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コロナ禍で回ってきたバトンが嫌で、スマホの電源を1週間落としてみた件

はじめに

  まもなく、自宅での自粛生活が2か月を迎えようとしています。そんな中、日に日にSNSは地獄のような様相を呈してきました。私は、主にTwitterを使い、自分の活動の宣伝をしたり、思ったことをすぐさま呟くというような感じで割と頻繁にtwitterを使っていました。が、コロナ禍の最中、災害時に付き物の、バトン(リレー)が私の元へも回ってきた。

1度目は、回したモノの、その投稿を考えるのにかかった時間は、丸2日間。マジで無駄な時間だなと思った。相手に失礼のないように、次の人にやってもらえるように。と試行錯誤でした。まあ、できたTwitterは別に大したもんでもなかった。そして、僕が回した人は、見事に自分でバトンを終わらせていました。それを見て、

「うわ、やっちまった」

と思ったわけです。

「うわ~。マジで面倒くせーな」

は、大体の人が思っていることだと思います。
人々を元気つけるために、やっているのは、わかります。でも、こういうのって大体、言い出しっぺが優越感に浸ってるだけだと思ってしまうのは、自分だけでしょうか?

”誰かの為” が ”誰かの重荷”

になっていることに気づいた方が良いと思います。

誰か!お願いします!は、もちろんスタートは無対象なわけで対象がありません。だから、誰かに向けたエールのようなバトンだったら意味はあると思うのですが、大体が、

”勝手に○○します”

みたいなことが多いので、ほんとに、スルーしても良いと私は思ってしまいます。大体、ペラペラな内容だったりもしますので。

やりたい人は、ハッシュタグをつけて勝手にやりだしますし、SNSって回さなくても、ハッシュタグが面白ければ、循環するので、リレー形式は甚だ疑問です。

なんか熱くなってしまいましたが、本当に色々とありまして、思いきって、5月3日に

スマホの電源をオフにしました。

(㊟ 仕事の関係もあるので、PCでの朝、夜のLINEチェックとメールチェックだけはさせてください。)

以下、スマホの電源を切ったすごくミニマルな体験記が始まります。お時間ありましたら、お付き合いください。


1日目 ~自粛生活の1か月間を振り返って~

 5月3日。夜。 思い立って、バトンに関するやりたくない呟きをして、スマホの電源をオフにしました。


前からちょくちょく、頭がパンクしそうになると、スマホの電源をオフにするという小技をやっていました。(←小技を小枝と空目しました)

なぜか?

Twitterとか、SNSの情報で頭がパンパンになってしまい、自分の思考力が全くなくなってしまうからです。頭の中に余白が無くなるような感覚です。

「あ、これ、スマホに支配されてるな」

と思うと、度々、この衝動を繰り返していたのですが、いよいよ、このコロナ禍でそれを発動致しました。

コロナ禍の自粛生活の最初の1か月間に主にSNSで私がやっていたことは、

「コロナの有益な情報を探す」

という行為です。毎日毎日一進一退を繰り返してるだけで、いくら調べても最終的には、

1、密を避ける。

2、ソーシャルディスタンスを守る。

3、マスクをする。

4、外出自粛。

ということに帰結します。

つまり、我々にできることは、大体この4つぐらいで、それ以外が、突如出現することはない。とこの1か月の自宅自粛生活で学びました。

だから、情報を深追いしても、たいして、自分の生活に直結するものは出てこない。
あとは、自分のペースで生きたいのに、

「コロナはビジネスチャンスだ!」

とか、

「この自粛中に○○するべき!」

が、蔓延していて、さも、なんもしてない人が悪いみたいな風潮が生まれつつあったのもすごく嫌でした。

一番は感染しないこと。感染させないこと。そして、家にいること。

しかしながら、私達の生活の為に働いてくれている方がたくさんいます。

命の危険と常に対峙して戦ってくださっている人の為にも、家にいることが可能な私たちは、自粛という使命を全うするために家にいるのに、家にいることは堕落していることだ。みたいな感じが私は非常によくないな~と思いました。だからスマホから逃げたいと思ったのも、私の正直な気持ちです。

かくして、5月3日の夜にスマホの電源をオフにしたのですが、まあ、別にそもそもそんなに連絡もなく、急を要する、仕事の連絡など、あるわけがない。ということで、何不自由がない。

