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自分を測る

 某大家電メーカーがリストラのために,希望退職者を募ったところ1万人の応募があったとのことである。信じがたいことである。1万人のうち,辞めて良かったという人はおそらく100人程度ではないだろうか?1000人程度は,可もなく不可もなくというところだろうか?残りの9000人は,結局規模の小さな所に移って3割から4割程度の給料ダウンになると思われる。要するに,大部分の人は,2割程度の給料ダウンになっても,会社にしがみついているのが正解であると思われる。

 人間は自分を基準にしてものを考えるので,意外に他人の置かれている状況に対して無知である。多分,大会社の社員は賃金や労働条件に関する世の中の実態を知らないと思う。自分たちの職場に必ず派遣社員と呼ばれる人がいると思われるが,彼らの給料と自分たちの給料の間にはとんでもない格差があることなどご存じないと思う。もし実態を知ったならば,びっくりするはずである。希望退職に応ずる大部分の人の明日の姿である。

 会社を辞める理由は,さまざまであろう。一般的に言って,労働はつらいものであるし,大企業の中の小さな歯車に過ぎない存在というのも,実に耐え難いものであろう。しかし,だからといって会社を飛び出して展望が開けるわけでもない。展望を開くためには,周到な準備と努力がいる。準備万端整った上で飛び出すべきである。しばらく失業保険をもらって,英気を養った上で次を考えようというのは,基本的に間違いである。永遠に英気を養う羽目になるであろう。

 自分の落語の技量を計る尺度として,次のような高名な落語家の言葉がある。相手が自分と同じくらいうまいと思ったら,実は自分よりもはるかにうまい。自分よりも下手だと思ったら,自分と同じくらいの技量である。相手が自分よりもちょっとだけうまいと思ったら,実は比較できないほど相手がうまい。正しくこのとおりだと思う。
 人はどうしても自分の能力を過大評価しがちである。ましてや会社で部長とか課長とか呼ばれて社会的にそれなりの地位にいたらなおさらである。若い人でも大会社の社員ならば,世間はそれなりに対応してくれる。要するに,個人の能力に会社の実力が加算された形になるのである。自分の正味の能力をつかむことは,本当に難しい。

 日本の社会では,個人の名前がそのまま通用する人はほんのわずかである。自己紹介のとき,我々はなんというだろうか?○○会社の××という言い方をしないだろうか?明らかに○○会社のほうに重点が置かれている。相手を信用するというよりも,○○会社の信用を重視して,○○会社の人だから大丈夫だろうということになる。名の通っていない会社の人は大変である。胡散臭いやつだと見られかねない。

 さらに別の見方をすると,個人の能力は普遍のものではない。時間や場所の関数である。ある会社で活躍していたときの能力が,外に出てもそのまま発揮できるわけではない。会社の中には,気付かない所で自分をサポートしてくれている人がいる。また,最近の世の中は驚くほどのスピードで変わっていくので,しばらく仕事を離れていると,置き去りにされてしまう。でも,このことは組織に身を置いている内は分からない。組織を離れたと途端にイヤというほど思い知らされる。

 それに,どんなに優秀な人でも,専門的能力だけでは自立できない。最も大切なことは,仕事の注文を取ってくることである。通常,この才能を持っている人は極めてまれである。専門的能力は訓練で要請できるが,仕事のありそうなところを嗅ぎつけて受注にまで結びつけるのは,全然別個の才能が要る。したがって,自分にこの種の才能が備わっているかどうか,冷静に判断することが肝要である。もしも,無さそうだと思ったら,この手の才能を持っている人を見つけて手を結ばねならない。

 仕事には常にリスクが付きものである。リスクを恐れるあまり,消極的なことを言っていたら,誰も注文をくれない。また,リスクのほとんど無いような仕事は,値段を叩かれてしまい,労多くして益なしである。少々のリスクは目をつぶった上,注文主を不安にさせないために,はったりも必要である。それではどうするかというと,過大なリスクに挑戦しないことと,事前調査によりリスクを極力軽減することである。いろんな分野の人との広い交際は,リスク軽減上欠かせない。それでも,リスクをゼロにすることは不可能であるから,最後は不退転の決意で頑張るよりしょうがない。大抵は何とかなるものである。

 先日タクシーに乗った際に,京都の某タクシー会社が名古屋で始めた無料タクシーのことを話題にした。大変愛想のいい運転手だったが,この話を始めた途端に突然起こり始めたのには往生した。タクシー業界は,目下,大変な過当競争状態になっていて,年収が200万円台にまでなってしまっているとのことで,これ以上競争が激しくなって収入が減ったら,生活できないということであった。普段の生活の苦しさから,思わず感情のコントロールが出来なくなってしまったようであった。大会社にいると,こんなことは他人事に過ぎないが,会社を辞めた途端に他人事ではなくなるのである。

 今の会社も昔の会社も,社員が十分な準備もなく会社を離れたらどうなるかは,よく分かっている。だから,昔の会社は辞める人間が困らないように,それなりの配慮をしていたと思う。しかし,今は違う。極端に言えば,「辞める社員がどんな運命を辿ろうが構わない」というのが,会社の考えであろう。そうしないと,会社が潰れかねないのである。背に腹は変えられないから,純情な社員を騙すようなことになっても目を瞑ろうということであろう。

 先日テレビを見ていたら,「中国は社会主義の看板を掲げているが,実態は資本主義である。反面,日本は資本主義国家ということになっているが,中身は社会主義国家である」という評論家がいたが,まったくそのとおりだと思う。その社会主義国家が,本来の資本主義国家に生まれ変わろうとしているのであろう。

(2001.12.26)

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応用数学の広場|ー色 浩
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