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3年間働いたpaizaのアルバイトを退職しました

高専4年(2020)から大学3年(2023)まで、長い期間共にしたpaizaを退職することにしたので、今までを振り返っていこうと思います。

競プロとの出会い

僕がまだ高専3年生(17歳)の頃
何もせず、C言語で遊んでた頃です。

プログラミングもしたいけど、ロボットも作ってみたいから電気系の学科に入学した僕ですが、プログラミングの教育環境はガバガバで、授業では全く伸びませんでした。

そんな時、情報系の学科にめっちゃ活発な後輩が入ってきました。
その子や当時慕っていた先輩が競プロをやってて、自分も負けじと競プロを始めました。

C言語が大好きでプログラマーへの憧憬が無くならない僕としては、情報系の人に負けたくはないなという、しょうもないプライドがありました。

paizaとの出会い

競プロに明け暮れ、一年ほどして緑色になりました。
そんな中、paizaという競プロができるサイトを知ります。
転職や新卒とは程遠い年齢でしたが、腕試しだとやってみることにしました。

Sランク取れました。WOW!

やってやったぜ、yeah。
一番簡単なSランクを1問解いただけです。
ごめんなさい。
満足した僕は、スンとAtCoderに帰りました。

paizaからのお誘い

ある日、paizaでpaizaからスカウトが来ました(?)
当時はギノ株式会社だったかな
スカウト初体験の僕はウキウキでみにいくと、なんとpaizaの作問アルバイトのお誘いではありませんか!びっくり!

当時、周りに技術バイトをしている人などおらず、それはどうやって働いて、どうやってお金をもらうのか想像がつきませんでした。

でも面白そうだし経験積みたいし申し込むことにしました。えいや!

初めてのオンライン面接

僕は、短期のホームセンターと郵便局の仕分けのバイトしかしたことがありませんでした。どんなことを聞かれるのか想像もつきませんでした。

zoomでの面接で、心臓バックバクで待っていると、面接官であろう3人のお兄さんがいました。
paizaの社長さん、学習事業部の部長さん、paiza learningのPMさん(だったかな)の3人でした。
そしてそのまま、3対1の面接が始まることになりました。

どうして受けたのかと聞かれたんですが、とにかく経験が積みたい、この年齢だとなかなか得られない貴重な経験だと思うので、この機会を逃すわけには行かないと思った、とそのままに答えました。
面接官の方にいいね〜と言ってもらえて嬉しかったです。

以下に記憶に残っている応答を書きます。

年齢

会話をしてると、大学の話になりました。僕は「?」となります。
当時僕は高専4年生(18歳)、要は22卒で、就活時期は大学3年生と同じです。

僕は大学3年生だと思われてました。

まぁ18歳だからといって、どうということはないんですが、普通にびっくりしました。当時paiza内最年少だったらしいです。

千葉でけぇンだわ

当時、まだリモートワークという言葉は知れ渡っていませんでした。なのでこのままでは千葉の南から東京まで通わねばならぬのです。

面接官の方は最初「いけるんじゃね」感がありましたが、千葉って実は縦に長いんです。僕の地元から東京まで、電車で約1時間半かかります。

僕の地元から東京駅まで

これを週3以上はちょっと大変だし、交通費支給といってもバカにならないお金がかかります。ちなみに灰色の線はアクアラインです。アクアラインパワーすごいね。

業務委託学生スタッフ(?)