その日は、子供を寝かしつけたまま、自分も一緒に寝てしまったのだった。

2日目 ~起きてすぐに感じた変化~

 5月4日。8時起床。

とりあえず、義務的にPCの電源を入れ、メールやLINEのチェック。

まあ、仕事の連絡はなく。

先輩からのLINEが来てたので、これは返信。しかもこのLINEのやり取りが、バトンをつなぐか?つながないか?どうしたらいいかな~?という内容で、なんだかドキっとした。
(↑これは、最低限度の人としての繋がりもあるのでご容赦ください)

で、パソコンの電源を落として、トイレに行く。

ここで、さっそく変化が訪れます。

その変化とは・・・・

鳥の声が聞こえる

自宅のトイレで、鳥の声を感じたことが、今まであっただろうか?

いつもは、スマホをもってトイレに行き、今日の天気を確認し、寝ている間に出たニュースをみたり、トレンドをみて、日本、いや、世界のトレンドを入手していた。

が、違う。

今、私は、用を足しながら(←座りです)、自分の用の音を聞くでもなく、環境の、いや、鳥のさえずりを聞きながら、東京で用を足している。そんな自分が、ちょっと幸福に思えて、今日の一日が走りだした。

元々、子供といるときは、スマホをみない主義だが、どうしても見てしまうこともあるし、写真を撮ったりしてしまう。が、そこは、自分に言い聞かせる。

「大丈夫だ。ミラーレスのデジタル一眼が、すぐそばに置いてある」

ということで、しっかりと子供と向き合うことができる。ここまで、来て、少し思ったことがある。

スマホをいじらないと、恐ろしく、時間がある。

スマホで余計なニュースを見て、不安になることもないから、シンプルに、自分と向き合える時間を持てるようになる。

お昼ご飯を食べ、子供が昼寝をしている間にふと思った。

自分はけっこうな頻度で、Twitterで呟いていた側の人間で、メモのような感じでTwitterを更新していた。けっこうな時間をTwitterに費やしていた。

なぜか?Twitterには、たくさんの人?がいる。中には、アカウントを魔法のように切り替える多重人格者もいるかもしれないが、たくさん面白い人が転がっているし、重要な情報が流れてきたりもするし、苦しい人を助けようとする運動も頻繁に起こっている。いろんな情報を得ることで、自分が成長しているようなちょっとした錯覚を起こしていたのではないか?と。

スマホの電源を切り、そこから解放されてみると、SNSで得ていたような情報は全く自分のところには入ってこなくなる。ということは、

SNSやってない人には、当然ながら、自分の発言なんか、全く届いていないということに気づいてしまう

変に「いいね」とか、RTが伸びたりするとたくさんの人に届いた気になりますが、Twitterやってる人口は、国内では約4500万人と言われていますから、なんか、言い方悪いですが、井の中の蛙みたいなことにもなりかねないわけですね。英語でやれば、もっとたくさんの人に届きますが、日本語でやっている以上、4500万人の人達に向かって呟いていることになるのかな?と。

(この4500万人という数字は、We Love Socialのサイトから引用させて頂きました。SNSの国内のアクティブユーザーの数が出ています。こちら面白いので貼っておきます。)

SNSを離れていても、SNSの情報を手に入れることができるのが、ワイドショーです。

『自粛を楽しくしてくれるお菓子』

みたいなしょうもない内容の、SNSでバズった投稿を擦るコーナーの情報が自然と流れてきます。先日まで、蛇口をひねって水出しっぱなしのまま一晩忘れてました!ぐらい垂れ流されている情報を浴びていた私からすると、驚くほどチープな内容にびっくりしてしまった。もっと大切な議論がTwitterでは行われてたり、面白い投稿あるんじゃないのかな~と思ってしまったり。離れて気づくのは、やはり、側面の情報しかメディアでは扱われないのかな?と、ちょっと怖くなりました。
そして、SNSから離れた私は、相変わらず、外をみたりして、生きていることを実感するのだった。

