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映画「ベネデッタ」 すっぽんぽんだ
□神を信じない深い信仰
彼らは何を信じていたんだろう。
キリストを見た聖女ベネデッタ
ベネデッタと体を重ねる修道女
神の沙汰も金次第の修道院長
娼婦をよく知る教皇大使
少なくともはっきりしていることは、
彼らはみな神様だけは
信じていなかったということだ。
神を信じない深い信仰。
なんとも痛快で、おぞましい。
カトリックの儀礼や政治、階級には跪いて
神を誰も信じていなかったのだ。
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□人間を創造した神を創造した人間
彼らが帰依していたのは肉体の快楽と痛み。
そんなプリミティブなものだった。
性的な快楽、身体の苦痛、生命への執着。
自分の欲望への礼拝。
人間はしたたかだと思う。
人間を人間たらしめるために信仰を装うが
ここぞは野生にもどる。
それはそうだ。
神様は人間が自分のためにこしらえたのだ。
つまり物語であり、象徴でしかないのだ。
神は人間を創造したかもしれないが、
その神を創造したのは人間なのだ。
人間は神を罷免する。
□”愛”とか”民主主義”とか”君主”とか
修道院、火刑、聖痕、拷問、不謹慎性具。
なんだか興味深くも非日常な要素に溢れていたが
これは自分とは無関係の伝奇映画だったのか。
いやこの映画で扱われていた神を
”愛”とか”民主主義”とか”君主”とかに
置き換えてみたらどうだろうか。
誰もが尊重しているということに
なっているものほど虚飾に塗れている。
男も女も愛の物語に涙しながら
たいがいは淫靡に身をやつす。
「民主主義の冒涜だ」と語る政治家は
民意など衆愚だと軽蔑している。
キングやエンペラーが無事でいるのが
いかに難しいかは歴史から明らか。
ベネデッタやバルトロメアは乳放り出して
すっぽんぽんでいるシーンが多々あった。
修道服をちょっとずらせばすぐに乳房がある。
大好物だからワキャワキャしたけど
見慣れてくると服を着てる方が不自然に見える。
われわれも愛とか民主主義とか君主とか
ペラペラ生地の嘘を脱げばすっぽんぽんになる。
「王様はハダカだ!」とよく言うけれど、
一般市民も実は随分ハダカなんだと
ヴァーホーヴェンにオレの虚飾を追剝された。
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