どう雇うかと決めあぐねていると、社長さんが提案しました。

「業務委託として雇いましょうか」

ぼく「ぎょうむいたく、、、?」

こうして僕は業務委託学生スタッフ(?)となりました。

僕は初めて業務委託の契約書を書きました。当時成人年齢は20歳だったので、未成年の僕は親からのサインが必要でした。懐かしいなぁ。

そして18歳にして、開業届と青色申告の届を税務署に出しに行くこととなります。税務署のお姉さんに奇異の目で見られました。

いざ大都会東京へ

paizaの仕事について説明を受けるために、大都会東京の港区の表参道に行くことになりました。

港区ですよ、あの港区
表参道ですよ、あの表参道
大都会すげ〜〜!!!ずっと上を見上げて、ビル群を眺めながら歩いてました。危ないね。

paizaのオフィスめっちゃオシャレでした。オフィス内の自動販売機とかめっちゃ安かった気がします。色々写真を撮ったはずなんですが、昔すぎて残ってなかったので、オフィスの様子がわかる記事を貼っておきます。

仕事の説明や、オフィス見学をし、夜ごはんに焼肉を奢ってもらいました。めっちゃめちゃおにく美味しかったです。あとあの日飲んだジンジャエールより美味い飲み物を知りません。

人に教えるということ

作問のアルバイトでやることは大きく3つあります。

  • 問題文と問題設定を書く

  • 解答コードと解説文を書く

  • テストケースを作る

人に教えるのは得意だと思っていたので、初めてのお仕事は思ったよりサクサク終わりました。

と思っていました。

僕の作った問題たちに、大量のレビューが着いていました。
レビューの内容は多岐に渡りますが、大体は以下のようなものです。

  • 接続詞や文章同士のつながり

  • 与えられる数の値域や、入出力の区切り方(スペース区切りとか改行区切りとか)

  • コードの変数名や宣言位置

その他にもちょっとしたミスが他の問題に伝播してたりしました。
ごめんなさい〜〜〜😭😭😭
となりながらせこせこレビュー修正しました。

人に正しい情報を自分の意図のまま伝えるのがここまで大変だとは思いませんでした。この経験は今でも後輩や友人に教えるときに活きています。

人に見られるということ

僕が5年生くらいの頃、あるプログラミング塾のC言語問題集に、メモリ周りで危ない処理を書いてて炎上する事態がありました。

僕は肝が冷えました。もしかしたら自分の作った問題集にも何か間違いがあるのではないかと。
paizaは何重にもレビューを通しているので、ミスはほぼほぼなく、仮にあっても直接的に責任が問われるわけではないですが、それでも僕の作ったもので何かあったらと思うとヒヤヒヤしました。

paizaはとても大きなサービスです。
問題集をリリースすれば、何万人もの人に見られることになります。

今まで小さな世界にこもっていた僕は、そこでネットサービスというものの大きさ、それが与える影響と、それを作る責任をまざまざと感じました。

それ以降自分の作るものは、問題集だけでなく他の個人制作にも、それをやるべき理由や、やりたいと思う熱い気持ち、その責任を込めながら作るようになりました。

さいごに

この3年間いろいろなことがありました。今は最高に楽しく幸せです。
このきっかけを作ってくれたpaizaには頭が上がりません。

そんなことをpaiza learningマネージャーさんに伝えると、「いや〜僕たち何もしてませんよ〜w」と笑って返してくれました。
何もしてないなんて、そんなこと全くありません。
paizaで働くという環境を提供してくれたことがどれだけありがたいか、どれだけのモチベーションになったか、筆舌に尽くしがたいものがあります。

新しく技術を学ぶ上で感じているのは、それまでに技術としてどれだけ大きな根を張れているか、そこからどんな太い幹があり、たくさん枝が伸びているかが大事だということです。

C言語、そして競プロから始まったpaizaという仕事は、自分の根を張るには十分すぎる価値を提供してくれたと思います。

僕を雇ってくれたpaizaの皆様
若輩者のひどい問題集のレビュー書いてくださった先輩方
一緒に働いてくれた同僚の皆様
今でも仲良くしてくださるりゅうせいさん、りゅうすけさん、kotaさん
本当にありがとうございました。

paizaは春や秋に定期的にバイトの求人を出しているので、見かけたら募集してみてはいかがでしょうか?

まだこの人生が始まって21年ですが、これからも指数関数的にのびのびしていけたらなと思います。
ここまで、3000文字のポエムを読んでくださってありがとうございました。


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