そして、気づいたことが、もう1点。これは、極論なんで響く人と響かない人がいると思いますが、3月下旬に、たばこをやめてました。スマホばっかりみるのは、喫煙と少々似ている。なぜなら、支配されているから。たばこも無意識で吸ってしまう。スマホも無意識に触ってしまう。たばことスマホ一緒にすんじゃねー!とブチキレる人もいるかもしれませんが、休憩の時にする行為としては、どちらも一緒なんです。ここまでやったら、スマホみよう。ゲームしよう。SNSみよう。とか、仕事ここまで終わったら、一服しよう。大きな意味で一緒だと思いました。もう、これは、私の一個人の言い分なんで、流してもらって全然OKです。笑 

そして、夜、事件が起きます。

2日目にして、スマホには全然触れることなくなったのですが、子供が寝た後、すごくね、ニュース見ちゃうんですね。まだ、気にしちゃってるというか、日々、刻刻と状況が変わりますから、少しはね、情報を仕入れたいんでしょうね。なので、ニュースみてたんです。すると、

緊急地震速報

が豪快になりだしました。もちろん、僕のスマホは全く動きません。テレビからの緊急地震速報です。すぐさま、私は、寝室に走っていき、妻と子供に覆いかぶさりました。で、地震が来て、じっと耐えて、地震が収まったので、リビングに戻ってね、思ったんです。

「あれ?俺のスマホ、緊急地震速報ならないじゃない!」

そうなんです。電源切ってると、鳴らないんです。スマホ持ってるのが当たり前。そこに基準ができてるわけです。だから、電源をずっと切る行為、スマホを持たないことは、生死に関わってくるかもしれないと思った、2日目でした。

3日目 ~自由を自覚する~

 5月5日。今日は、朝起きてからのLINEとメールチェックをやめてみた。別に、至急連絡ください!みたいなことはほぼないだろうと思い、決行してみました。

さあ、今日はどんな一日になるのだろうか?

朝から、午後は、すごく気温が高かった。相変わらず、子供と遊んだり、家事をしたり、バタバタと過ごしていた。昼ごはんを食べ終わったら、子供が、私に抱き着いてきたので、そのまま抱っこしてみると、すぐに眠ってしまった。子供を抱っこしながら、しばしゆらゆらとしていた。そして、完全に脱力したのを感じとり、そのまま寝かせた。ちょっと暑かったので、窓を開けていた。そこから入ってくる風がとにかく気持ちが良かった。子供の隣で私も寝っ転がった。

風が吹く。

「気持ちいい・・・・」

と、何度呟いたことか。
Twitterなどに呟かなくても、人間は己につぶやくことができる。

当たり前なんだけど、当たり前を忘れていた。

コロナ禍になってから、当たり前の出来事がいかにありがたかったか?を身に染みて感じてはいたが、この生活のおかげで違う当たり前に気付くことができた。横になっている間、ほんとにびっくりするぐらいの気持ちいいを言い続けた。多分、ドーパミンが出まくっていたことだろう。

スマホを手放してから、自分が自由であるということを自覚することができているかもしれない。

不自由な生活が続いている中ではあるけれど、こうして、自分の周辺から何かひとつ無くすことで、自由を得られることもあると教えてくれた。あと、ほんとに暇になると、お腹でドラムを叩いてみたりする。紙風船を自分の息で吹きあげて、宙に浮かし始めたりもする。時間があって、スマホにいかずに、自分と向き合うことで、新しい自分を発見することができるみたいだ。こうして、自分を実験台に、いろんなことをしてみると、自粛生活が楽しくなってくる。

スマホを手放し、生活が見直されていく中、夜、再び事件が起きた。

そう。また地震が来たのだ。

リビングでぼーっとしていると、地鳴りが聞こえた。焦って寝室に行くと、妻のスマホから緊急地震速報がギンギンに鳴り響いていた。

4日目 ~Twitterの懐かしさ~

 5月6日。2日続けて緊急地震速報が鳴った夜を思い返し、いよいよ、命の為にスマホの電源をいれようかと思ったが、やっぱりやめた。緊急事態宣言が、うまくいけば、解除になりそうだった日だが、案の定、月末まで伸びたようだ。お隣の韓国では、街に賑わいが戻ってきてるようだ。

私の生活は、相も変わらず、スマホを使わない、10数年前の生活に戻りつつある。情報はテレビと妻から聞くネットの情報が主だが、いま、あまり情報を欲していないのかもしれない。今日気づいだことは、やはり、聴覚が鋭くなっているかもしれない。スマホがあると、スマホを中心にスマホ経由で危機を察知している節がある。

