならば、どれほど良かったかと思います。

女に生まれたからという苦しみを味わう人生よりも、
男に生まれることで味わえる余裕に寄っかかることができる人生の方が、よっぽど良いでしょう。
男性を恨んでいるわけではありません。
私が怒っている対象の半分は女性です。
今も笑顔で社会を、生きていくあの人たち。
どんな差別も、不条理も、なんでも「ワロタww」で片付けられるあの人たち。

いいなぁ。ああ生きられればなぁ。

でも、何度生まれ変わっても、あの人たちになりたいとは思えない。
私は絶対にあの人たちにはなりたくない。


私の表現とフェミニズム、また女性差別というのは切り離せるものではありません。
世の中に女性差別がある限り、私は表現の世界を離れることはないし、
世の中にフェミニズムが浸透するまでは、私は表現を辞めません。

私はサークルを辞めたとき、一度死んだような気分になっていて、
余った人生を楽しむかのように、或いは使命に燃えて命を削るかのように、
サークルで遭った酷い経験を表現の中で昇華しようとしています。

そのことは、よく人前で話しているでしょう。

「大変だったね」
その言葉のあとは、

インターンの面接でも、大好きな映画監督との面談でも、演技のワークショップでも、いつでもどこでも、必ず
「どんなセクハラをサークルで受けてきたの?」でした。

私が表現者である以上、セクハラの具体例を挙げるのは必須かもしれません。
ただ、そこにはモヤモヤとしたものが残ります。

私の経験は私だけのものだし、
あなたにまで否定されたらどうしようか?
あなたの経験と比較されたらどうしようか?
あなたが私の想像通りのリアクションをしてくれなかったらどうしようか?
あなたがドン引きしてしまったらどうしようか?
私が憎んだ人々が放った言葉を、模倣だとしても私が口に出すのはどうしようか?
信じてくれなかったらどうしようか?

経験を聞かれるたび、様々な不安が頭をよぎります。

このモヤモヤについては、
シリーズの最後に、ある著書を引用して、解決したいと思います。
結論だけ言えば、「私が私の経験をいつどこで誰に話すかは、私だけが決める権利を持つ」ということです。

だからこそ、私はこのnoteという場を借りて、
人々の表情を気にせず、
時間や場所や状況を気にせず、
自分の思うままに、自分の辛かった経験を自分の言葉で書こうと思います。


もし、私と同じで性犯罪の被害やセクハラの被害で苦しんで、自死を選ぶことも目に入るような人がいるならば、
一度この一連のnoteを見て行って欲しいと思います。

叶わないかもしれないけどね。

また、もし私が憎む人間と同じような行為をしている人がいるならば、このnoteを読んで
行動や言動を改めて欲しいと思います。
そう強く思うのは、私も強者に迎合し、差別的な発言を繰り返すような時期があったからです。

誰かを傷つけてきたことは消えないけれど、
これからも誰かを同じように傷つけるよりかはましだと思う。

綺麗事であっても、大事なこと。

次の記事は、2016年4月、サークルの新歓のことを書きます。異常さの片鱗でありながら、世の中の常です。

-201604新歓に続きます。


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