雑記 - CRYAMYとわたし
CRYAMY野音ライブに行った
2024年6月16日に日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)にて行われたライブ『CRYAMYとわたし』を観終えてから数日が経つけれど、未だに余韻らしきものが頭の中を這いつくばっていた。正直なところ、余韻と呼べるほど気持ちの整理はついていないし、かといって「いやあ、すごかった!」だけで済ますのはもったいないので、とりあえず感じたものの言語化を試みたい。
開演
乗り慣れない地下鉄の駅をなんとか脱出して日比谷公園へ到着。想像以上に長蛇の列を作っていた物販コーナーをくぐり抜け、誰もいないステージを座席からぼんやり眺め続けた。6月の日差しは17時前でも十分に強い。その熱気は各地よりこの場に集った人々の期待のようでもあった。じんわりとした暑さにじっと堪えながら、ステージ奥に堂々と掲げられた「CRYAMY」の旗を開演まで眺めていた。
正直、「今日は楽しむぞ!」みたいな気持ちには全然なれなかったと思う。アルバム『世界』を手掛けた名匠スティーブ・アルビニの訃報やボーカルであるカワノさんの体調やモチベーションとか、いろんな話が重なってリスナーの中にはバンドの進退を憂う人さえ多かった。解散宣言を覚悟してこの場に来た観客はおそらく私だけではないはずだ。
だからこそ私を含めた多くの人の眼差しは真剣だった。アルバムリリースからツアーを通して、ここ最近のCRYAMYの活動や発信には共通して野音公演という大きなゴールが存在することは散々強調されてきたから、少しでも多くのものを今日のパフォーマンスから受け取って帰ろうと気張っていた。言うなればCRYAMYと自分の真剣勝負。一騎討ち。大げさかもしれないが、少なくとも私はそういう心持ちだった。
感想(書き殴り)
選曲に関しては、終始なるほどなあ、と感心していた気がする。『世界』がリリースされた以前と以降でCRYAMYの姿を新旧に分けるとして、それらが上手い具合に混ざり合っていた。正直『世界』を曲順に演奏するものだと思っていたから、少し意外だった。自分の座席はCブロック(一番後ろの座席ブロック)だったからステージとの距離はやや開いていたが、それでも十分耳に届く轟音。もっと間近で聴きたかった。
曲の合間合間にはカワノさんのMCが挟まる。「健康でいろ」とか「悪い人もいるけど良い人もいるから」とか、飾らない真っ直ぐな言葉が曲にも負けないほど鋭く客席へ飛んだ。私は彼の喋りや文章、言葉の遣い方が好きなのだが、この日ばかりは彼が口を開くたびにバンドの解散宣言が始まるのではと気が気でなかった。CRYAMYの解散。それから、そこに重なる死の気配のようなもの。アルバムを「遺書」と表現していたし、下手したら本当に彼はステージの上で倒れるのではという心配さえしていた。そういえば、アルバムリリース直後、1月の下北沢DaisyBarのライブではしきりに「がんばれ、何があってもがんばるんだよ」と叫んでいた記憶があるけれど、それも今生の別れの言葉のようでやたらとひやひやしたな。
そんなことを考えているうちに日は沈み、ライブも終わりに近づき、セトリで言うところの第三部に突入。曲数を重ねるほどに声量も気迫も増していく。個人的には夜空の下で鳴り響く月面旅行〜マリアの一連の流れがお気に入り。全部お気に入りといえばそれはそうなんだけれど、照明の雰囲気とか、とにかく綺麗で温かかったように思う。
しばらくして、ついにラストの「世界」のイントロが奏でられた途端、もう終わるんだな、と思った。「あなたが」というたった4文字の繰り返しが、心を強烈に揺さぶった。これは13分にも及ぶ長尺のMVが公開された時も思ったことだが、この曲はあのやたらと長い間奏が一番かっこいい。あの鋭い爆音にだんだん耳と心が慣れて、自分の中に溶け込む瞬間がたまらなくいい。今回のライブも例に違わず、あの間奏を経てCRYAMYの音はもはや自分の背景になった気がした。
3時間半、全34曲。
演奏が終わる。メンバーが舞台袖に消える。バンドの進退についてはついぞ言及されなかった。もちろん続けてほしいとは思うけれど、絶対ではない。正直この日のパフォーマンスは完成形と感じてしまったし、カワノさんやその他メンバーの中に少しでも楽曲を作る上でのしんどさや心の摩耗が存在するなら、きっぱりやめてもいいと思う。WASTARの歌詞の「別に命なんて懸けなくていいよ」とは、今となっては彼らのための言葉でもある(と思っている)。余談だが、これは単純にCRYAMYに惹かれて日が浅いからかもしれないが、私はあの時にフジタレイさんの大声を初めて聞いた気がする。
スタッフの方々が終演を告げてもなお、アンコールやメンバーを呼ぶ声はしばらく止まず、さらにしばらくしてからここに集った人々がばらけはじめる。思えば、『人、々、々、々』もなかなか素敵なタイトルだと思う。
CRYAMYのリスナーの中には、希死念慮や自己嫌悪、悲しみや辛い記憶、自分の身一つに背負うには余りあるものを一時的に音楽に預けている人も少なからずいるのだろう。そういうしんどいものって、やっぱり最終的には自分で背負わなければいけないんだけれど、あの3時間半だけは、持ち寄った思いを各々で分かち合うことができた。ともかく、CRYAMYに対して何かを感じた3000人の人生が、あの日あの場で一瞬交差した。そう考えると感慨深い。
自分語り
音楽全般において、私は最近までかなり消極的なリスナーだった気がする。ライブ鑑賞に関する考え方の違いから友人に心ない言葉を浴びせられたことがちょっとしたトラウマだったのもあり、音源さえサブスクやCDで聴ければ……という姿勢だった(だからグッズも滅多に買わない)。
コンテンツの消費の仕方は人それぞれなので別にそれでも構わないだろうが、やはり何かを楽しむための間口は広い方がいいとは思う。本心を言えば、やはりライブは好きになりたかった。
大学の憧れている先輩にCRYAMYを教えてもらって、CDを借りて、ライブに行ってみて、このしょぼくれた姿勢は完全に打破された。たしか初めて観に行ったのは時速36kmとの対バンだった気がする。
だからCRYAMYは私にとって大きな存在感のバンドだ。いろんな意味で。件の先輩との接点というか、数少ない共通項でもあったし。
いつかどこかでまたライブをやるのであればその時は彼らの音楽に会いに行くだろうし、もしそういった活動がもうなかったとしても、この日受け取った言葉は少しでも長く覚えていたい。