聴覚だけでなく、嗅覚もよくなっている気がするが、これは、禁煙による効果が大きいかもしれません。子供と妻と生活を共にしているが、スマホを手放したことにより、より、相手のことをよく見るようになったような気がします。

今日妻がTwitterの投稿で部屋に虫が入ってこないようにする方法を見つけたみたいで見せてくれた。そうだ、Twitterはこういう豆知識的な投稿があった。とすでに懐かしくなってしまった。コロナに対しても、みんなの危機感で、色々な記事が回ってきていた。だからこそ、私たちは情報をそこで入手することができ、自分たちの生活で応用することができた。Twitterとうまく付き合えば、情報の面ではかなり有益だなとも思った。

が、別にこのまま続けられるなら、スマホが無い生活を続けたいと思ってる自分もいる。

机の上に、通電されることを期待しているのか、いないのかよくわからないスマホが横たわっていた。このまま、このスマホを使わなくなった家電の渦に放り込んだら、ただのガラクタだと思う人が多数だろう。

モノというのは、人が使っているから、光輝くのだ。


5日目 ~覚醒??~

 5月7日。ふと思った。

政治のことだ。Twitterでは、痛烈な政権批判や、安倍辞めろのハッシュタグが頻繁に見て取れる。しかし、テレビを見る限り、そういったことがあまりみられない。ニュースを作る側が意図的にこうしているのかは定かではないし、正直、テレビのニュースだけ見ていると、首相はなんだかちゃんとやっているようにさえ見えてしまう。給付金についても、Twitterでは本当に数えきれないぐらいの当事者たちの声が見えたが、テレビではそれがあまりわからない。(5月25日現在、当事者たちの声がテレビでも見て取れるようになってきている)コメンテーターを介した意見になってしまうため、本当の声がそこにあるのか?は正直わかりづらい。

Twitterには、色々な情報が流れてきて、なるほど!と思うようなことが、時折目に入る。しかもリアルタイムだからその情報の鮮度が良い。

みんな選挙に行こうぜ!ってツイートするのだが、これは、Twitterをやっている人には有効だが、やっていない人には全く届かないのだ。ということは、僕の推論ではあるが、Twitterをやっている人は多分ほとんど選挙に行っているのではないか??SNSをやっていない人々には正確に情報が行き届かず、まあ、そんなひどいとも思わないし、このままでいいから、選挙に行っても行かなくてもいいいんじゃないかな~と思ってしまうのではないか?

これは、あくまでも仮説です。
そういった意味で、昨今、SNSが我々に与えてくれている情報というのは、生活に直結しているとも考えられる。スマホに支配されない生活ももちろんだが、距離をうまくとりつつ、付き合う必要があるのではないだろうか?


と色々考えていたこの日の夜、なんだか、視界が開けたような気分になった。それは、

自分の人生のことを考えるようになった

SNSをやっていると、やはり仕事関係のツイートが多いので、自分的には、手の届く範囲での想いや気持ちなんかを書くことが多い。だから、短期的なことや短期的な目標を考えることが多くなっていた。

仕事がなくなり、休みになって、SNSにかじりつき、周りの人の行動を見て、この状況で活動している人達に最大限の感謝をしつつ、自分なんもできてないなと思っていました。でも、だからこそ、どうか、自分について、じっくり考える良い機会だと思ってみてください。

僕は、今後の人生でやりたいことを箇条書きにしたらワクワクしてきました。仕事以外の自分の将来についてあまり考えてこなかったかもしれないと少し反省したのと、人生は可能性に溢れていて、自分がやりたいことをやる時間はまだあるし、それに向けて、思いを巡らせ、実行に移す気持ちの土台作りをしていくのも良いかもしれない。金のかかるやりたいことばっかでしたがね。でも、きっとやれるでしょう!いや、やる!!

そして、今日はついに食事に対して時間を使うようになった。めっちゃ噛んで食べて、米の甘味を確認した。お金を使うんではなく、時間をどう使うか?を考えると楽しい自宅生活が過ごせるかもしれない!


