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発想の逆転

 選挙の投票:よい人を選ぶよりも嫌な人を選ぶ方が楽。

 先頃,統一地方選挙が終わった。選挙中は朝から晩まで,狭い選挙区を多くの選挙カ-が行ったり来たり,大音量で候補者の名前を連呼して回ったので往生した。もっと困ったのは,どの候補者に投票してよいのか皆目分からなかったことである。

 いま住んでいる町は,子供の頃から住んでいたわけではなく,会社勤めのためにやむなく住んできた町である。したがって,地域社会とほとんど無縁に過ごしてきたので,一体誰が地方議会の議員にふさわしいのかさっぱり分からない。選挙運動も連呼が主体だから,あまり参考にならない。しかし,どの人が好ましくないか,なんとなく虫が好かないかは案外はっきりしている。好ましい人はなかなか決まらないが,どうもこいつは嫌だと言うのはすぐに決まる。

 そこで,発想を逆転して,嫌な候補者を選ぶようにしたらどうであろうか?もちろん,今までどおりに好ましい候補者を選んでもよい。投票する際にどちらかを選ぶのである。同じようなことであるが,好ましい候補者を一人だけ選ぶのは案外難しいが,どんぐりの背比べの中から数人を選ぶのはそんなに難しくない。だから複数の記名も認めて欲しい。

 そんなことをしたら,投票結果の処理が大変だという意見があろうが,計算機がこれだけ進歩している時代である。集計作業に本格的に計算機を導入すれば,決して難しい問題ではないであろう。

 動物の言葉:人間が動物の言葉を話すべき

 可能かどうかは知らないが,動物と人間の会話ができたら本当に楽しいし,人間と動物のあり方を根底から変えてしまうであろう。そのような場合,人間の言葉を動物に理解させようとするであろう。簡単な例では,犬に「お手」とか「お坐り」というあれである。しかし,これはおかしいのではないだろうか?人間の方が動物の言葉を習得すべきであろう。動物の言葉というものが無ければナンセンスであるが,それでは面白くないので,動物にも言葉があると仮定する。犬に言葉があるかどうかは疑問であるが,猿や鯨には言葉があるように思われる。

 高名な動物学者の中には,チンパンジ-やゴリラの言葉を話せる人がいるようである。テレビでそっくりの泣きまねをしているのを見かけるが,なんとなく通じているように思うのは筆者だけであろうか?人間が動物の言葉を話す方がよいということは,発声器官の違いからも十分に根拠のあることである。動物の発声能力は限られているが,人間の発声能力は非常に高いし,発声できない場合は機械を使うことだってできる。発声能力が限られているということは,音声を聞き分ける能力も限られていることであろうから,より高い発声能力を持つ人間が,動物の言葉を習得して動物の言葉を話す方が,より可能性があろう。

 子供は純真なので,話しているととても楽しい。もちろん腹たつこともあるが,楽しいことが多い。これが動物になったら,もっと意外で楽しいのではなかろうか?

 金正日:世の中はいい人ばかりではない

 北朝鮮の金正日総書記は,実に不愉快でわけの分からぬ人物である。聞くに堪えぬような屁理屈以下の自分勝手な理屈を振り回して,他国を脅迫している。この地上から消えて欲しいと思っている人は,多いのではないだろうか?

 しかし,日本にとって彼は救世主であるかも知れない。そんな馬鹿なと思われるかも知れないが,彼を見ていると,世の中いい人ばかりではないということがよく分かるのである。つい先頃まで,我が国では,「人を見たら泥棒と思え」とか「武士は家を出たら七人の敵がいる」ということが言われてきた。世の中にはいい人も悪い人もいるということが,社会通念として叩き込まれてきた。第2次大戦で負けて以来,世の中はいい人ばかりというのが建前のようである。

 現在の"平和憲法"は,そういう考えに基づいている。武力による国際紛争の解決の放棄である。攻撃を受けるまで,自衛行動を一切取れないことになっている。こちらがル-ルを守っている限り,相手も必ずル-ルを守るという仮設に基づいている。この仮説は,そうあって欲しいという我々の強い願望であるが,確固たる根拠のある事実ではない。金正日氏は,この仮説が正しくないということを,毎日毎日これでもかこれでもかと教えてくれるのである。現行憲法が内蔵しているこのような危険性と非現実性を,教えてくれているのである。憲法問題を真正面から取り上るべきことを,極めて明確に教えてくれているのである。

 金正日氏は日本人にこのような機会を与えてくれたわけであるから,恩人というべきではなかろうか?

(2003.05.10)

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応用数学の広場|ー色 浩
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