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自殺の名所で思ったこと
9月に福井県へ行った。
午前中に福井に着いて、海鮮料理で人気の【やまに水産】へ向かった。
すぐ近くに東尋坊があったが、最初から行く気はなかった。理由は自殺の名所だから。せっかくの旅行にイメージの悪い場所へは行きたくなかったが、やまに水産から徒歩数分なので寄ることにした。
その日は快晴で、平日なのに沢山の観光客が訪れていた。
突き抜ける青い空、真っ直ぐ伸びる広い海、自然むき出しの凸凹岩、心地良い海風。
どこが自殺の名所やねん!と驚くほど素晴らしい絶景で、逆に心が洗われるようだった。
自殺の名所で、こんなに清々しい気持ちなのは私だけ?と思ったら、ツレも浄化されていたようで、半笑いで言葉を失っていた。他の観光客も老若男女問わず、岩場を歩きキャピキャピはしゃいでいる。崖の先端付近まで攻めている強者もいた。
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自殺の名所だなんて負のイメージを抱いていて、ごめんなさい!深く反省した。
しかし、どうしてこんなに美しい場所で命を絶つのか?
私には全く理解できなかった。
この風景を昼間に見たら、死ぬ気も無くなるんじゃないか?いや、夜になったら雰囲気違って死ぬ気が高まるのか?など帰ってからも色々考え、この本に辿り着いた。
【これが自殺防止活動だ…!】
NPO法人 心に響く文集・編集局 茂幸雄著
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長年、東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんと、その団体の皆さんが書いた本。
茂さん達の活動は、TVでも度々紹介されたり、著書を何冊も出されているが、私はうっすらとしか知らなかった。
茂さん達の具体的な活動は、東尋坊に来ている自殺しそうな怪しい人に何気に声をかけ、話を聴き、説得し、自殺を思いとどまらせる。しかしそれだけで終わりではない。その人の、その後の生活の支援や見守り、都道府県との連携、さらに問題のある職場や家庭にも付き添い、環境の改善にも力になってくれる。
読んでいると、死を選ぶ人の傾向が色々解った。自殺に至る悩みや、一年で自殺の集中する時期、自殺未遂者のその後など。驚いたのが、東尋坊で死を選ぶ人は、明るい時間から来て日が暮れるのを待っている人もいるのだ。名勝と呼ばれる絶景を見ても、死にたい人は死ぬのか…。死を究極まで求めた人には、一発で死ねそうな場所なら、時間も風景も何もかもどうでもいいのだろう。
この本が発刊されたのは2014年。その年の自殺者は25,427人。近年は茂さんのような団体や国の自殺防止活動もあり減ってはいるが、コロナ前の2019年の自殺者は20,169人。2023年は21,837人で、小中高生の自殺者は過去最多の513人となっている。痛ましすぎるよ日本。
私にも自殺した叔父がいる。アル中だった。若い頃に上京し、仕事の失敗をきっかけに職を転々としていた未婚のアル中叔父さん。地元に戻ってきても、昼夜かまわず我が家にお金をせびりにくるので、大嫌いだった。うちはお金も援助したし、叔父が更生できるよう病院にも入れた。それを無にされていたのだ。
しかし、お金をせびる時期と、ぱったりせびらなくなる時期があったので、叔父の存在を忘れる期間もあった。その存在を忘れていたある日、警察から父に、叔父が自殺したことを知らせる電話がきた。自殺現場は東京の某公園で、首吊りだった。
その時の私は、不謹慎だと思われるだろうが、死ぬ時まで迷惑かけやがって!という怒りの気持ちしか湧いてこず、涙も出なかった。
でも今考えると、叔父が自分の弱さから上手く立ち上がれず、社会や身内から見放され、もしくは自分から距離を置き、孤独に飲まれて死んだのだと思った。そして、なぜ地元ではなく、東京で死を選んだのか?と、永遠に解けない謎を頭の隅に置いたままでいる。
自殺する者は、自分の生に納得できず死に、自殺された者は、その死に納得できず生きる。お互い解せない。
悩み事というものは、一人で悩んでいても、ろくでもないことしか考えない。まず、癖づいてしまった《負の思考のルーティン》から抜け出さなければならない。そのルーティンから脱出するには自力ではほぼ不可能で、人の力が必要だ。動物や自然やアートに癒され、生きる力が湧いてくることもあるが、それらは現実的に必要な【物質的な部分】は解決してくれない。悩んでいる人のほとんどは、結局人の力が必要になるのだ。
だから、死にたくなったら、誰にでもいいから話した方が良い。話したくない奴には話さなくていいけど、本当に誰でもいい。話す内容なんて何でもいいし、カッコつけて言葉を選ばなくてもいい。現に茂さん達は、赤の他人の話を聴き、言葉で救っている。救われて迷惑な人もいるだろうが、それも何かのご縁だと、自分の命と運命に自信を持ってほしい。
何か一つ会話が生まれれば、辛さを一瞬忘れることができる。一瞬、一瞬、その積み重ねで人は生き延びている。
誰にも悩みを言わずに死ぬ前に、全部吐き出して喋り倒してから死んだ方が、未練さっぱりいけるのではないだろうか?
何気ない会話から問題解決のヒントが出てくるかもしれない。
今まで知らなかったことを知れるかもしれない。
協力してくれる人がいるかもしれない。
人の優しさに気づくかもしれない。
逢いたい人に逢いたくなるかもしれない。
なんか楽しかった!と思うかもしれない。
そしたらとりあえず、もう一日生きてみようと思えるかもしれない。
みんな、いくつも不安や希望の種を持っている。少しでも生きる気になったら、不安の種を少しずつ捨てるなり、全部投げ捨てるなりして、一つでもいいから希望の種を育ててみたらいいんじゃないか?
あとで色々手を加え、品種改良したくなるかもしれない。想像してたのとは違う、凄いモノが育つかもしれない。
その成長を見届けてから、死んでも遅くはないだろうよ。