6日目 ~昨日の自分というパワーワード~

 5月8日。いよいよ、スマホの電源を落としてから6日が経とうとしている。

すごく気が楽だ。

思考がクリアになり、自分と向き合う時間が増えた。それまでは、よくわからないニュースと、関係ないニュースを見て、自分と比べたりしていたが、比べるべきは知らんニュースじゃなく、

昨日の自分だ。

時間があったので、体重計に乗ってみると過去最高の数値を更新していた。

やっほーい!!!

ということで、糖質をちょっとずつ、カットと適度な運動をスタートし出した。先ほども言ったが、比べるべきは、昨日の自分。昨日、夜中に体幹のトレーニングとストレッチを行った。今日の夜に体重計に乗ると、一切体重の数値に変更がない。

おかしい。

すぐに結果が出ないと長続きしない私だが、今の私は違う。戦うべきは、昨日の自分です。半ば宗教染みてますが、これ、マジです。

そして、昨日の自分と、未来の自分を想像する。

この時間が無ければ、こういったトレーニングなど見向きもしなかっただろう。なにせ、自分は、死ぬほど筋トレとストレッチが嫌いだからだ。金を出されてもやりたくないぐらい、本当にやりたくない。そんな私が、トレーニングを始めるということはあり得ないことだ。きっとこのぐらいの時間がないとできなかったこと。そして、身体の為には、数年にわたって効果があるだろ。こんだけ語っていると、毎日毎日、1年間トレーニングを続けた男の言い分みたいに見えるが、私はまだ、

1日しかトレーニングをしていない。

今後、トレーニングが続くのか?

そして、いま踵の角質をとっている。
時間があると、普段考えが及ばない部分に思考が到達することがわかった。一体自分はどこへ向かうのか?笑


7日目 ~電源いれるのか?いれないのか?~

 5月9日。いよいよ、今日でスマホの電源を落としてから1週間が経った。本来ならここで、スマホの電源をいますぐにつけて、電話きてないかな??とか、確認するのだろうが、今の私は、電源をつけるのが億劫になってしまった。

なぜなら、電話は1件も来ていない。と断言できるからだ。

パソコンで仕事の連絡が来るか、毎日1,2回は確認しているが、友達からわずかに連絡がある以外は、大体、LINEにはユニクロのチラシが届いてくるらいだ。だから、なにも気にしない。

いま、Twitterの世界はどうなっているのだろうか?罵詈雑言がリレーの中に隠れてて、日常を感じるツイートは少ないだろう。非常時なのは、わかる。その非常時にどう対処するか?向き合うか?は己が決めることであって、他人が決めるわけではない。いまも危険と隣合わせの中で働いてくださる皆様には、本当に感謝しております。


でも、私は、仕事がリモートや中止になり、家にいることで感染抑止効果になることがいまの自分に最大限できること。

そして、家族との時間を大事にすること。

この2点がいま、自分がすべき最重要事項で、これは揺るがない。
この2つの間に、生まれる少ない時間をどう使うか?やみくもに、Twitterをスクロールしてた1週間前より、はるかに今の方が、精神的に安定している。スマホは本当にめちゃくちゃ便利です。あったほうがいいです。緊急地震速報の2日連続は本当に焦ったし、いついかなるときも、連絡がとれ、様々な情報に溢れ、アプリとかもう無数に存在してて、キャッシュレス化も進んでるから、これ1台で生活のすべては整います。

私がやっていることは、完全に時代に逆行しているかもしれませんが、自分自身と向き合う時間をしっかりと作るためにはかなりおススメです。

あと、TwitterやSNS、ネットニュースがすべての意見だと思ってしまう心理と、テレビの情報がすべての意見だと思ってしまう心理。この2つが混ざれば、正しい情報の選択ができるのではないか?と。

テレビでもがんばって報道してる人はいます。フェイクニュースにつかまってしまうこともありますが、それは大体はネットから現れます。(←先日、ワイドショーのフェイクもありましたから、一概には言えませんが・・・)

私たちは、いま、本当に自分たちで、何を選択して生きていくのか?を試されています。昔の時代まであった道は、崩壊しつつあります。

どう生きるのか?何を選択するのか?

情報に流されず、自分の考えで選び取り、実行するために、色々な方法で自分と向き合うのも必要かな?と、コロナで自粛して1か月経過した30代の戯言でございました。

この日、1週間たったが、スマホに電源をいれることはなかった。

9日目 ~継続中~

 5月11日。スマホの電源を切ってもう、、9日目。昨日が空いてしまったのは、いよいよPCにすら触らなくなってしまったからだ。昨日は、テレビも見てないので、情報が全くないです。一個忘れてたのですが、新聞の存在をすっかり忘れていたので、今日は新聞を読んでみようと思う。新聞なら、色々な情報があるに違いない。

と書いているけど、なんだ?スマホの電源を切っただけど、遭難した人みたいな感覚になっていて少し楽しくなってきた。

自分が知らない間に世界はどう変化しているのか?1日空いただけでも、目まぐるしく情報が変化するから、このまま放置していたらいつか、自粛は解除されワクチンも開発を終え、承認段階に入るのだろうか?

あと、昨日はトイレでいよいよ次のフェーズに入った。

壁紙を凝視する

もちろんスマホの壁紙じゃないです。普通の壁の紙の模様をしっかりと眺めていた。「あ~こんな感じで格子状になってるなんて気付かなかったよ」と感慨にふけるぐらい逞しくなっている。机の上に置いてあるスマホを見るともう、ガラクタ感がすごい。いつ電源入れようか、本気で迷ってきました。
なぜなら、別にいま、必要無いから。と思ったが、なんかGW明けだし、連絡あるかも?と思って、子供の昼寝中にPCを開いた。するとやはり仕事の連絡が来ていて、

電話してほしいという旨の連絡が入っていた。

いよいよ、スマホの電源を入れるタイミングが訪れてしまった。

正直嫌だな・・・・

という気持ちを押さえて電源を入れた。

9日ぶりに電源を入れたスマホはびっくりしたのか、『起動中』の文字が出っ放しである。しばらく待ってみたが、『起動中』の文字はでたままだった。さらに待ってみると、なんと勝手に電源が落ちた。

電源の落ちたスマホを見て、また安心してしまう私。その刹那、スマホが勝手に再起動を始めた。そして、久しぶりにスマホが通電したのであった。

なんか、アプリが汚らしいものにみえた。(←たった9日が何言ってんだ)

電源が入った瞬間、インスタから、メールから、アプリの通知が山ほど重なり、スマホのバイブが止まらず、壊れるんじゃないか?と思った。なんなら

「壊れてくれてもいい」

とすら思った自分が怖い。そして、なんとなくSNS周りは開く気にもならず、なんとなくリアルタイム検索アプリだけ開いてみた。最新の情報が順序良くならんでいた。それを見て、やっぱりなと思って、すぐにアプリを閉じた。

自分のTwitterに関しては、5月25日の深夜でもまだ開いていない状態です。

なんだろう。このまま行くと、私はスマホを持ちたくない人になってしまいそうだ。

最後に

 いま、この文章を書いているのが、5月25日でございます。緊急事態宣言が解除になりそうな中で、時代に逆行した記事を書いている。遅いな。と我ながら思います。が、私はこの後もしばらく、自主自粛をしていこうかなと思います。だから、スマホやSNSとはうまく距離を取って、付き合っていこうかなと思います。実際、仕事の連絡がきた日からも、大体、一日のうちのほとんどはスマホの電源を落として生活をしていました。Twitterに至っては、今日、久しぶりに開きました。相変わらず、情報が早い!と感心しっぱなしでございます。

コロナ以前の生活は、時間に追われ、あくせく生活をしていました。時間を得るために、時間を短縮するためにお金を使ったりしていました。でも、今、この

時間

というものが、見直されてきていると感じています。時間をどう使うか?という概念が、コロナ以前となんだか変わってきている気がします。周りと比べたりしてしまいがちですが、どうか、もっと自分自身、そして、家族や身近な人にしっかりと接する時間を持ち、普段見えていなかった部分を見つけてみてください。

スマホをちょっとだけ、自分から離してみる時間も悪くないです。

余談ですが、子供と散歩に行った際、私が立ち眩みした時の話を妻にしたら、あなたが倒れて、スマホも身分証も持たないで、子供が一人になったらどうするの?誰かわからないじゃない。と言われました。

確かに!!!!!

だから、とりあえず、電源いれて、最近は持ち歩くようにしています。笑

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